阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

船橋へ「在宅看取り」の話を聞きに行った。

2018年07月16日 | あちこちうろうろ
船橋市の中央公民館で日本尊厳死協会関東甲信越支部の講演会がありました。



関西支部の講演会にも行ったことがあり裨益されることが多かったので今回も出かけました。
講演会のテーマは船橋市で35年医療活動をされている久野医師の「在宅看取り」の実際にされているありのままの話がメインでした。
先生は365日24時間の在宅看護を標榜され、この5年間東京までもでかけられたこともないほど在宅患者の医療に専念されている方でした。
在宅看取りとはようするに病院ではなく自宅で死を迎えるにはどうすればいいか、どういう状況ならそれが可能か、また船橋市での現況などでした。





総括的な「看取り」の話を協会の理事長がしました。
   


在宅看取りは本人の意思もありますがそれを受け入れる家族の意志や環境など一人ひとり違ってくるなと思いました。
参加者は百数十人で明日は我が身と真剣に聞いていました。この講演会のことは会員に送られてくる協会の機関誌で知りました。

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大手メーカーの経営者が若返らない日本はハード製品でも中韓に負けだした。

2018年07月16日 | メディアからの引用記事

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♬夕焼け・・真っ赤な夕焼け・・♬  

2018年07月15日 | 身辺あれこれ

光の連なりは電車の窓。

ザ・スパイダース 「夕陽が泣いている」

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SNSで世界に知らしめてくれたサッカー日本チームの品性の高さ(Class)。    投稿者はクビになっていた。

2018年07月15日 | メディアからの引用記事


日本は昭和初期から政界や官僚、企業の将官士官クラスはいい加減で品性のない人物が多いが、社会というか身の回りの世間の兵下士官クラスは世界一のレベルで、国は彼らで持ってきたと言われてきた。

しかし世界に伍して日本国が生き抜くにはやはり兵下士官だけでは無理だ。

青文字をクリックすると本文に飛びます。

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阿智胡地亭便り⑬  #52  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2018年07月15日 | 阿智胡地亭便り
#52 コウベローカル噺④インド料理を・・ 2004.02.24記

毎年、初詣のあとインド料理店に行くことにしているが、今年は出かけようと思った日が寒かったりして行っていなかった。
 
先日結構暖かい日があって、思い立って昼に「ゲイロード」に出かけた。
震災前に三宮の神戸市役所近くにあった「Gay Load(陽気な殿様)」は、当時ロンドンやパリにもチエーン店があって、
長身のインド人給仕頭が黒服に身を固め、広い店を笑顔で仕切っていた。ボーイも皆インド人で、店の雰囲気は高級レストラン風だった。
 
その店が震災後中山手通りに移転したのは知っていたが、移転先には行ったことがなかった。
 昭和55年ごろ、ボンベイ(ムンバイ)港湾局の施設部長を日本に呼んで四国の工場や神戸港に案内したことがある。
彼は、ベジタリアンの中でも厳密な方の菜食主義者で、東京のレストランで彼のために特注した焼き飯を、
「この焼き飯の前に肉を使った料理に使われたフライパンが、そのまま使われているようだ。米飯に肉の臭いが
するから食べられない」と言ったりして、食事では大汗をかいた。
 
「ゲイロード」にはさすがにベジタリアンメニューが普通にあって、案内したこちらもも施設部長もホットした。
彼は驚くほど沢山食べた記憶がある。成田到着から何日も、腹を減らしていたのかと、少し気の毒だった。
 余談ながら、一緒に泊まった三宮のホテルの朝食で、私が和定食の白飯に生玉子をかけて食べだしたら目を丸くして驚いて見ていた。
聞くと生まれて始めてこういう食べ方を見たという。
後でなんかで読んだのだが、世界中でも、玉子をこうして食べるのは日本だけらしい。
それにしてもベジタリアンは海外に出るのは大変だなと思った。原理原則なき民である日本人の中でも、阿智胡地亭は、
和洋中華印度朝鮮蒙古なんでも、「うまければどこの料理でもいい」と思っているのだが。
 
新しい店は、神戸に多いインドレストランの中でも広い方だった。雰囲気は、前の店に比べると気安い感じの店になっていた。
入ってすぐのところのガラス越しに「タンドウール(タンドリ)」窯が置かれてインド人の料理人が二人いる。 
接客は若手の男性1人とインドの民族衣装を着た女性が二人がしていたが、皆日本人だった。
 
ランチタイムメニューには定食が3種類あったけど、久しぶりのインド料理なので、メニューからいくつか選ぶことにした。こちらはまず、
ボンベイ出張時に良く飲んだジントニック(インドではいいジンが出来る)を頼んで、料理のチョイスはアイカタに任せた。
 
奥の方に中年の男女10人くらいが、何かの集まりの昼食会をしているのと、若い二人連れと若い男一人客にサラリーマン風の男二人の客が居た。
オーダーしている間に隣の席に黒人とスーツをぴしっと決めた若い日本人が座った。黒人は派手なウインドウブレーカーを着て、
日本の食べ物では何が食べられるなどと話しだした。オリックスの新しい外人選手と球団の通訳かも知れない。

 
オーダーはミックス・タンドリプレート(チキン、マトン、サカナ、エビ)、野菜のサモサ、
チキンマサラカレーとドライカレーに決まり、それにプレーンナンを取ることにした。
 
食べ始めて暫らくすると、近くの窓側の席に大柄な老年のインド人が一人で来て座り、すぐ追いかけて別の同年輩の白髪の一人が来て握手をした後、
向きあって座った。long time no see・・・と話し出して、娘が18になり、ハイスクールを卒業・・と聞こえて来た。
久しぶりに友達どうしが、この店で落ち合い、一緒に食事をしてお互い近況を
話しているのだろうと思った。インドの言葉ではなく、英語で話をしているところからすると、同じインドでも言葉が違う
別々の土地の出身者が、神戸に住み着いて知り合ったのだろう。

 
料理がおいしかったので、アイカタにブツブツ言われながら、ジントニックを追加でもう一杯頼んだ。
 
どの皿もスパイシイーでおいしかったが、量がたっぷりあったのでドライカレーは少し残した。
 
一時間半ほどゆっくり居て、店を出た後どうだったとアイカタに聞きたら、前より料理が日本化していると言う。
どこが?と聞くとグリーンピースを使いすぎと言う。言われてみれば確かにそうだった。何かの食材をグリーンピースに
代用させているのかも知れないが、女の目は男と違う。味は多少日本化しているかも知れないが、それなりにおいしく食べた。
 前は法人客が多かったが、今は主として日本人の個人客を主な顧客にしているようだから、多少日本化しないとやっていけないのだろう。
 
彼女は次回のインド料理は、北野町にある「ガンダーラ」の本店に行ってみようと言った。
いきつけだった阪急三宮駅前の「ガンダーラ」の支店は数年前に閉店してしまっていた。

2012年6月20日に行った現在のゲイロードはこちら

 
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”房総のむら”のヤマユリ

2018年07月14日 | 印旛沼の里山住人の寄稿アルバム集
千葉県印旛郡栄町の住人kさんから地元にある「房総のむら」に咲くヤマユリの便りが来ました。
⇒ヤマユリは7月初めに咲き始めたようですが大風、雨で写真撮影ができなかったが天気も安定してきたので出かけてみた。
ヤマユリは開花と同時に雄しべの劣化が始まるのでその日に咲いた花を写真に撮らないと綺麗な写真は撮れない。
「房総のむら」では多くの株のヤマユリがあるので順次咲き始め開花より2週間たった今日も咲いたばかりのヤマユリに出会えた。まだ蕾の株もいっぱいあった。


















ヤマユリは花びらのえんじ色の斑点がそれぞれ違うので写真でゆっくり見ると面白い。
☆阿智胡地亭は何度も「房総のむら」をKさんたちと訪れていますが、お勧めの場所です。是非いちどおでかけください。
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学生時代の仲間8人と2時間半お喋り   初めての新百合ヶ丘駅  「梅の花」で。

2018年07月13日 | 関東ぶらぶら
神戸の学生時代に稲葉先生についた11人。そのうち6人がいま関東に居住している。某日この6人に加えて下関からと神戸からの二人も集まりに参加した。
前回は阿智胡地亭の歓迎会で丸の内に集まったが、今回は会員の二人が住んでいる新百合ヶ丘の「梅の花」が会場になった。今後は年2回この集まりをやることになった。
阿智胡地亭は御茶ノ水駅で中央特別快速に乗り換え新宿で小田急に乗り換えた。都心から離れると車窓の風景は阪急やJRの神戸線と似ていた。



新百合ヶ丘駅構内

駅そばのホテルの中にある会場の「梅の花」へ向かう

 「梅の花」 ネットから引用




町田には昔から叔父一家が長く住んでいるので小田急線には何度も乗っているが新百合ヶ丘駅で降りたのは初めてだった。












現役を離れて長くなり話題は体の調子や一日の過ごし方そして終活の話まで出てきた(笑)。
それにしても55年前に初めて出会った人たちと今もこうして遠慮なく喋る機会があり、それをこれからも継続しようというのは本当にありがたいことだ。







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下町の家々の前は花ざかり その6

2018年07月12日 | 花・草・木・生き物
家々の前に置かれたプランターの花も7月に入ると少なくなるが、花をは見るのはやはり街歩きの楽しみの一つだ。


















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新橋の「信州おさけ村」で信州の酒を楽しんだ。

2018年07月11日 | 食べる飲む
東京で鯉の甘露煮を食べられる店をネットで探す過程で、新橋にこんな信州の酒専門の立ち飲み屋があるのを知った。7月某日ネットの地図をうろ覚えに訪ねてみた。
店は新橋駅前ビルの一号館一階にある。夕方4時ごろなのに先客がかなりいた。常連客の感じだった。
 酒肴の種類も酒の種類も多かったが、聞くとセットの酒があるというので諏訪セットを頼んだ。つまみには野沢菜を所望した。

これらの写真はネットから借りた。今のシーズンのメニューではないがおおむね変わっていなかった。





壁には信州の酒のレッテルがずらり











知らなかったがウイスキーメーカーもあった。

ロックで一杯やった。コクがあって旨かった。

家から30分の東京駅や有楽町・銀座に出て時間があれば時々寄りそうな店だ。







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Jumpy dog art ! ジャンピーは天才犬だ!

2018年07月11日 | びっくり画像・映像
Jumpy dog art !
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小学4年生が近くの区立図書館で貸出券を作ってもらい早速6冊借りた。帰りに中華の店「珍来」で爺ちゃんと夕食

2018年07月10日 | 身辺あれこれ
ラーメンは500円までのもんだと思っている阿智胡地亭はラーメンが500円だったのでオーダー。旨いスープで麺も腰があり大満足。

小四はソース焼きそば。700円 完食。

餃子もニンニクたっぷりのしっかりした内容の具で旨く餃子の王将より100円高い350円も納得。

ちゃんとした町の日式中華の店「珍来」は時々来たくなる店だと思った。

ハイボール一杯400円を飲んで〆て2千円で50円のおつりが来た。
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阿智胡地亭便り⑫  #51  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2018年07月10日 | 阿智胡地亭便り
#47,48,49,50原稿散逸。

#51<庭木の剪定を頼んだら・・> 2004.02.17記

先日、新居浜の旧友から下記のようなメールをもらいました。
 
日本という「近代国家」が持つ多面性・連続性・劇場国家性?などの一端を示す
エピソードかと思い、旧友の了解を得てここにご紹介します。
 
・・・千五百年ほど前に数百年間(あるいはその後も長く)、西国の大和朝廷系部族に
こてんぱんに蹂躙された東国諸国の一部族の末裔の一人としては、これを読んで
ちょっとした感慨を持って「へぇ-、へぇ-」というしかありませんでした。
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阿智胡地亭さん、お宅も知っとる新居浜の某社に旧皇室に連なる方がおられることは
ご存知でしたか?(はよから丁寧語口調になってしもとるわね...)
  「有栖川宮家の詐欺事件」は滑稽な笑い話としてすでに記憶からほとんど
消えていましたが、今回、歴代皇室の本物の末裔にお会いして、家内ともども
しばらくこの話題で盛り上がりました。
 少し前になるけど、庭木の剪定をその某社のOさんにやってもろたんです。
もう10年も前からそこの会社のグリーン部隊に剪定をお願いしているんやが、
このOさんが実は第29代欽明天皇(きんめい)の末裔であることが分かりました。
 しかも百人一首で有名な小野道風や小野小町(美人で有名)とも親類にあたることが
家系図から判明し、我々はただ絶句と言うか、人は見かけとちゃうなーと、聞いてビックリしたんよね。 
ではOさんのお話を下記します。


************************************
その日の剪定が済んで、Oさんが帰りしなに私にこう言うたんが事の発端やわね。
 こないだ、会社から帰ったら家内から、「お父さん、宮内庁から電話があって、歴代天皇大鑑が出来上がりました。無料です。
御入用ですか?と電話あったよ」と言うんで、宮内庁に電話して歴代天皇大鑑を送ってもろたんです。明日また剪定に来るんやけど、
見られるんやったらそのおり持ってきますが。 Oさんからの突然の話でしたが見せてもらいます、と返事した。
 翌日は午前中に剪定が終わり、Oさんの独演会を約1時間あまりお聞きすることになりました。(もう完全に敬語になってしもとるがね)
 桐の箱に丁寧に梱包された、日本皇室図書刊行の【新歴代天皇大鑑】と家系図を見
ながら有難く拝聴させて頂いた内容は、まず日本の天皇の始まりは天照大神(あまてらすおおみかみ)である、からスタートした。
第一代 神武天皇 (御名:神日本盤余彦尊:かんやまといわれひこのみこと)
            在位:76年
            崩御:西暦紀元前585年(御年137歳)
            皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
            陵(所在地):畝傍山東北陸(うねびやまうしとらのみささぎ=奈良県)

第二代 すい靖天皇(すいぜん)     84歳
第三代 安寧天皇(あんねい)       57歳
第五代 教昭天皇(こうしょう)      114歳
第六代 教安天皇(こうあん)       137歳



第29代 欽明天皇(きんめい)     63歳
            御名:天国排開広庭尊(あめくにおしひらきひろにわのみこと)
            在位:32年 西暦571年
            皇后:石姫皇女(いしひめのひめみこ)
.

第122代 明治天皇    在位45年、 61歳
第123代 大正天皇    在位15年  48歳
第124代 昭和天皇(裕仁)        87歳
第125代 今上天皇(きんじょう)(明仁)  皇后:正田美智子

と現在に至るまでのまさに天皇家の歴史が記載された厚さ10㎝もある
御肖像、皇統譜を見せて頂いた。
Oさんは第29代 欽明天皇の末裔にあたり、鼻から上にかけては、見れば見るほど
欽明天皇の御肖像とそっくりであった。
 また、滅多に人には見せない家系図をOさんは手を合わせて一礼しながら
巻物(長さ6から7mはあった)をユルリと開帳させながら拝見させてくれた、もとい、下さったが、
系図の中には小野道風や小野小町も記されており、まさに本物と信じるに足る証拠となるもので、
有栖川なんとかとは対照的ではあった。
 Oさん自身は植木職もやってるという仕事柄、真っ黒に日焼けして
お見かけはお世辞にも皇室関係とは...。
 ビックリはしたが、そやけど後で考えてみるとかなりの時間、自慢話を聞かされたような
印象しか残っていないのはなんでやろ?
いずれにしても摂政関白政治からより武家政治中心で天皇の政治力が落ちながらも時代、時代に適応しながら
形式的儀礼的であるが永く存続してきた秘訣はまさに驚異と想像するものです。
昔の天皇が100歳を越しているのは粗食が要因だとOさんは言っておりました。
 しかし、Oさんをはじめ皇族の末裔の方々は近代社会とはいえ、現在もかなりの自覚を持って庶民には理解できない
ご苦労な生活がされておられるように感じました。
 ちなみに新居浜市役所の東に立派な小野神社(今は名前は違うが)があり、境内の長さは大変立派で今も実在しています。
 チョット浮世離れした経験でしたがアーァおもろかった。
 
*******************************
 
解釈、分析はいかようにも出来ると思いますが、この話自体はまごうかたなき現実のやりとりです。
 これを読んだとき、私が知ってる新居浜の何人かのOさんたちのお顔が浮かび、
みなさん全員がお公卿顔だったような気がしてきたのも面白いことでした。
 
  かしこみかしこみまおしました。

#51の②<庭木の剪定を頼んだら・・>続き 2004.02.19記

西からメールを頂けば、東からも便りを頂く。似非椅子徒としては嬉しい限りです。
 前回の阿智胡地亭便りの内容の真偽を、いささかなりとも問うものではないとの
但し書付きで、東の方から下記のような彼の総務部門責任者時代の経験談を頂きました、
これまたへぇ-へぇ-と面白く読ませてもらいましたのでご紹介します。
 
*********************************
 
新居浜のOさんなる方が、何と第29代欽明天皇の末裔! 
しかも家系図付きでお顔立ちもそれなりに尊い由、あなかしこ。
俄かには信じられんが、なかなかにロマンもある実話かなと思いました。
 小生、京都時代、職業柄怪しげな人名録商法とか家系図作成商法という
のにちょくちょくお目に掛かりましたもんです。
 最初は無料奉仕と言いながら、実際には、なんだかんだと数10万円を
ふんだくられた方々や脅され途上で困り果て、相談を受けた身近なヤクインや
カンリショクが存外に大勢居ました。
 さて、このお話は、そんなことは無いと思いますものの、桐箱入りで10cm厚の
貴き御本や巻物系図などは、宮内庁関連を標榜する出版社(右翼系の方々が多い)
サン達が最もお得意とする題材(商品)でして、特に、褒章や叙勲をもらった後に
「丁重なお祝いと共に売込まれるモノ」に 酷似しているようにも感じます。
 今後、かのやんごとなきお方に、法外な金額の請求書が来ないことを祈りつつ、
興味深く 拝読させて頂きました次第です。  
 信じる 信じないとは別次元のコメントですんません。
 
                                                  以上  
**************************************
 
追伸;将来、褒章や叙勲を受けられる方へ。
 
宮内庁が関係し、発行される正規の書籍・文献類は全て「宮内庁書陵部」編修と
なっているそうですのでご参考まで。
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新選組の近藤勇、土方歳三らが生まれ育った「日野」の地を訪ねた。    その2  日野宿本陣跡 

2018年07月09日 | 関東ぶらぶら
ふるさと館ではこの日野の里から幕末の歴史の一翼を担った若い一団がなぜ出現したのかを考えるヒントをもらった。宿場であったので江戸や薩長の動きの情報は入りやすく、
新選組組員募集に剣術道場の若人たちが勇躍応募した。土方歳三は京都から最後は函館で砲弾に斃れるまで転戦し、日野に戻ることはなかった。司馬流に言えば「この日野の若者たちが明治の御代を作るのに関与したのはあの時代の奇貨ともいうべきであろう・・」







建築の主材はけやき。築150年の建物





町に歴史ありの感深し。江戸時代冬の出稼ぎに信州者が多数江戸に働きに出たという。彼らは江戸人から軽んじて「おしな」と呼ばれていたらしい。阿智胡地亭の先祖の中にはこの甲州道中を往還して上諏訪から江戸に働きに出たものもいるかもしれない。脇本陣を出て昼食をとる場所をさがしたが駅周辺はファーストフードの店ばかりだった。ふと横町を見るとインド料理の店があったのでIKさんに聞くと阿智胡地亭のブログを見ているのでインド料理には興味があるとのこと。

入ってみるとテーブルが3卓しかない小さな小さな店だった。若い外国人二組が先客だった。本日の定食を頼んだ。定食のカレーはほうれん草とチキンのミックスカレーだった。

サラダと飲み物(ラッシーを頼んだ)とアイスクリームがついて780円也。カレーは普通の定食の2倍ほどの量でなんとも旨かった。IKさんもナンは完食は無理だったがカレーはおいしいと完食された。日野にきて近藤勇や土方歳三に思いをはせた後ネパール人がやっているインド料理店で昼食というのも今の時代の面白さだろう。IKさん楽しい時間をご一緒していただきありがとうございました。60年ほど前に三重県四日市の中学校で同じクラスになったとき、まさか将来都下日野市で会う日があるだろうとはお互い夢にも思いませんでしたね。こういう想定外の事に出会うのも生きる楽しみの一つかも。どうぞお元気でお過ごしください。
 今回の日野行きでまた面白い探求心の対象が出てきた。それは「八王子千人同心」だ。甲州の武田遺臣軍を徳川が江戸城下の西の守りのために起用したのが八王子千人同心の由縁だという。甲州武田軍の赤備えで知られる精強な将兵は後に真田や井伊にも召し抱えられたが、郷士として「八王子千人同心」にもなっているようだ。先日のNHK「ファミリーヒストリー」で志村けん一家のルーツが甲州武田軍にあり、江戸時代は八王子千人同心の家だったと放送されていた。






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なぜ日本の花火は世界一なのか?

2018年07月09日 | びっくり画像・映像

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新選組の近藤勇、土方歳三そして沖田総司らが生まれ育った「日野」の地を訪ねた。     その1

2018年07月08日 | 関東ぶらぶら
東京都の一番東の千葉県に接した江戸川区から東京都の西の山梨県に接する八王子市の隣の日野市を訪ねた。
50年ほど前、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで以来いつか必ず訪れたいと思っていた場所だ。



御茶ノ水駅のホームで中央特快の電車に乗り換えると最寄駅から日野駅まで57分でつく。





日野駅のホームから



駅のロータリー



駅で迎えてくれたのは当地に住む三重県四日市市の港中学当時の同級生、IKさんだ。年賀状の住所に日野市とあるのを見るたびに
いつも新選組の日野にお住まいなんだと思っていた。日野は江戸から信州の諏訪まで結ぶ甲州道中(甲州街道)の宿場の一つだった。

 次回は東京都文化財の日野脇本陣に続く



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