明治40年10月1日午後2時25分、平井総裁、山之内副総裁らの一行は、湊町停車場に到着した。これを出迎えた片岡関西鉄道会社社長と重役各課長の案内で、同社の事務所に至り、会議室において片岡社長より、財産明細目録及び職員名簿を提出。続いて総裁らが携えてきた社員登用の任命書を交付して、記念撮影を行い、受け渡しを終了した。これで、湊町営業所は、湊町事務所となり国営鉄道としての営業を始める。殆どの社員もそのままで、給料も大きな変化はなかった。この日、平井総裁一行は中之島の花屋に投宿の予定だったが、夕刻から関西鉄道の案内で南地の富田屋に招待、慰労の宴会席を設けた。
大正中期の湊町機関車庫
前日の、明治40年9月30日。当社最終日に際し、片岡社長は社員に告示を行っている。
我が関西鉄道株式会社は、創業以来十有八年。その間幾多の変遷に耐え 幾多の困難を凌ぎ 以てよく今日の盛況を見るに至れるは、これ職員として諸氏が日夜社業に邁進されるが故にあり、私が厚く感謝するところである。然るに、愈々明日、国有法により、挙げてこれを政府に引き継ぎ、諸氏また転じて官営鉄道に入らんとす。思うに諸氏の前途は益々多忙にして、政府の期待も大きいものがある。どうか勇往邁進の貢献を期待するところであります。決前に臨み、一言、もって諸氏、多年の勤労を謝し、併せて、将来の栄達を祈る。
大正中期の湊町機関車庫 放出分庫
この放出。大阪人以外で読める人はいるかしら。
実はこのコメントを書くために、ものは試しとばかり“○○○○”と入力したら、なんとイッパツで放出とでてきて驚き。!!
“はなてん”は有名なのかな?
放出車庫 と載っていたので
そのまま移させていただきました
機関車が入った車庫から
順次出発させる車庫ではないのかと思っていた
何の疑問も持たない
愚か者でした
チャンチャン!
機関車が二両。ほかに客車みたいなのが停まっていますが、これは蒸気動車。室内前部にボイラーを備え、蒸気を前部台車のシリンダに送り、ロッドを通して車輪に動力を伝えます。
関西線のものではありませんが、ほぼ同じタイプの蒸気動車が明治村に保存されていました(昭和44年当時)。多分、いまもあると思います。
明治村 ここからだと日帰りコースです
出かけてみたいです また新しい視点で楽しめそうです
正式には、写真のタイトルにある通り、湊町機関庫の放出分庫。湊町機関庫(今でいう機関区)の管轄化で放出に設置されている機関車の施設ということでしょうか。定期点検などは湊町機関庫に持ち込んで行っていたのではないか思います。
四日市分庫 というのもあったんでしょうか
四日市機関庫の四日市分庫・・・
無かったか・・・
四日市機関庫という名前は知りません。
四日市には車輌を整備する四日市工場がありました。島安二郎さんの職場だったところです。
後に関西鉄道が買収した大阪鉄道は湊町に工場を持っていましたので、島さんはこちらにも出かけられました。
客車に明るいピンチガスを導入した際には、ガスの生産設備が湊町工場内に設置されたようです。
ここで作られたガスを運ぶためのタンク車が確かあったと思います。お手元の“関西鉄道略史”に形式図が載っていたと思います。
このブログ一段落しましたら
一旦お戻ししようか?
と、余計なことを考えてしまいました
私めも、休みには 本の整理で
棚の前に座り込んでは
ああ、この本もう一度読もうか
などど 思っています
読むことはありませんが
眺めるだけです
きかんしゃトーマス の大正版
というところでしょうか
静岡県の私鉄大井川鉄道では蒸気機関車の運転を随分と昔から行っていますが、ここも現在は機関車の前面にトーマスのマスクをつけて走らせています。
また、30年前に訪問した、米国メイン州にある私設のブルーベリー農場の周りを走る蒸気鉄道も現在はディーゼル動力のトーマス君のレプリカを走らせているようです。
時代ですね。