花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

宇江佐真理著「聞き屋与平」

2009年08月26日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
          
主人公の与平は、薬種屋「仁寿堂」十代目の主。店は今や、三人の息子たちに譲って、晴れて隠居の身。これまで働き詰めに働いたのだ、これからは悠々自適に・・・・いくはずが、俳句の会も物見遊山もいまひとつ楽しめぬ。
与平はそこでただ引きこもってはいなかった。ある妙案が思いつくのである。
世の中には、自分の話を誰かに聞いてもらいたい人が山とある。話せば気が楽になることもあろう、だったら自分がその役を買って出ればいいじゃないか。
彼は早速、両国広小路の仁寿堂裏手に机を出す。看板の「お話、聞きます」の文字に、通りを行く人はいぶかしげな目を向ける。
宇江佐真理著「聞き屋与平 江戸夜咄草」集英社文庫
昨今、人の話を聞かない人が多い(自分を含めて・・・)。そのあたりひたすら人の話を聞く与平という人物の懐の深さに感心する。が、与平は聖人ではない。家族のことに腐心し、暗い過去を背負って生きている普通の人間。腹も立てるし、話の内容に愛想尽かしもする。
それだけに臨場感がある。与平のそばで一緒になって心配したり喜んだりしている気分になる。自分の悩みや悲しみは、結局、人には分かってもらえない。だからと言ってひがんだりしてはいけませんよ。誰でもが、重い過去を引きずって生きているんですから。
江戸の四季、折々の行事を取り混ぜて描く著者の手腕はたいしたものだ。

この本の巻末で、木内 昇氏は「聞き屋与平」をうまく解説している。
家族遠く離れ、江戸で一人働く少年にとって、与平の言葉はどれほど支えになったろう。
「他人をねたんで大人になったとしたら、ろくな男にならない。
その前に、少しだけ情を掛けてやれば、とげとげした心は和むだろう」
かつての日本人はきっと、こんな風に謙虚で、相手を慮(おもんばか)ることが得意な人たちだったのだ、と改めて気付かされる。いや「かつて」なんて言葉で切り離してはいけない。現代に生きる私だってやっぱり、悩みを抱かえたときには、機微を心得た与平の「何でもお聞きいたします」と言うひとことを聞きたい。「あなたなら大丈夫!頑張って、夢はきっと叶う!」と畳み掛けられるより、遥かに。

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2 コメント

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はじめまして (BOZE)
2009-08-29 12:17:58
「聞き屋与平 江戸夜咄草」面白そうですね。今度読んでみます。
私は鈴鹿のとある寺の僧侶です。檀信徒の方々と接する中で様々な苦悩に出会います。金銭、病気、人間関係、そして家族関係にまつわるものなどその苦悩は多様です。
「仏教の智慧を説き、人々を苦しみから救いたい」と思いながら力不足の自分を嘆く私ですが、悩みや愚痴を話してくれた人が「話せてよかったです」と言ってくれた時は少し救われた気がします(私が)。
 人の気持ちに寄り添い話を聞くというのは大切なことなのだと思います。なので「聞き屋与平」読んでみます。

プロフィールによるとタケオさんは私の親の世代ですね。地域のために心を砕き活動する姿勢に共感します。
「寺よ、変われ」ではありませんが、私も現在の宗派や寺院の在り方には疑問を感じています。そして僧侶である自身に対しても「もっと何かが出来るはず…」と思いながらも、日々の仕事に追われている自分に悶々とする日々をおくっています。
 このブログを拝見して「できることから少しずつでも理想に向かって歩いて行こう」という気持ちになりました。市は違えどお隣同士、頑張りましょう!
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ありがとうございました (タケオです)
2009-08-30 10:27:12
つたない私のブログを訪れていただき
本当にありがとうございました
勇気付けられ また 感動いたしました
生意気な記事が多いので
恥ずかしい思いをいたしております
返信する

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