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北海道新幹線新駅名「新函館北斗」に思う

2014-06-13 21:53:32 | 鉄道・公共交通/交通政策
北海道新幹線「新函館北斗」決定 JR、新駅名発表(北海道新聞)

駅名決定、北海道新幹線PRに弾み 「新函館北斗」の浸透には不安も(北海道新聞)

紆余曲折を経た北海道新幹線(2016年開業、新青森~函館)の駅名がようやく決着した。開業区間の3駅の名称は「奥津軽いまべつ」「木古内」「新函館北斗」となる。

特に新函館北斗を巡っては、リンク先記事にあるように、函館市が「新函館」、北斗市が「北斗」を主張して譲らず、調整は北海道に委ねられたが、最後はJR北海道が両者の顔を立てる形で決着した。

当ブログのこの問題に対する考えは、ベストの案が「新函館」で、北斗市がどうしても収まらなければ第2案として「新函館北斗」とすべき、というものだった。その意味では当ブログの望む、ベストではなくともベターの決着を迎えられたとは思っている。沿線地域が唖然とするような奇をてらった駅名とならなかったのは幸いだった。

駅とは、そもそも地元と地域を結ぶ玄関口である。その意味では、住宅の玄関先に掲げられる表札と同様、「ここが誰の家なのか」が明確でなければならない。道南地域では圧倒的な知名度を持ち、全国有数の観光地である函館の名を冠しないということはあってはならず、今後も観光を主要産業として生きていかなければならない北海道にとって、函館を訪れる「内地」からの客がどこで降りればよいのかわからないようでは論外だからだ。

北斗市が主張するように、仮に新駅名が「北斗」で決着していた場合、「内地」からの客はもちろん、下手をすると道内からの客でさえ、駅がどこにあるのかわからず「北斗市ってどこですか?」「函館に行くには結局、どこで降りるのですか」という客と駅員とのやりとりが繰り返されることになりかねなかった。

確かに駅名には「所在する地域を正確に表すものでなければならない」という要請もある。だが、千葉県浦安市なのに「東京ディズニーランド」とか、兵庫県伊丹市なのに「大阪国際空港」など、実際の所在地と名称が異なる公共施設の例はいくらでもある。駅が所在する地域には、駅名が冠せられなくても、そこに駅が存在することによって地元商店街が活性化したり、駅からの固定資産税が地元自治体に落ちるなどのメリットもあるのだから、北斗市にはもう少し「大人の対応」を期待したかったところだ。

とはいえ、北斗市側の事情にも当ブログには理解できる点があるだけに悩ましい。国鉄時代、駅名板には駅名の下にカッコ書きで所在市町村名が記載されていた。例えば「青森(青森県青森市)」「博多(福岡市博多区)」などというふうに。今でも、国鉄時代の慣習が残っている駅では、所在地表示付きの駅名板を見ることができる(豊原駅の例)。JRグループを代表する東日本、西日本の両社が所在地表示を原則としてやめてしまい、北海道でも所在地表示はなくなった。今も駅名板への所在地表示を続けているのは東海、四国、九州の3社くらいだろうか。


艫作駅(JR東日本・五能線) 所在地表示はない


江差駅(JR北海道・江差線) ※2014年5月限り廃止 やはり所在地表示はない

かつて、JR東日本の対面型券売機(もしもし券売機・kaeruくん)問題を追うため、JRへの再雇用を求めて闘っていた国労闘争団・支援者が吾妻線の万座・鹿沢口駅を訪れたことがある(ちなみにこの駅は、JR駅としては唯一「・」が入る駅名として知られる)。この際、町長(当時)の計らいで闘争団・支援者グループと地元住民との対話の場が設けられ、当ブログ管理人も参加したが、ここで地元住民のひとりから「昔(国鉄時代)みたいに、駅名の下にカッコ書きでいいから(群馬県嬬恋村)とさえ書いてくれれば、私たちは別に駅名が「嬬恋」でなくてもいいんですよ」という声が上がったのを私は聞き逃さなかった。

それを聞いて私は、なるほど、駅名で揉めたときにはそういう「妥協案」もあるのだな、と妙に感心したことを覚えている。所在地表示があれば、「万座・鹿沢口(群馬県嬬恋村)」とすることで、そこが万座温泉の最寄駅であることを示すと同時に、駅に降り立った利用客に所在地が示されることで地元のメンツも立つ。観光客も地元住民も両方が幸せになる、こうした解決方法もあるのだ。

今回も、もしJR北海道が所在地表示を残していれば、「新函館(北海道北斗市)」とすることで双方のメンツが立ち、もっと早い段階で円満な解決ができた可能性もある。JR各社が所在地表示をなくすきっかけになったのは平成の大合併であり、いちいち合併で市町村名が変わるたびに駅名板を書き換えていられないというのがその理由だったと記憶する。だが、大合併も落ち着き、市町村の新たな枠組みが確定して大変動もなくなった今、国鉄時代のように所在地表示を復活させてはどうか。函館市と北斗市との不毛な争いを見るにつけ、当ブログはふと、そんなことを思うのである。
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