9.19明治公園集会での各著名人の発言などが続々と報告されている。ぜひ記録に残しておくべきだと思うので、紹介する。
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国家公務員一般労働組合による報告
●「さようなら原発」への“結節点”と“出発点”となる今集会
――鎌田慧さん(ルポライター)
きょうここに5万人集会を成功させることができました。きょうの集会は“これまでの結節点”であり、原発をなくしていくための“これからの出発点”でもあります。野田首相は国連に出席して原発の安全性を高めていくと演説するとしています。しかし、原発の安全性と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っています。この声を無視して政治をできるわけはありません。
これまでどれだけの被爆者が発生しているのか?どれだけの原発労働者が被曝しているのか?これから分かってきます。その恐ろしい結果を私たちはきちんと認識し、その救済を少しでも早く始めていかなければいけません。そういう意味でもきょうの集会を力強く成功させ、救済運動も進めていきましょう。
脱原発運動は多くの人々の意識を変えていく運動でもあります。みなさん、核に依存して生きることは人類は絶対にできないのです。核と人類が共存できないということは、ヒロシマ、ナガサキそして今度のフクシマの原発事故でも証明されています。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができるでしょうか。私たちは原発に「さようなら」を言いましょう。この原発への「さようなら」はまた会いましょうなど再会を期することを含んだものではありません。もう絶対に会いたくないという意味での「さようなら」が原発に対する私たちのメッセージです。もう原発のある社会はいらない。そして、これから子どもたちに平和で幸せな社会を残すためにこそ頑張って行こうではありませんか。これからも様々な集会やデモに取り組み、1千万署名をひろげましょう。そして来年3月24日に日比谷野外音楽堂で1千万署名の集約集会を開きましょう。
●原発は必ず荒廃と犠牲を伴う
――大江健三郎さん(作家)
二つの文章を紹介します。一つは渡辺一夫さんの文章です。
狂気なしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。それはウソであります。狂気によってなされた事業は必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は狂気にとらえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって誠実に地道になされるものです。
この渡辺一夫さんの文章はいま次のように読み直されうるでしょう。
原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。
二つめの文章は、新聞に載っていたものです。原子力計画をやめていたイタリアがそれを再開するかどうか国民投票を行い、そして反対が9割を占めました。それに対して日本の自民党の幹事長が、「あれだけ大きな事故があったので集団ヒステリー状態になるのは信条としてわかる」と語ったそうです。もともとイタリアで原子力計画が一端停止したのは25年前のことです。チェルノブイリの事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で、再開するかどうかを国民投票で決めることになった。その段階で福島原発事故が起こったのです。自民党の幹事長は「反原発というのは簡単だが生活をどうするのかということに立ち返ったとき国民投票で6割が原発反対だからやめましょうという簡単な問題ではない」と締めくくりました。原発の事故が簡単な問題であるはずはありません。福島原発事故による放射性物質で汚染された広大な面積の土地をどのように剥ぎ取るか?どう始末するのか?すでに内部被曝している多くの子どもたちの健康をどう守っていくのか?
いままさにはっきりしていることはこうです。イタリアではもう決して人間の命が原発によって脅かされることはない。しかし、私たち日本はこれからさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗するという意思を持っているということを想像力を持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために私たちに何ができるのか。原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかありません。しっかりやっていきましょう。
●「新しい原発安全神話」は許さない
――内橋克人さん(経済評論家)
注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原発安全神話の改訂版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つまり、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意をしなければなりません。
たとえば、地下深く原発を埋め込んで洞窟の中で原発を続けるというような計画などが企まれているということであります。地下の洞窟の穴に原発エネルギーをつくる装置を埋めてなおかつ原発を持ち続けたいというこの意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で再武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。合意なき国策がここまで進んできました。幾度も幾度も打ちひしがれた経験を私たちは生かさなければいけません。原発エネルギーではなくて命のエネルギーが輝く国にしようではありませんか。きょうその一歩が踏み出されます。「さようなら原発」、「こんにちは命輝く国」。世界を変える一歩一歩を歩き続けましょう。
●放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪
――落合恵子さん(作家)
私はビートルズ世代で、ジョン・レノンのイマジンもよく聴いています。
想像してください。子どもはどの国のどの社会に生まれか選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に原発があってこの暴走があったことがいまの私たちの社会です。
想像してください。フクシマのそれぞれの子どもたちの今を。そしてこの国のそれぞれの子どもたちの今を想像してください。
スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。あの原発大国フランスでもついこの間核施設の事故があり、ほとんどの情報を私たちが手に入れられない現実を生きています。今度はどこで、次は誰が犠牲になるのかとそのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのはもういやだ。私たちはそれぞれ叫んでいきたいと思っています。
放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私たちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きて行こうという人への国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わるものを持つことを、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。
想像してください。まだひらがなしか知らない小さな子どもが夜中に突然起きて「放射能来ないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。私たちはこの犯罪に加担せず、暴力に対して私たちは非暴力を貫き、世界から原発と核が消える私たちのゴールに向かって歩みましょう。私たちは、あきらめません。慣れません。忘れません。歩き続けます。
●市民団体「ハイロアクション!福島原発40年」武藤類子さんの発言(
同団体のサイトから)
みなさんこんにちは。福島から参りました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
はじめに申し上げたい事があります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。
それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。
皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。
そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、 労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。
私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。