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短期大学おける教養教育

2011-11-18 22:03:31 | チラシの裏
  仕事でたまたま考える機会があったので、短期大学における教養教育について記してみたい。

  「教養」の定義は諸説あるが、短期大学においてそれを伝授するということになると、結90分15回~30回の講義の中に落としこめる内容でなくてはならない。というわけで、伝達可能な知識または訓練によって獲得できるスキルということになる。「教養」は、人格レベルの属性であって、そのように対象化できるものではないという異論もあるだろうが、教育の場では人格とは切り離して扱えるものとせざるえない。

  さて、学生募集における短期大学のライバルは専門学校である。教養教育の存在は、短大が専門学校と差別化する際のアピールとなるという考えがあるようだ。

  しかし、個人的にはこうした考えに疑問を持っている。

  第一に、教養教育にあまり効果が無いことである。文系大学ならば、語学、哲学、法学、経済学などの講義を置くことになるだろう。僕の知る限りでは、そうした講義は大教室での一方的な講師の語りに陥りがちで、真剣に聞いている学生は一握りである。もちろん、例外的に熱心な学生もいるだろうが、多くの学生は単位を取る必要に迫られてしぶしぶ出席しているだけである。そういうわけで、専門とは異なる分野の思考に触れるせっかくの機会なのに、学生に十分伝わらないまま終わっていることが多いように思える。

  第二に、世間一般が短大卒に期待する「教養」と、学校が教養教育で用意する「教養」とに、ズレがあることである。後者では、専門とは違う分野の思考や知識に触れさせることが狙いであり、異分野の人々とのコミュニケーションを容易にする基盤を提供しようとする。しかし、一般社会で「教養がない」とされるような人は、単に漢字が書けなかったり、ちょっとした概念がわからなかったりする人のことである。社会のリーダーともなるとそうした教養とはまた違った人格的要素が求められることになるが、短大卒における教養としては漢字や語彙を通した評価の方が一般的だろう。

  第三に、上のように効果が薄く、世間とはズレた教養教育を短大が施している実態があることによって、無駄なカリキュラムの無い専門学校の魅力が逆に高まっているという可能性もある。すなわち、教養教育の存在は短大にとってハンデになっているかもしれないのである。

  以上のような理由で、短大が教養教育を対外的にアピールしても、実態が伴わず、空回りする危険の方が高いように思える。おそらく、短期大学士の教養教育としては、法学や哲学の講義を聞かせることよりも、日本語表現・漢字・SPIなどドリル教材をたくさんやったほうが、彼・彼女らの人生に役に立つだろう。

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