塩野七生『海の都の物語:ヴェネチア共和国の一千年』中央公論, 1980-81.
今では観光都市として有名なヴェネチアの、独立国として歩んだ中世から近代にかけての歴史を綴った書籍。著者の塩野七生は定義上「作家」ということになるが、フィクションではなく、本書のような歴史エッセイにその本領がある。歴史書ではなく、歴史エッセイだというのは、歴史家が控えるような大胆な推論も行っているからだ。
本書は、ヴェネチア社会が変化する節目となる事件に目を配りながらも、その変化の背景となっている動因──経済や政治制度、軍事力、ヴェネチアを取り巻く貿易・外交環境など──を掘り下げて記述している。特定の人物に焦点を据えていないためドラマチックに盛り上がることはないが、そのデータ志向が「エッセイとしては手堅い」という印象を与えている。
本書の魅力は、文庫版の解説者がすでに指摘しているように、日本に対する含蓄である。といっても、本文中に、日本に警句を垂れるような文章など登場しないし、日本と比較するような記述はまったくない。それでも、これといった資源のない小さな島国であり、貿易で国を富ませていかなくてはならなかったヴェネチアの姿が、現代の日本とダブって見えるのは避けられない印象だろう。本書で描かれたヴェネチアは、現在の“ルネサンスをそのまま保存したような”静的な観光地のイメージとは異なり、経済・軍事・外交の環境変化に適応できるよう、たびたび社会体制の変化を繰り返す。最終的には滅亡してしまうとはいえ、その「生き残るための意志」のすさまじさに圧倒される。それは、文明論でよくみかけるような「優雅な落日」とはほど遠いものだ。
ちなみに、僕の持っている中公文庫版(1989)は絶版で、全集版(『塩野七生ルネサンス著作集』)のみ新刊で入手可能である。ただ、文庫版はけっこう刷(奥付では「版」扱い)を重ねており、古本屋で見つけることは容易だろう。同じ著者の大著『ローマ人の物語』に取り組むのに躊躇している方ならば、文体と著述スタイルを知るサンプルとしてもいいかもしれない。
今では観光都市として有名なヴェネチアの、独立国として歩んだ中世から近代にかけての歴史を綴った書籍。著者の塩野七生は定義上「作家」ということになるが、フィクションではなく、本書のような歴史エッセイにその本領がある。歴史書ではなく、歴史エッセイだというのは、歴史家が控えるような大胆な推論も行っているからだ。
本書は、ヴェネチア社会が変化する節目となる事件に目を配りながらも、その変化の背景となっている動因──経済や政治制度、軍事力、ヴェネチアを取り巻く貿易・外交環境など──を掘り下げて記述している。特定の人物に焦点を据えていないためドラマチックに盛り上がることはないが、そのデータ志向が「エッセイとしては手堅い」という印象を与えている。
本書の魅力は、文庫版の解説者がすでに指摘しているように、日本に対する含蓄である。といっても、本文中に、日本に警句を垂れるような文章など登場しないし、日本と比較するような記述はまったくない。それでも、これといった資源のない小さな島国であり、貿易で国を富ませていかなくてはならなかったヴェネチアの姿が、現代の日本とダブって見えるのは避けられない印象だろう。本書で描かれたヴェネチアは、現在の“ルネサンスをそのまま保存したような”静的な観光地のイメージとは異なり、経済・軍事・外交の環境変化に適応できるよう、たびたび社会体制の変化を繰り返す。最終的には滅亡してしまうとはいえ、その「生き残るための意志」のすさまじさに圧倒される。それは、文明論でよくみかけるような「優雅な落日」とはほど遠いものだ。
ちなみに、僕の持っている中公文庫版(1989)は絶版で、全集版(『塩野七生ルネサンス著作集』)のみ新刊で入手可能である。ただ、文庫版はけっこう刷(奥付では「版」扱い)を重ねており、古本屋で見つけることは容易だろう。同じ著者の大著『ローマ人の物語』に取り組むのに躊躇している方ならば、文体と著述スタイルを知るサンプルとしてもいいかもしれない。