「米兵が記者に銃口!県民に向けたのと同じ」ではない アホくさいでっち上げ

「米兵が記者に銃口!県民に向けたのと同じ」ではない アホくさいでっち上げ

 

在沖米陸軍兵士が銃を携帯して軍港内の倉庫を警戒する訓練をしている様子を琉球新報の記者は基地フェンスの外で動画と写真を撮影していた。すると記者に対し兵士の1人が銃口を向けたという。そのことを琉球新報は報道した。「米兵は銃を構えて数秒間静止していた」と記者は述べている。
 新報の記事について玉城デニー知事は、「たとえ訓練で弾倉が入っていなくても(銃口を)向けるということは県民を敵視していることになる」と問題視した。 
 デニー知事の指摘は間違っている。米兵は県民を敵視していない。米軍が訓練したのは沖縄を想定していないからだ。沖縄以外のテロの危険性がある地域を想定している。訓練している場所は沖縄であるが訓練中の兵士にとっては訓練場所は沖縄ではない。テロが銃撃するかも知れない危険な場所であるのだ。
日本は治安がよくて暴動が起きることはない。それに日本国内の暴動であれば日本の警察が取り締まる。米軍が日本人を取り締まることは違法行為である。米軍が日本人を取り締まることはない。
 兵士が記者に銃を向けたとしたら記者を県民ではなく日本以外の国のテロリストと想定したからだろう。沖縄なら銃で警戒する必要はないことを米兵は知っているからだ。県民と想定していたら銃を向けることはなかった。
 琉球新報の写真は米兵が記者を狙って銃を向けているように見える。米兵と記者の距離は実は250メートルも離れていた。二人の間には障害物もある。米兵が記者に狙いを定めるのは難しい。2、3秒でできることではない。


 250メートルも離れた場所にいる記者に明確な意図をもって「銃口を向ける」にはしっかりと肩付けを行って望遠レンズを設置した照準器を覗かなくてはならない。米軍兵士が琉球新報記者を狙ったわけではないのは明らかである。訓練している様子の写真である。


⒉月には在沖米海兵隊が「非戦闘員避難」を守る目的の訓練を実施した。訓練は非常事態が起こっている地域での市街地移動を想定した訓練である。銃で武装した兵士が用心するのは近距離人物である。遠距離の狙撃手ではない。このグループの兵士が250メートル離れた記者に銃を向けることはあり得ないことである。
ユーチューブに琉球新報がスライドを発表した。左側を見上げたりして左側を向いていた兵士がゆっくりと右側を向いたが、記者の方を向いて銃を向けた瞬間にスライドは消え、米兵が銃を向ける写真になった。銃を向けてからのスライドはなかった。記者を狙って銃を向けた時と偶然向けた時とは向けた後の兵士の様子で分かるはずである。しかし、向けた後のスライドはなかった。
スライドの兵士は銃を向ける前に全然記者を向かなかった。記者を狙って銃を向けたなら、向ける前に記者を凝視したはずである。それはなかった。記者の存在に全然気づいている様子はなかった。周囲を警戒して銃を回した時に銃を向けたと思わす瞬間の映像を記者は写真にしたとしか考えられない。

米兵は記者に銃口を向けていなかったのに向けたように見える瞬間を写真にして、兵士が記者に銃口を向けたと写真付きで琉球新報は報道した。米軍が県民を弾圧しているとイメージさせるためである。新報の報道に乗じて左翼運動家が米軍非難を拡大する。そして、左翼系のデニー知事が新報記事に同調して県民の反米軍の気持ちをさらに広げていく。このやり方は戦後ずっと続けられている沖縄紙と左翼の仕掛けである。沖縄県民が米軍を嫌うようにし、米軍を容認している自民党の支持を下げていくのだ。今度の米兵が記者に銃を向けた記事でっち上げも新報、左翼運動家、デニー知事が連携して県民に仕掛けているのである。
 沖縄平和運動センター前議長の山城博治は、
「基地内で行われたのは、市民運動をテロと見なして鎮圧する訓練だった。あの銃口は記者個人に向けられたものではなく、反戦の声を上げる県民全体に向.けられた」と話した。苦笑してしまう。沖縄の反戦運動は武器を持たないしゲバ棒などでの暴力行為もない。辺野古に集まる反戦運動家たちは老人が多い。反戦の声も弱くなった。沖縄の市民運動を米軍が鎮圧する必要は全然ない。それに取り締まりは県警がやる。米軍が関わることはない。関わる気もない。山城氏は反戦運動のリーダーだったから米軍も恐れていると思いたいだろうが、米軍は全然恐れていない。山城氏の妄想である。米軍は沖縄の反戦運動には関心がない。
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