Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

走り去った勇者達

2012-03-21 07:46:16 | 旅行記

各位お早うございます。2012=平成24年春の彼岸も中日を迎え、今朝の当地は天気晴朗は良いのだが、気温の方は先の厳寒を引きずっての冬モード。本当に「名ばかりの春、名ばかりの彼岸」と言った趣だ。暖房も依然必要で、昨年来悩まされた近隣よりの深夜騒音も、完全に解消した訳ではない。気象情報によれば、来週辺りより春本番の様だが、狼少年にならない事を祈ると共に、今春の桜の見頃も平年よりほぼ1週間~10日程度遅れる事を予め織り込んでおいた方が良いかも知れません。

さて、政治社会の事共を取り上げる事が多い拙欄だが、今回は拙趣味である鉄道交通の話題に言及したく思う。去る3/17(土)、全国JR社の列車時刻改正が行われたのはご存知だろうが、新車登場など新しい話題の一方で、歴戦の勇者や由緒ある夜行列車などが姿を消している。

世間的に、一番インパクトの強かったのが、東海道・山陽新幹線「のぞみ」の先兵となった高速車300系の全面引退だろう。平成期に入ってすぐ、1990=同2年に試験編成がまず登場。ほぼ1年半に亘り、みっちりと試験データを蓄積した後、1992=同4年春より東海道線区にての最高270km/hの高速運転と、東京~大阪間ほぼ2時間半への所要短縮を実現している。当初は、この目標の為、歴史的に全列車の停まった当地名古屋駅を通過する便の設定など、物議を醸した事もあった。ただ、大阪圏にての主な企業の始業に間に合う様設定された運行ダイヤは高く支持され、今日の東海道・山陽新幹線の盤石を築く事となる。

個人的には、「鉄仮面(俺自身は「正義の味方」顔と呼んでいるのだが)」と言われた正面フォルムよりも、「のぞみ」と言う我国最高の特急に相応しい内装の上質さに魅せられたものだ。続く

日中、書きかけにも関わらずコメを下さった方もあり、失礼致しました。夜に入って続きです。

同時に引退した先代車、100系の「おもてなし思想」を引き継いだ優れた装備にて、長時間乗っても疲れ難い座席や、少しく天井が低めであるのさえ気にならなければ、概して優れた居住性は、世界中どこへ出しても恥ずかしくないグレードだったと思う。後「食堂車がいてくれたら」とも思ったものだが、東京~大阪間2時間半程度なら、設けるかどうか微妙な所だったのも事実だろう。

もう一つ、インパクトがあったのが、ある方のコメにもあった通り、大阪と東北を結ぶ伝統の夜行列車「日本海」の消滅だろう。特急として足掛け40余年、急行の頃から合わせると、実に60年を超える時空を、毎晩駆け抜けて来た。1975=昭和50年春の、最後のスタイルとなってからも、早37年を数える。日本海側の方々にその名の通り親しまれ、又、当地近くより発つ最後の群青色の「ブルー・トレイン」編成として強く我心に残る走り姿であった。(今後は、5月連休や盆暮れなどの臨時運行のみ継続される見込みです。)

実は、俺は先日、上り「日本海」の最後の走行シーンを目に焼き付けるべく、滋賀県の琵琶湖西岸まで出かけて参った。上り同列車の最期は、雨のゴールであった。「日本海」の毎日運行は終わっても、その走る魂は、高速列車「サンダー・バード」ややがて開通する北陸新幹線へと引き継がれる事となる。この雨は、「日本海」が次の時代へと繋がる為の、慈雨だったのかも知れない。

006

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする