ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

1時間の座禅を通して崇高な至福感を感得する

2011-02-14 08:21:56 | 座禅

 座禅を行うときに一番難しいと思われることは、如何に一点に集中できるかです。 姿勢、呼吸も大切ですが、心を一点に集中できるかどうかが、座禅を長く続けられるか、楽しめるかの基点になります。

 無心、無欲と簡単に言葉で云うのはやさしいのですが、そのような境地になるのには、先ず心を集中することに邁進することが、大切です。 心を一点に集中する方法としては、ひたすら数を数える方法と、長く吐く呼吸に意識を集中する方法があります。 私は数を数える方法は、行ったことがありませんが、友人が数を数えながら、毎朝歩いているという話を、聞いたことがあります。

 ここでは出来るだけ長く吐く呼吸に、意識を集中することをとりあげます。 普段行っている肺呼吸で、吐く息だけ長く吐く呼吸です。 大きく息を吸います。 胸は拡がり下腹は凹みます。 鼻から息を出すことを一切忘れ、出来るだけ長く吐きます。 1分間に吸う吐くの3回の呼吸を目標にします。 それよりも長くなればなるだけよいのですが。

 全部吐ききろうとすると苦しくなりますので、その寸前で軽く息をまた大きく吸います。 禅宗の呼吸のように息を途中で止めることは、ここでは行いません。 長く吐きながらも、あくまでもなめらかに自然に呼吸を行うようにします。 大きく吸って出来るだけ長く吐く、これをただ繰り返すだけです。

 息を長く吐きながら、下腹にある臍下丹田(自分ではよく分からなくても意識だけはして下さい)を意識して、下腹に息が入るようなイメージをしながら、呼吸を行います。 息が体の中へ入っていくのを追うようにしながら、息だけに意識を集中します。 意外と集中できるのです。

 雑念はいけないといいますが、意識が集中できたときの。ふと雑念は(日常的な問題解決しなければならないような事柄)、振り払わずにちょっと考えてみます。 静かな状態で意識が集中できたときには、不思議なことにその問題か解決できるヒントのようなものを、サジェスチョンしてくれるのです。

 長く吐く息だけに意識を集中しながら、座禅を1時間行なうことができれば、きっとそのうちに崇高な至福感を、感得できることになると思っております。 そうなってきますと、座禅が楽しくなってきますから不思議です。

寝る時に足の裏で呼吸するから鼓動するに変化してきました

2011-02-13 09:50:06 | 座禅

 上を向いてねる時に、足の裏の呼吸を意識していたのですが、最近ではいつの間にか、呼吸するというよりも、臍下丹田が心臓のように鼓動するように、足の裏が自然と鼓動しているようです。

 毎朝歩き始めて半年が過ぎ、いつも足の裏が活性化しているせいか、日常的に熱くジンジンとしております。 そんなことも影響してか、寝る時も足の裏が、自然と鼓動するのかも知れません。

 胡座を組んで座禅をするときには、下腹にある臍下丹田が動いているのです。 足の裏は特に動きはありません。 私の胡座の組み方は、結跏趺坐ではなく半跏趺坐です。 結跏趺坐であれば、足の裏にもう少し反応があってもよいかもしれないのですが。

 自分では意識しなくても、自然と体が変化していくから、不思議な感じがいたします。
心臓から一番遠くにある足の血管が、糖尿病の方は最初に壊死してくることを考えれば、足の裏の活性化は、とても大切なことではないかと、改めて思うのですが。

吐く息の中に心が入るように呼吸法を行う友人

2011-02-12 10:46:12 | 座禅

 友人で毎日お経を暗唱した上で、座禅を行う友人がおります。 時々どうですかと様子を聞くのですが、最近では息を吐く時に丹田を意識したり、吐く息の中に心が入るように、心がけながら呼吸を行っているとのことです。

 蝋燭とお線香をつけて、胡座を組んでいます。 少し前までは眼を瞑っていたのですが、今は眼に力を入れないようにして、半眼で座禅を行っています。 時間は30分から40分位で、特に時間は決めていないといいます。

 時には座禅に深まった感覚にもなり、日常的なストレスから解放され、気持ちも穏やかになったというのです。 人の好き嫌いもなくなり、あるがままに受け止め、細かいことにこだわりも持たなくなったとも、話してくれました。

 友人は信仰心のある方で、一生座禅は続けると云うのです。 身近にそのような友人がいるのも、嬉しい限りです。

臍下丹田はどこだろうと思いながら座禅を行っていましたー2

2011-02-10 09:06:41 | 座禅

 今では私の臍下丹田は、自発動という気が充実し勝手に動いてしまうことがきっかけで、いつも心臓のように鼓動しておりますので、何処にあるかは分かっておりますが、当時はあるらしい程度で、どのような感じなのかも皆目分かりませんでした。

 吐く息だけを出来るだけ長く吐く呼吸。 長く吐こうとした時に、自然に吐く息を体の中へ(イメージで)吐いていました。 それも自分自身で吐く息が、体の中へ入って行くのが確認出来るように、息音をたてながら吐いていました。

 ところが級友から、もう少し静かにしなさいと注意されたのを機会に、今度は出来るだけ静かに、吐く息が殆んど聞こえないように、吐くことになったのです。 

 胡座は普通の足の組み方でした。 誰かから教わったわけではないのに、座禅をしながら、臍下丹田は何処だろうと思いながら、ひたすら吐く息を長く吐いておりました。

 初めて座禅を始めてから1ヶ月半になったときに、ある日、突然に自発動が起こり下腹が動き出したのです。 丁度イメージで下腹を斜め上から、眺めているときでした。 分らないにも関わらずに、臍下丹田が活性化するようにも、念じながらの呼吸法でした。

 決して全てのことが分かっていたわけではなく、ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐きながら、体の微妙な変化を楽しみながら、座禅を行っていただけなのです。 

 座禅の良さは、吐く息を長く吐くことによって、吐く息を体の中へイメージで吐くことによって、45分から1時間座禅を続けていけば、自然と脳を癒してくれ崇高な感覚になり、全てのストレスから解放されることです。 いわゆる至福感が感得できるのです。 

 私は修行するという感覚を持って、座禅を行ったことはありません。 体の微妙な変化を楽しみながら行ってきただけですが、座禅を通して様々なものを、宇宙の叡智からそっとサジェスチョンを、受けていたようにも感じております。

臍下丹田はどこだろうと思いながら座禅を行っていました

2011-02-09 08:12:38 | 座禅

 生まれて初めて座禅を始めた当初、自宅で真っ暗闇の中で1時間の座禅を行っていましたが、いつも下腹にあると云われた臍下丹田は、どこにあるのだろうかと思いながら、吐く息を出来るだけ長く吐いておりました。

 私は気功の方の静かな功である静功が、あぐらを組んだ最初のスタートでした。 中国人の先生は子供のころから気功を行っていましたが、意念法という静功のやり方を、私達に教えていました。 特に胸の中心にある中丹田が、熱く燃えるようなイメージで、意守しなさいということでした。

 私はなんとなく胸を意識するというより、とにかく普段行っている呼吸で、吐く息だけゆっくりと吐いていました。 また胸というよりも下腹の臍下丹田の方を、意識していたのです。

 静功の会では、呼吸法のことは一切話はなく、意識だけで意念するということを、先生は強調していましたが、私は関係なく自分なりに、無我夢中で吐く息を出来るだけ長く吐いていたのです。

 すると生まれて初めて座禅を行ったにも拘わらず、頭のてっぺんの百会が活性化し、丁度、電子の輪の帽子を被っているような感じになったのです。

 静功の会は8人前後の参加者がおりましたが、呼吸法を行いながら胡座を組んでいたのは私だけのようで、後日3回目の静功の会が終了した後で、級友からもう少し静かにしながら座禅をしなさいと注意されたのでした。

 このことが、実は次のステップに進むきっかけにもなったのです。

胎息とは気の呼吸をいいます

2011-02-08 14:34:46 | 胎息

 胎息について様々な意見が述べられていますが、私は自分の体験から、下腹にある臍下丹田を中心とした気の呼吸のことを、胎息というのだと感じております。

 私達は誰でもが、お母さんのお腹のなかにいたときには、胎息という気の呼吸を行って生長してきたのです。 宇宙に無尽蔵にある気の呼吸を行いながら、また気を通して胎外での出来事を感じながら、成長してきたのです。

 想像するに、この地球上にまだ酸素がなかった時には、生物は無尽蔵にある気のエネルギーを吸収しながら、生きていたのではないかとも思っております。 植物や動物もそのようにして、比較的静かに生きていたのではないかと、思っています。 酸素を吸う呼吸が出来るようになって、活動的になったのではないでしょうか。 

 臍下丹田は活性化すると、心臓のように鼓動をはじめます。 私たちの心臓が血液を全身に送るように、臍下丹田から体中の経絡(気の通る道)を通して、送るのです。 

 宇宙の気を吸う部位は、頭のてっぺんにある百会や足の裏の湧泉を主として、体中に存在する気のツボ(経穴)でも、呼吸を行います。 

 胎息は吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸によって、生来持っていた気感を取り戻し、ある時期に感得出来るのです。

深夜の半身浴と1時間の座禅・早朝の50分のウオーキングの毎日

2011-02-07 15:46:24 | 健康

 朝が早いので事務所から家に帰ると、夕御飯を軽く食べてから、直ぐに布団を敷いておき、すぐにでも寝れる体勢で家族とテレビを見ます。 嵐の番組であれば、いつもより長くなりますが、大抵は直ぐに眠くなり、寝てしまいます。

 無圧布団に羽毛の掛け布団で、羽毛の枕で寝ます。 体の中を小周天する気の流れを感じながら、あっという間に寝てしまいます。 お風呂は家族のお風呂に入る順番から、夜中に起きてから半身浴を行うのです。

 布団のなかに入ると、ちょっと冷やっとするのですが、すぐに温まってしまいます。 足の裏からは自然と気を吸うことになります。 両足は開き、両手は軽く握って、体から離して寝ます。 

 歩くようになってからは、腰が痛くなって眼が覚めることもなくなり、深夜にトイレに行きたくなって、目が覚めます。 トイレから出た後は、お風呂に入って半身浴です。 十分汗がびっしょりになったら、お風呂から出ます。

 吹き出る汗を拭いた後は、布団の上で座禅を行います。 真っ暗闇の中で、ひたすら座禅です。 もっぱら胎息での座禅です。 体の中を小周天する気の動きを感じながらの座禅です。 初めは脳を硬く刺激し、次第に緩やかに優しく刺激する感覚を楽しみながらの、1時間の座禅です。

 そんな感じで毎日のサイクルが回っているんです。 歩きの最後には、朝日に向かって暫しの時間、太陽に恵みを頂いております。

理屈で理解できなければ前に進めない人は座禅は無理かも

2011-02-06 11:03:09 | 座禅

 私の友人にも理屈でものを考え、自分自身で十分に納得できなければ、前に進めない方がおります。 その方の理屈を形作ったのは、それまでの体験や人生経験からのはずですが。

 また、様々な事柄をメリット・デメリットを取り上げて、考える方がおります。 そのような方も残念ながら、座禅には踏み入ることはないと思われます。

 座禅はやってみなければ、その良さは分かりません。 座禅を行うきっかけがあれば、その機会を失わず実践することが、とても大切なことなのです。 私は、たまたま大学のクラス会で、千葉に住む級友が私の近くで、静功の会に参加することにしたという話を聞いたのが、座禅を始めるきっかけだったのです。

 2ヶ月結構高い授業料を払って、週に1回3時間の静功(座禅)の会に参加しました。 当時、私自身は胸にちょっとした違和感があり、知人の看護婦さんに病院とか検査方法について、話を聞いておりました。 足の付け根からカテーテルを挿入して、心臓を検査する方法でした。

 できることなら気功で治せないかなあとも思いながらも、高い授業料を考え、しばらく躊躇したことを思い出します。 結果的には、級友に声をかけてもらったことを、感謝しております。

 私は何事も、先ず体を動かしてみます。 それは自分は何も分らないからです。 先ず行動し、それから考える人間です。 自分のそれまでの拙い経験などは、まだ知らない世界から比べれば、比較にならないからではないかとも感じます。 

 呼吸法を伴いながら自分一人で、我が家の布団の上で胡座を組んでいただけですが。 夜はとなりの部屋では家族がテレビを見ており、その音が聞こえる中で、真っ暗闇にした部屋で、ひたすら座禅を行っていました。 毎日1時間は行っていました。

 昼間は、まだ呼吸法に慣れていませんでしたので、電車で浅く座りながら眼を軽く瞑って、吐く息を出来るだけ長く吐いていました。 告別式で寒い中、立って弔辞を聴きながら呼吸法を行ったこともあります。 
 座禅はお寺で行うものと思っておられる方が多いと思いますが、私たちの日常生活の中で、いかに生活のリズムの中に取り入れるかが、とても大切ではないかと感じています。 それは何事もそうです。



営業のあり方をいいちこの営業マンの話から学ぶ

2011-02-05 14:31:31 | 文化
 
 先日スナックで出会った焼酎のいいちこの営業マンが話す内容について、改めて企業の営業マンの教育のあり方に、学ぶことがありました。 会社に入って初めは製造部門で仕事をし、3年経ってから営業部門になったというのです。

 よく考えてみれば、その会社の製造や建設部門を熟知したうえで、その会社の営業をするのが一番なのです。 先日もある会社に入社したばかりで、営業をする方が私のところにこられましたが、その会社の内容も分からずして、どうして心から営業が出来るでしょうか。

 仕事の内容も分からなければ、何を持ってお客さんの所へ行って、営業するんでしょうか。 学校を卒業したてのフレッシュマンとしても、営業のやり方など分かるものではありません。 またその方の人間としての魅力も、あるものではありません。

 私の友人の息子さんも、大学卒業と同時に入った事務機器の会社を、1年も経たずに辞めてしまった話も、聞いております。

 いいちこの営業マンの方は、昼間営業した後は、今度はいいちこをお店に置いてある飲食店を客として訪れ、自分の会社の商品の使われ方の様子を見て、多分、会社に報告し、それをまた製造部門に反映させていくという、やり方を行っているのではないかと、思わせています。

焼酎を日本酒のように熱燗で呑む

2011-02-03 10:29:54 | 文化

 昨日は国立まで足を伸ばして、お客さんと行きつけ駅前のスナックAで、いつものように麦焼酎の「いいちこ」を、ロックで呑んでいました。 するといいちこの営業の方が、一人でこられてボトルを入れていました。 

 聞けば今日は5軒目だということで、水で薄めて呑んでいました。 営業本部は大分にしかなく、時々営業も兼ねて関東方面に、出張でこられているというのです。 日本酒やワインも造っているということも聞きました。

 私はどちらかというと芋焼酎のほうが好きですが、麦であれば壱岐の玄海酒造の焼酎が好きです。 それを氷で割って十分冷えてから呑むのです。 芋も同じように氷だけで呑みます。

 すると隣に座った柳葉敏郎風の方が、九州に7,8年転勤で行った経験から、焼酎を熱燗にして呑むのが、一番美味しいんですよと話しかけてこられました。 それも焼酎6対水4の割合で予めお燗に入れて、温めるというのです。

 私はどんなアルコールでも水で薄めるのは好きではありません。 せめて氷で割って、できるだけそのお酒の持っている良さを、感じながら呑みたいと、いつも思っているのです。 勧められるままに温まった水入りの麦焼酎を呑んだのですが、結構いけるではありませんか。

 九州では、一杯呑みに行こうという話しかけはなく、語りに行こうというのが、お誘いの言葉だということも、聞きました。 深夜まで楽しいひとときでした。