ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

理屈で理解できなければ前に進めない人は座禅は無理かも

2011-02-06 11:03:09 | 座禅

 私の友人にも理屈でものを考え、自分自身で十分に納得できなければ、前に進めない方がおります。 その方の理屈を形作ったのは、それまでの体験や人生経験からのはずですが。

 また、様々な事柄をメリット・デメリットを取り上げて、考える方がおります。 そのような方も残念ながら、座禅には踏み入ることはないと思われます。

 座禅はやってみなければ、その良さは分かりません。 座禅を行うきっかけがあれば、その機会を失わず実践することが、とても大切なことなのです。 私は、たまたま大学のクラス会で、千葉に住む級友が私の近くで、静功の会に参加することにしたという話を聞いたのが、座禅を始めるきっかけだったのです。

 2ヶ月結構高い授業料を払って、週に1回3時間の静功(座禅)の会に参加しました。 当時、私自身は胸にちょっとした違和感があり、知人の看護婦さんに病院とか検査方法について、話を聞いておりました。 足の付け根からカテーテルを挿入して、心臓を検査する方法でした。

 できることなら気功で治せないかなあとも思いながらも、高い授業料を考え、しばらく躊躇したことを思い出します。 結果的には、級友に声をかけてもらったことを、感謝しております。

 私は何事も、先ず体を動かしてみます。 それは自分は何も分らないからです。 先ず行動し、それから考える人間です。 自分のそれまでの拙い経験などは、まだ知らない世界から比べれば、比較にならないからではないかとも感じます。 

 呼吸法を伴いながら自分一人で、我が家の布団の上で胡座を組んでいただけですが。 夜はとなりの部屋では家族がテレビを見ており、その音が聞こえる中で、真っ暗闇にした部屋で、ひたすら座禅を行っていました。 毎日1時間は行っていました。

 昼間は、まだ呼吸法に慣れていませんでしたので、電車で浅く座りながら眼を軽く瞑って、吐く息を出来るだけ長く吐いていました。 告別式で寒い中、立って弔辞を聴きながら呼吸法を行ったこともあります。 
 座禅はお寺で行うものと思っておられる方が多いと思いますが、私たちの日常生活の中で、いかに生活のリズムの中に取り入れるかが、とても大切ではないかと感じています。 それは何事もそうです。