私はいつも座禅のふと浮かぶ雑念のなかで、禅宗で行われている腹式呼吸が、自然な呼吸法であるのだろうかと、考えてしまうのです。
私自身は初めて座禅(静功)を行った時に、無我夢中で普段行っていた肺呼吸を、吐く息だけをできるだけ長く吐いていただけなのですが、結果的にその呼吸が、逆腹式呼吸につながり、更にそれが胎息という呼吸に、つながって行ったのです。
別に全ての道筋が分かっていたわけではなく、無我夢中で吐く息だけをゆっくりと吐き、1時間の座禅を行っていただけなのです。 勿論、当初はガンに罹った友人の無事を願い、3時間の座禅を行っていたこともあります。
はじめは吐く息が体に入っていくのを、自分自身が体感するためにも、息音が聞こえるように吐いていました。 その後、一緒に座禅を行っていた級友から、息音がうるさいと注意され、その後は、出来るだけ静かに息を吐くようになったのです。
出来るだけ静かに、また長く吐くようになった時に、本で胎息という言葉に出会ったのです。 本には具体的には、その内容については書かれてはいませんでした。 どんな呼吸の仕方だろうと思いながらも、座禅だけは続けていました。
ある時、息は吐いているつもりなのですが、空気ではなく宇宙の気の呼吸をしているのではないか、ひょっとしたら胎息とは、私達がお母さんのお腹のなかにいたときの呼吸で、気の呼吸ではないかと感じたのです。
試しに息を止めてみたのです。 勿論、私の下腹にある臍下丹田は、活性化し心臓のように鼓動はしておりました(前にも書きましたが、座禅を始めて1ヶ月半で自発動を伴いながら、鼓動を始めたのです)。
息を止めてかなりの時間が過ぎ、もういいだろうと息を吸いました。 その時すごく苦しさを感じたのです。 多分、私達がお母さんのお腹から生まれ出てくるときに、「おぎゃー」という鳴き声をあげますが、その時の苦しさのようなものを感じたのです。 お腹の中で行っていた気の呼吸から、生まれ出た瞬間から空気を吸う肺呼吸に変わるギアチェンジする感覚でしょうか。