唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
24日は、50/50
Nikon Rumorsによれば、24日(5日後のこと!)の発表は50/50、つまりフィフティ-フィフティとのこと。何が50/50かと云えば、DSLR(デジタル方式一眼レフ)とミラーレス一眼が発表される可能性がフィフティ-フィフティなのだと云う。
まっ、いずれにしても何か、つまりだ、D3後継、D700後継、D300s後継、そしてまったく新しレンズ交換方式ミラーレスカメラ、4機種の内のどれかが発表されるのでしょう。そして残りは9月に発表される「かも」知れない。
でもだ、SankeiBizのBusiness Liveには、まだニコンの発表会の情報は掲載されていないのです。
危ないから、止めましょうね
他人の子供はともかくとして、自分の子供が可愛くない、大切ではないと思う親がいるとは、普通には想像できない。まっ、今どきは自分の子供に食事を与えず餓死するまで放置したり、暴力を振って殺してしまう親もいないことは無いけれど。
そんな酷い親ではないはずなのに、普通に自分の子供を可愛がり、家族旅行を楽しんでいる中で、一歩間違ったら子供の首が飛んでしまうかも知れないことを、平気でしている親を、久し振りに見た。それも複数。
クルマのサンルーフが流行り出したのはもう20年以上も前の事だと思うけれど、当時は法的なシートベルト着用義務がなかったこともあるけれど、走行中のクルマのサンルーフから顔や上半身を乗り出して得意顔の子供と、子供の親であろうドライバーの姿を結構見かけた(ちなみに郷秋<Gauche>はELR付のシートベルトが装備されたクルマを買った1985年以降、法規制とは関係なく常にシートベルト着用。子供用にも当時はかなり高価だったチャイルドシートを用意した)。
そんな20年前ならいざ知らず、先週末、開放したサンルーフから子供が顔や上半身を乗り出しているのに、平気でクルマを走ら得ている、その子らの父親であろうドライバーを、久し振りに見かけた。
もしも前車が急停車したら、人や自転車の飛び出し、落下物を避けるために急なハンドル操作や急ブレーキをかけたら、サンルーフから身を乗り出している子供がどうなるか、考えたことがないのだろうか。車外に投げ出されて全身を打つか、クルマのルーフにより「ギロチン」となることは必至である。どうしてそんなことを平気で出来るのか、郷秋<Gauche>には俄かに信じられない、背筋が寒くなる光景であった。
例によって記事本本とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて、先週末に訪れた富士山麓青木ケ原樹林で撮影したもの。人がひしめく富岳風穴の入口からほんの100メートルも歩くと、ひっそりとした青木ケ原樹林を楽しむことが出来る。せっかくここまで来て、この静かで力強い自然の営みを、どうして見ようとしないのか、郷秋<Gauche>にはまったく理解できない。
ニコンのミラーレス?
まずは、元ネタであるNikon Rumorsのページをご覧いただきたい(Click here)。
実にクリーンで好ましい、まさに郷秋<Gauche>好みのデザインであるが、Nikon(ニコン)P300を元にした”Photoshoped”であることは一目瞭然。タイトルにはモックアップと書かれているが、存在するのはディスプレイの上だけの事だろう。
P300との最大の違いは、P300であればビルトインのレンズがあるべきとことにレンズではなくレンズマウント、その奥にCMOS(CCDではなく、多分CMOS)が見えていることである。しかしこのCMOS、何故か若干傾いて取付られている。郷秋<Gauche>の記憶によれば、Nikon Rumorsのこちらのページに掲載されていたCMOSの傾き加減と実によく似ている。
もう一つ のP300との相違点は、レンズマウント部の上部に飛び出した、EVF(電子式ビューファインダー)のものだと云う、突起部分である。三次元のカメラ(モックアップ)を撮影したのではないのが一目でわかる、いかにも取って付けたような処理はいただけないが、それ以上にどうしてこんな中途半端な突起なのか、郷秋<Gauche>には理解できんぞ。これじゃカメラのケースを作るメーカーが苦労することになるし、だいたい、ぶつけて破損させてしまうことになる。デザイン以前の問題として失格である。
持ち運びの事だけを考えれば、カメラは小さくて軽いにこしたことは無いのだが、実用に供すことを考えると、一定以上の大きさと重さ、そして何よりも持ちやすい形状が必要となる。勿論ニコンのことだから、そのあたりはしっかり押さえてデザインして来ることとは思うが、例えば既存のDSLRやCOOLPIXとのデザインの関連性と云うのか一貫性と云うのか、ニコンデザインのアイデンティティがどのよう活かされるのか楽しみである。
例によって記事本本とは何の関係もない今日の一枚は、先週末に訪れた富士山麓青木ケ原樹林で撮影したもの。溶岩石の上に苔が生え、そこの上に落ちた種が芽を出し葉を出し始めている。自然の営みは力強くそして不思議だ。
月並み写真
「月並み俳句」と云う言葉がある。どうやら正岡子規が使いだしたらしいのだが、旧来の、花鳥風月を詠んだ、所謂伝統的な俳句を古臭くて平凡な俳句であると評した言葉である。果たして写真の世界で「月並み写真」と云う言葉が一般的なのかどうかは知らないが、郷秋<Gauche>は、「月並み俳句」並みの「月並み写真」はあると、思う。
例えば今の季節、見渡す限りのひまわり畑の写真を目にすることが多い。
こう云う写真を見ると、郷秋<Gauche>は「あぁ、月並み写真」と、時に声を出して云ってしまうこともある。まったくつまらない、どこにでも転がっている文字通りの「月並み写真」である。
10年程前に定期購読した樹木に関する本があった。月刊百科と云うのだろか、毎月特定の樹木について書かれた冊子が届き、24か月でひとセットの樹木百科になる趣向の本なのだが、気が効いたことに、毎号、特集された樹木を撮影する際のアドバイスに1ページが割かれていた。今でも覚えているのは「白樺」の特集号のアドバイスである。そこには「まず、美しい白樺林を探すことである」と書かれていた。郷秋<Gauche>は開いた口が塞がらなかった。美しい白樺林に行けば、誰にでも美しい白樺(林)の写真が撮れる。(勿論テクニックの問題はあるが)間違いのない事実で、突っ込み所も無いのだが、しかしだ、それじゃアドバイスになっていないだろう。
話が脇道にそれたが、例えば今の季節だとひまわり、9月になると彼岸花、10月にはコスモスと、咲き誇る花の名所に写真を撮りに出かける人が多いが、出来た作品の多くは「月並み写真」である。何事も真似から始まることに異論はないが、その真似から抜け切れないのでは、いつまで経っても「月並み写真」のままである。奇を衒うと云う事ではないが、人が行かないところ、撮らない所で撮ってこそ、感性と技術が磨かれるのではないかと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
さて、既にご覧いただいた今日の「月並み写真」は、郷秋<Gauche>が山中湖の「花の都公園」で撮ったもの。生憎富士山がほんのうっすらとしか見えない天気だったので、富士山は入っていない。これでバックに富士山が入っていれば完璧な「月並み写真」である。まっ、誰が撮ってもこんな感じには撮れる、並みの「月並み写真」なので、嬉しいことに、いくつもの突っ込み所がある。間違い探しではないが、どこがダメなのか考えてみて欲しいい。こういう風に、人の写真を見て、自分ならこう撮るぞと、突っ込みを入れてみるのは写真上達のための一つの方法である。
それでは早速、自ら突っ込みを入れてみよう。まず、ひまわりの葉で光が反射して見苦しい。これはPLフィルターを装着して、余分な反射光をカットすることで解決できる。次に、ピントが合っていなければならない手前のひまわりに「ボケ」ているものがある。これはレンズの焦点距離と絞りによって決まる「被写界深度」の問題だが、もう少し時間をかけてこの二つの要素を吟味することで、あるいは横一線にひまわりが並んでいる場所を探すことで解決できる。
PLフィルターを使って、しかも絞り込むとシャッタースピードが遅くなる。当然手振れの可能性が高くなるから三脚とリモートスイッチを使いたいところである。いずれにしても、お手軽に、短時間で、ついでのように撮るとなれば、出来上がった写真は突っ込み所満載の一枚となる。「月並み俳句」と呼ばれようとも、完璧な「月並み俳句」であれば子規も突っ込みようがなかったかも知れない。同様に、「月並み写真」ではあっても、やたらには突っ込まれないように、ブレと不要な反射光をカットし、構図、ピント位置、露出補正、ホワイトバランスに気を付けて、せめて「完璧な月並み写真」を撮れるようになりたいものである。
「松」クラスNikkor 標準ズームのいでよ
Nikkorとは、勿論Nikon(ニコン)のカメラ用交換レンズの名称である(ちなみに最近はこのニックネームを廃し、型番だけの味気ない名前のレンズが多い)。
郷秋<Gauche>は最近の記事の中で、廉価版DSLR(デジタル方式一眼レフ)にも、より高性能な(でかつ見栄えの良い)標準ズームレンズを使うのが良いと幾度もに書いている。具体的にはAF-S 18-70mm、同16-85mm VR、同18-200mm VR(いずれもDXフォーマット用)の使用を勧めているのだが、実はAF-S 18-70mmは既に製造・販売が終了しており、中古でしか入手のチャンスがない。
また、AF-S 16-85mm VRは7万円程度、18-200mm VRは8万円程と、D3100ボディの倍ほども高価なのが珠に傷である。4万3千円程度と、価格的には良さそうなAF-S 18-105mm VRがあるが、郷秋<Gauche>はこのレンズは余りお勧めしない。郷秋<Gauche>的にはNikkorレンズを、クォリティによって次の5段階に分けるのが良いと考えている。
超特松クラス:F2.8よりも明るいレンズで、鏡胴前部に金のリングが描かれている。キヤノンの「L」に相当する。
特松クラス:ズームレンズでもF値が全ズーム域通しで4、マウント部が金属製かつ距離指標窓を有する。
松クラス:マウント部が金属製で距離指標窓を有する。
竹クラス:マウント部がプラスチック製で、フォーカス時に鏡胴前枠が回転しないもの。
梅クラス:マウント部がプラスチック製で、フォーカス時に鏡胴前枠が回転するもの。
郷秋<Gauche>的には、ニコンDSLR最廉価のD3100でも松クラス以上のレンズを使って欲しいのだが、生憎、現在このクラスに属する標準ズームレンズがないのだ。良さそうに思えるAF-S 18-105mm VRもマウント部がプラスチック製なので竹クラスである。そこで、やっぱりお勧めなのが既に廃番となったAF-S 18-70mm F3.5-4.5である。
このレンズはマウント部が金属製で距離指標窓を有することから松クラスに分類されるのだが、レンズマウント部に防塵防滴のためのゴム製のプロテクタが付く。このプロテクタは16-85mm VRや同18-200mm VRにも付く、上級レンズ用の装備で、F値は4固定ではないが、限りなく特松クラスに近い松クラスクなのである。
さて、6月9日に「いつからニヤケた?」と云う記事を書いてD5100の写真を掲載したのを覚えておいでの方はおられるだろうか。実はこのD5100は息子のために買ったもので、既に郷秋<Gauche>手元にはない。息子に手渡した時には間に合わなかたのだが、数日前に入手することが出来た18-70mmを、昨日、ようやく18-55mmの代わりに付けてあげることが出来た。
この松クラスレンズのお陰で、ファミリーユースなD5100も、上級者のサブカメラのような見栄えになり、更に望遠側が82mmから105mmに伸び、ボケ味も多少期待できるようになった。勿論、各種の収差、周辺光量落ち等、レンズの基本性能もそれぞれ少しずつ向上しているはずである。VRが無いのがスペック的に少々さびしいが、18-70mmと云う焦点距離からは無いならないで、ある程度テクニックでカバーできる装備である。
しかしだ、松クラスクの標準ズームレンズが用意されていない今のNikkorのラインナップは大いに問題であるなぁ。レンズキット用として廉価な18-55mmは不可欠だとしても、一刻も早く松クラスで比較的廉価な、金属マウントで、かつ距離指標窓を装備した、例えば18-70mm VRを用意するべきだろうな。
と云うわけで、今日の一枚は既に廃番となり中古でしか入手できないAF-S DX 18-70mm F3.5-4.5。フォーカスリングがやけに汚いことに気付かれた方は「鋭い」。実は訳あって、実用に供することの出来ない不動のレンズなのである。トホホ。
寒かった!
余りの暑さに耐えかねて、ちょっと北海道まで涼みに行ってきました。と云いたいところですが、土日の一泊二日ゆえ、ほんの近場、山中湖(^^; 昼間はクーラーが必要な程の暑さでしたが、さすがに日が暮れるとめっきり涼しくなり、夕食時からはもう窓から入る涼やかな風だけで十分でした。
今日はもう少しクルマを走らせて富岳風穴まで行ってきました。11時頃になると地上はそれなりの暑さになりますが、地下に穿たれて穴に潜り込むと、そこは別世界。涼しいを通り越して、文字通り寒い程。洞内の温度「0度」との看板が出ていましたが、それもうなづける、氷の世界でした。
ヨドバシの回し者ではありませんが・・・
いま、yodobashi.comで、Nikon(ニコン)のD3100がめちゃくちゃ安いんです。18-55mm(35mm判換算で27-82mm)のレンズが付いたキットが何と44,700円(ボディのみも同価格の不思議!)。さらにポイントが13%分付きますので実質38,889円です。キット以外に必要なものはレンズ保護のフィルター(グレードの高い物でも2千円程度)とモニターの保護シールくらいですね。
7月に掲載した標準レンズ考(上・下)にも書いたけれど、キットの218-55mmのコストパフォーマンスは抜群に高いので、そのまま使っても良いけれど、できればもっと高性能で見栄えも良い物に買えたいところではあります(詳しくは標準レンズ考(上・下)を参照ください)。もし、もっと上質なレンズを購入するとなるとキットのレンズが不要になりますが、その場合には、お近くのカメラのキタムラなどで買い取ってもらいましょう。
キタムラのサイトで調べると、未使用のまま買い取ってもらう場合には最高5,220円と出てきます。これが本当だとすると、D3100のボディが実質33,669円となります。一眼レフがどうしてこんなに安いのか、郷秋<Gauche>には理解できません。まったく不思議なくらいの安さです。(買い取り価格については保証しかねますので、気になる方はご自分で再度リサーチしてみてください)
実は郷秋<Gauche>も、このD3100をうっかり買いそうになってしまったのでありました。クレジットカードの番号も入力し、「注文確定」のボタンを押す寸前に「ところでD3100をいつ、どう云うシチュエーションで使うんだ?」と自問自答して、結局出番はないだろう事に気が付いた。いくら安いからって、使う当てのない物を買う必要はないですよね(^^;
今日の一枚は、D3100の前の前のモデルであるD60。レンズは郷秋<Gauche>お勧めの18-70mm F3.5-4.5Gを装着している。奥に見えているのは30年前のニコンのラインナップの中では今のD3100+18-55mmに相当する、EM+Series E 50mm F1.8。当時の価格はセットで8万円程であったと記憶している。D3100の何と安いことか!
ニコンから今年3台のDSLRがリリースされる
Nikon RumorsにNikon(ニコン)の新しいAFシステムについての記事が掲載されていた。興味を持たれた方はこちらをご覧頂あれ。で、郷秋<Gauche>としてはこの記事の最後の方にあったセンテンスが非常に気になった。そこにはこう書かれている。
It is implemented in all 3 DSLRs that will be released this year.
それ(新しい高速AFシステム)は、今年リリースされる3台のDSLR(デジタル方式一眼レフ)に導入される。
まったくさりげなく、さらりと書かれているが、実に重要なこと、しかも断定的に書かれている。
8月24日に発表されるであろう新製品について、D3とD700の後継機だとか、D700じゃなくてD300sの後継機だとか、いや、DSLRに関する精度の高い情報が洩れてこないところを見るとCOOLPIXなのではないかなど、いろいろ囁かれているが、8月24日に発表されるかどうかは別にして、少なくとも2011年中に3台のDSLR(つまりD3とD700とD300s後継機だ)が登場することはまず間違いないようである。
内容的にも収益的にも重要なモデルを一気に3台もリリースとは、今年のニコンは随分と大盤振る舞いだなぁ。あっ、そうそう、昨年9月に登場したD3100の後継機、D3200が12月のボーナス商戦に合わせて登場する可能性もあるから、4月に登場したD5100と合わせると2011年には5台ものDSLRが登場することになる。何とも賑やかな2011年である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、ニコンFマウント標準レンズ三態。ニッコールの、ではなく「ニコンFマウント」と書いたのは、真ん中の1本が、ニコンFマウントではあるがニコン製ニッコールではなくCarl ZeissブランドのPlanar(プラナー)T* 1.4/50 ZFだから。手前は現行のAFニッコールの標準レンズ、AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G、奥がMF時代の中堅(上にF1.2が控えている)、Ai Nikkor 50mm f/1.4S。「MF時代の」と書いたが、実は現在も販売が続けられている現役である。
標準レンズと云えば、それはもう間違いなく標準ズームレンズである昨今、標準(単焦点)レンズであるAF-S NIKKOR 50mm f/1.4Gは実にコンパクトで、普段18-200mm VRIIを愛用し、カメラボディを握らずにこのレンズ鏡胴を握って持ち上げる癖がついてしまった郷秋<Gauche>には、心細い程の小ささだが、MFにしては大柄なCarl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZFと比べると二回り程も大きいし、Ai Nikkor 50mm f/1.4Sと比べると、子供と大人の違い程もある大きさである。
京都「大文字」の非常識
京都の夏を彩る「五山送り火」のひとつであり、最も有名な「大文字」の送り火で、3.11大震災で被災した岩手県陸前高田市の松の木でつくった薪333本が燃やされる計画が、放射性物質がまき散らされるからと中止になった。その後、この中止は撤回され、「大文字」を含め五山すべての送り火で陸前高田市の松の木の薪が使われることとなった。
福島第一原発と陸前高田とは直線距離で150km以上離れている。その陸前高田の被災松を使うことにより京都の街に放射性物質がまき散らされるからと、何の根拠もなく反対した人の常識と判断は、福島から首都圏に避難した小学生に対して「放射能は近寄るな」と苛めた子供と同程度と云う事になるだろうか。
このまったく破廉恥な「大文字」に対して、福島県北部の伊達市(原発からの距離はあるが放射線量の高い飯館村の北に位置する)は「風評被害を拡大するものだ」としてすぐさま抗議。京都市に対しても適切な指導をするよう申し入れた。当然のことである。
結果として陸前高田市の被災松が受け入れられることにはなったが、「結果オーライならそれで良し」では済まされない。このようにして中国人が、韓国人が更に同じ日本人でありながら特定の地域出身者が差別されてきたのであろう。こう云った差別は関東よりも西の地域、取り分け関西地区で強いと聞いていたが、まさか3.11の被災者・地までもが差別されようとは夢にも思わなかった。
すべての京都人がそうだとは思わないが、そのような土壌のある地域であることは事実なのだろうな。残念なことである。
今日の一枚は、一昨日、墓参の後に立ち寄った甲子温泉(かしおんせん)から少し下ったところから北方を見た図。山麓に広がるのは白河高原牧場とのこと。何の根拠もなく人や地域を差別する破廉恥な行為に対する憤りを静めて余りある、爽快な、癒しの眺めである。これが郷秋<Gauche>の故郷、美しいFUKUSHIMAである。
現役とOBは別物でしょう
4、5日前の神奈川新聞に、神奈川県内の老舗大学、K大学山岳部がヨーロッパの名峰、モンブラウン、マッターホルンに遠征するという記事が掲載されていた。今どきの大学生にも、困難に自ら立ち向おうと云う、前向きな意欲ある者がいるのだとちょっと感心しながら記事を読んだのだが、実はまったくがっかりな話であった。
「K大学山岳部遠征隊」と云いながら、現役大学生は1名のみで、他の4名は62歳の隊長はじめ全てOBなのだと云う。しかもその隊長が「名峰に挑戦するナントカカントを若い世代に伝えたい」とコメントするに至っては、これはもう「K大学山岳部遠征隊」ではなく「K大学山岳部OB遠征隊」に現役学生が一名参加・同行する話ではないか。「K大学山岳部がヨーロッパの名峰に挑戦」とはまったくインチキな記事であったのだ。
郷秋<Gauche>の母校の山岳部が部員不足から廃部となって10年以上が経つと聞いている。3Kの代表格のような山岳部が大学から消えて行くのは自明の運命だろう。そんな山岳部をOBが盛り立てたいと云う気持ちは判らないではないが、それならば初めから潔く「K大学山岳部OB会」を名乗ってOBの心意気を示せば良いこと。OBが現役の名を借りて活動し、その活動を新聞にまで売り込んで記事にしてもらうとは、ほとんど詐欺行為ではないかと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、郷秋の父の実家に掲げられている祖父母、伯父の肖像画。以前には四切程の大きなものがかけてあったが、改築を機に複写した2L程の写真に架け替えた由。ちなみに伯父は、軍服姿からもわかるように戦死しているため、勿論郷秋は会ったことが無い。
お気づきの方もおられたかと思いますが、郷秋は先週土曜日から帰省しておりました。帰省中の最大のイベントは郷秋の父方の祖父母他親戚の墓参り。矢祭町にある墓に参り、白河市西方の甲子温泉に一泊し、白河市内にある親戚の墓参りをして郡山に戻ると、トリップメーターは200km近くになっておりました。福島県は県としては岩手県に次ぐ面積を誇る大きな県なのです。
続・田舎は良いです
福島県東白川郡塙町にある「道の駅はなわ(通称:天領の郷)裏を流れる久慈川です。まさに「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」の川はもう少し小さな川でしょうか。久慈川は鮎釣りの川として有名です。郷秋<Gauche>のルーツの町、矢祭町東舘はここより10km程下流にあります。
矢祭町、矢祭もったいない図書館関連Site & blog
矢祭町役場
矢祭町Wikipedia
タダで図書館を作る方法(「郷秋の独り言」内の記事)
タダで図書館を作る方法(続報)(「郷秋の独り言」内の記事)
矢祭町図書館、1月14日開館(「郷秋の独り言」内の記事)
矢祭町「もったいない図書館」(「郷秋の独り言」内の記事)
矢祭町「もったいない図書館」(その2)(「郷秋の独り言」内の記事)
矢祭町「もったいない図書館」(その3)(「郷秋の独り言」内の記事)
那須屋(矢祭町にある田舎宿屋)(「郷秋の独り言」内の記事)
キャンパスが別でも小中一貫校?
数日前、神奈川新聞が、慶応義塾の「小中高一貫校」が、郷秋の地元、横浜市青葉区に、2013年に「ようやく」開校することを報じていた。「ようやく」と書いたのには訳がある。当初の計画ならば、とっくに開学しているはずであったのだが、堅実でなければならないと云う学校法人の資産運用の暗黙の内の掟を破り、慶応義塾はハイリターンではあってもハイリスクな金融商品に手を出していたのである。
「上手く行けば」ハイリターンであったはずの皮算用は、リーマンショックによって見事に当てが外れ、慶応義塾は100億円を超す損失を計上することになる。このために「一貫校」開学の当初の予定は大幅に遅れ、「ようやく」2013年に開学となる次第なのである(神奈川新聞には「世界的な金融危機の影響を受けて」とサラリと書いてあるが、実は上述のような、資金運用の失敗が原因なのである)。
しかしだ、一貫校と云いながら、「中高」は電車とバスを乗り継いで(最短でも)1時間程かかる、湘南藤沢中・高等部(藤沢市遠藤)に通うのだと云う。こう云うのを一貫校と云うのかと郷秋は首をひねったぞ。だってそうだろう。子どもの発達段階に応じて、連続的な教育が出来てこその一貫教育じゃないのか。6-3-3と云う区切りが子どものためにホントに容易のかどうかは判らないけれど、小学校を卒業したら途端に環境変わるのではなく、例えば同じ校舎で、小6の時に教わった先生が中1になっても引き続き教えてくれるとか。
注:現行の教員免許制度では、中・高の免許を同時に取ることは容易ではあっても、小学校と中学校(の、ある教科)の免許を同時に取ることは困難で、また、取ることのできる大学は限られる。その意味でも小中一貫は運営が難しいはずなのである。
もう一つ、小中一貫の大きなメリットとして考えらえるのは、中学生が同じキャンパスで生活する弟分である小学生の面倒をみて、また小学生が兄貴分の中学生を見て育つと云う、歳の違いと発達段階の違いを互いに認め合い相互に良い影響を与え合いながら育っていく良さではないのか。それを考えるとキャンパスが別の小中一貫など何の意味も無いように、郷秋には思える。
小中高一貫教育も、知育(学習)面だけを考えれば、より偏差値の高い大学により多くの卒業生を送り出すことが可能になることだろう。そう云う所にポイントを置いて考えれば確かに意味があるかも知れないが、道徳や情緒、あるいは自分一人の意志ではどうにもならない、人との関わりとか、自分の力でどうしようもない、人ではない何者かによる大きな働き(ある人は「運命」と云うかも知れないし、ある人は「神の技」と云うかも知れない)に気づくこと、見た目だけではなく、真に美しいものを見極める力など、人間性の面で成長することができる教育であるかどうかも、一貫教育を考える際の大きなポイントであっても良いはずである。むしろ、知育偏重の弊害が叫ばれて久しい今、人間性、その内面の成長こそが学校教育の大きなポイント、視点として語られえるべきだろうと、郷秋は思うぞ。
勿論、日本の教育界における最強のブランドである「慶応義塾」が開設する一貫校であるから、知育の面で優秀な多くの受験者児と、その中から選抜された超優秀な入学生を得ることが出来るであろうことに疑いの余地ははいが、これまで論じたような視点に立って教育や学校を考えた時、相互の連絡に一時間以上かかるキャンパスにおいて、価値の中心に人間教育を据えた、真の意味での一貫教育が成り立ちえるのかどうか、郷秋は大いに疑問である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、小笠原・父島において、西洋人と日本人の血が交じり合っただけではなく、その文化・宗教も交じり合ったであろうことを示す墓標。キリスト教と仏教の様式が見事にミックスされていて、実に興味深い。
墓標に記された二人の内、右側のHorace Perry Savory(ホレース・ペリー・セーヴォリー)は、ハワイから父島に最初に移住した欧米系住民(アメリカ人)の一人であるNathaniel Savory(ナサニエル・セーヴォリー)の息子と思われる。左側のElisa Savory(エリサ・セーヴォリー)はナサニエルの妻だろうか。
決め手はイメージセンサーの大きさ
昨日、デジタルカメラのイメージセンサーの大きさについて書いた。小さなイメージセンサーで高画素(例えば1600万画素)なら、大きなサイズで同じ画素数のイメージセンサーよも高性能なのではないかと思われた読者がおられるかも知れないので、蛇足ながら書いておく。
クルマのエンジンの場合、少ない排気量で、大排気量のエンジンと同じ力(馬力とトルク)を出すことが出来れば、確かにそのエンジンは高性能であると云える。小排気量のエンジンをターボチャージャーやスーパーチャージャーで過給し、低燃費と高馬力・高トルクを両立させかつ有害排出物が少ないのが、近頃トレンドの高性能エンジンである。でも、デジタルカメラのイメージセンサーはちょっと事情が異なるのだ。理由はこう云う事である。同じ大きさの1200万画素と2400万画素のイメージセンサーを例に考えてみよう。
イメージセンサー全体が同じ大きさで画素が倍あると云う事は、一つの画素の大きさは半分になると云う事はご理解いただけるだろう。画素は、光を電気信号に変換する装置の最小単位だが、大きさが半分になると云う事は光を変換して作ることの出来る信号の量が半分になる。信号の量が少ないと処理をしたり記録する時に困るのでこの信号を大きくすることが必要になる。これを「増幅」と云う。
信号を一定の大きさに増幅する際、2400万画素の場合には1200万画素の2倍増幅することが必要になるが、この時に本来必要な信号だけではなく、雑音(ノイズ)も同時に2倍に増幅してしまうことになる。つまり、ノイズが大きくなるのだ。画素が2倍と云う事はイメージセンサーの配線の数も倍になる。同じ大きさのイメージセンサー上で数を倍にするためには配線を細くしたり、配線同士の間隔を狭める必要が生じる。
配線を細くすると減衰(配線を通っている間に信号が小さくなる)が多いくなり更に増幅度を上げる必要が生じ(同時にノイズも増える)、配線同士が接近することで、信号が互いに干渉(影響)しあい、時に混信(混線)することになる。必要な信号成分は紛れると、本来必要としている信号を正しく読み取ることが出来なくなる。つまり、本来必要な信号に対して不必要なノイズが相対的に大きくなってしまう。これをS/N(signal/noise)比が悪くなると云う。
同じ大きさのイメージセンサーの中により多くの画素を詰め込むと、結果として、本来必要な信号の量に対してノイズ量が多くなる、つまりS/N比が低く(悪く)なる、結果として画質が悪くなるのである。もっともいくらS/N比が高くても勿論画素数が極端に少ない(例えば初期のデジタルカメラのような30万画素)場合は別だが、1000万画素以上を前提に論じれば、より画素数が少ない方が高S/N比、つまり、ノイズの少ない郷秋<Gauche>画質の画像となるのである。
以上は、同じ性能の画素、同じ性能の増幅装置(アンプ)の場合に云えることであり、技術は日進月歩どころか秒針分歩で進む現在では、1000万画素の時よりも高S/Nを確保できる配線とアンプと設計することが出来るようになったことから、同じ大きさのイメージセンサーでも、画素数が増えても更に高画質なものを作ることが出来るようになったのである。ただしである、同じ性能の画素、同じ性能の配線、同じ性能のアンプを使ったとしたら、これはもう、画素数が少ない方が高画質であることは間違いのない事実なのである。
APS-Cサイズのイメージセンサーを搭載したDSLR(デジタル方式一眼レフ)と、フォーサーズ規格のイメージセンサーを搭載したミラーレスカメラ、例えばオリンパスE-P3の価格を比較した時に、APS-Cサイズのイメージセンサーを搭載したNikon(ニコン)D3100より、更に小さなイメージセンサーを搭載したE-P3の方が高価であるのは、小さいながらもS/N比の高い、つまり高画質なイメージセンサーを作るために、高度な技術、つまりは相当なコストを投入した結果であると思って、まず間違いはないはずである。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、父島にある欧米系住民の墓標。書かれた名前から想像すると、青野と云う日本人と結婚した、欧米系の旧姓「アグネス・何某」、青野アグネスさんの墓と云う事になるだろうか。昨日はエジソンと呼ばれていた、欧米系の少年をご覧いただいたが、小笠原諸島に最初に住み着いたのは日本人ではなく、ハワイから移住した欧米系の人たちである云われている。今日ご紹介した墓標からもわかる通り、父島では欧米系住民と日本人が混住し、おそらくはその血が自然に交じり合った、日本では珍しいい場所の一つと云う事が出来るだろう。
ニコンのミラーレスのイメージセンサーは12.6mm×9mm
Nikon Rumorsに、Nikon(ニコン)から程なく登場するであろうレンズ交換方式ミラーレスカメラのものを含む、イメージセンサーの大きさが比較できる図が掲載されていた(see here)。
その図にはサイズの数値は記載されていなかったのだが、35mmフルサイズの大きさを元に、ニコンのレンズ交換方式のミラーレスカメラ他のイメージセンサーのサイズを算出してみた。結果は次の通り。
35mm Full Frame 36.0mm×24.0mm=864平方ミリ(3:2 / 1.00)
APS-C(Nikon) 23.6mm×15.8mm=373平方ミリ(3:2 / 0.43)
Four Thirds 17.3mm×13.0mm=225平方ミリ(4:3 / 0.26)
Nikon Mirrorless 12.6mm×9.0mm=113平方ミリ(2.8:2 / 0.13)
1/1.7(GR-D) 7.2mm×5.4mm=39平方ミリ(4:3 / 0.045)
注1:メーカーのサイトでサイズが公表されているものはそれによった。
注2:行末の括弧内は、アスペクト比と35mmを1とした時の面積比率。
ざっくりした数字だが、フルサイズ(英語圏ではフル・フレームと表記される)を基準にすると、半分のサイズのAPS-C、更に半分の4/3、更に半分のNikon Mirrorlessとなる。一般的なAPS-Cと比べるとNikon Mirrorlessは1/3だが、コンパクトタイプの中では一番大きいものの一つとされているRICOHのGR DIGITALと比べると3倍近い面積のイメージセンサーと云う事になる。
郷秋 は7月31日に、Nikon Mirrorlessのイメージセンサーが小さいので食指が動かないと書いたが(see here)、APS-Cの1/3、フォーサーズの半分でも、画質には定評のあるGR DIGITALの3倍あるのなら「まっ、いいか」と、妙に納得した郷秋である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日ご覧いただいた少女と同様、小笠原諸島・父島の二見港内の海に飛び込んで遊んでいた少年。郷秋の記憶に間違いがなければ、仲間から「エジソン」と呼ばれていた、欧米系の少年である。
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