月並み写真

 「月並み俳句」と云う言葉がある。どうやら正岡子規が使いだしたらしいのだが、旧来の、花鳥風月を詠んだ、所謂伝統的な俳句を古臭くて平凡な俳句であると評した言葉である。果たして写真の世界で「月並み写真」と云う言葉が一般的なのかどうかは知らないが、郷秋<Gauche>は、「月並み俳句」並みの「月並み写真」はあると、思う。

 

例えば今の季節、見渡す限りのひまわり畑の写真を目にすることが多い。

 

 

 こう云う写真を見ると、郷秋<Gauche>は「あぁ、月並み写真」と、時に声を出して云ってしまうこともある。まったくつまらない、どこにでも転がっている文字通りの「月並み写真」である。

 

 10年程前に定期購読した樹木に関する本があった。月刊百科と云うのだろか、毎月特定の樹木について書かれた冊子が届き、24か月でひとセットの樹木百科になる趣向の本なのだが、気が効いたことに、毎号、特集された樹木を撮影する際のアドバイスに1ページが割かれていた。今でも覚えているのは「白樺」の特集号のアドバイスである。そこには「まず、美しい白樺林を探すことである」と書かれていた。郷秋<Gauche>は開いた口が塞がらなかった。美しい白樺林に行けば、誰にでも美しい白樺(林)の写真が撮れる。(勿論テクニックの問題はあるが)間違いのない事実で、突っ込み所も無いのだが、しかしだ、それじゃアドバイスになっていないだろう。

 

話が脇道にそれたが、例えば今の季節だとひまわり、9月になると彼岸花、10月にはコスモスと、咲き誇る花の名所に写真を撮りに出かける人が多いが、出来た作品の多くは「月並み写真」である。何事も真似から始まることに異論はないが、その真似から抜け切れないのでは、いつまで経っても「月並み写真」のままである。奇を衒うと云う事ではないが、人が行かないところ、撮らない所で撮ってこそ、感性と技術が磨かれるのではないかと、郷秋<Gauche>は思うぞ。

 

 さて、既にご覧いただいた今日の「月並み写真」は、郷秋<Gauche>が山中湖の「花の都公園」で撮ったもの。生憎富士山がほんのうっすらとしか見えない天気だったので、富士山は入っていない。これでバックに富士山が入っていれば完璧な「月並み写真」である。まっ、誰が撮ってもこんな感じには撮れる、並みの「月並み写真」なので、嬉しいことに、いくつもの突っ込み所がある。間違い探しではないが、どこがダメなのか考えてみて欲しいい。こういう風に、人の写真を見て、自分ならこう撮るぞと、突っ込みを入れてみるのは写真上達のための一つの方法である。

 

それでは早速、自ら突っ込みを入れてみよう。まず、ひまわりの葉で光が反射して見苦しい。これはPLフィルターを装着して、余分な反射光をカットすることで解決できる。次に、ピントが合っていなければならない手前のひまわりに「ボケ」ているものがある。これはレンズの焦点距離と絞りによって決まる「被写界深度」の問題だが、もう少し時間をかけてこの二つの要素を吟味することで、あるいは横一線にひまわりが並んでいる場所を探すことで解決できる。

 

PLフィルターを使って、しかも絞り込むとシャッタースピードが遅くなる。当然手振れの可能性が高くなるから三脚とリモートスイッチを使いたいところである。いずれにしても、お手軽に、短時間で、ついでのように撮るとなれば、出来上がった写真は突っ込み所満載の一枚となる。「月並み俳句」と呼ばれようとも、完璧な「月並み俳句」であれば子規も突っ込みようがなかったかも知れない。同様に、「月並み写真」ではあっても、やたらには突っ込まれないように、ブレと不要な反射光をカットし、構図、ピント位置、露出補正、ホワイトバランスに気を付けて、せめて「完璧な月並み写真」を撮れるようになりたいものである。

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