耐える福島人

 今日の神奈川新聞に、福島県立の高等学校、93校で卒業式が行われたとの記事が掲載されていた。その中で、東電福島第一原発から20キロ圏内にあった富岡高等学校の卒業式での、卒業生代表・若林美里さんの答辞が紹介されていたので、掲載されていた全文を紹介する。

注:富岡高校は原発事故以降、本来の校舎での授業はできず、県内の他高校に間借りする「サテライト校」を5か所に設置し授業を実施してきた。卒業式も福島市内の文化施設を利用して実施したとのこと。

 

自然の脅威の前に人は無力であり、科学の傲慢さ、平穏な暮らしの大切さに気付くのに、代償はあまりに大きかった。私たちは天を恨まず、運命に耐え、歩んでいきます

注:「天を恨まず」の「天」は神や仏が住む場所、あるいは神や仏そのもの、または「運命」の意味と考えれば判り易いだろう。

 

何の罪もない高校生が、どうしてここまで云わなければならないのか。この健気さに涙が出る思いである。

 

福島県人は大人だけではなく子供たちさえも、こうして自分たちを苦しめる者を恨まず、耐えて、そして前に進もうとしていると云うのに、福島県外、取り分け関東・首都圏に住む人の中に、東電と政府を加害者として激しく非難し、被害者としての自己を強く主張し、行政による対応と保障を求め、震災瓦礫の焼却を拒み、福島はもとより隣接地域への修学旅行を拒む運動をするなど、福島人の気持ちを逆なでする人がいる。まったく悲しく、情けなく、残念なことである。

 

福島の県民性は、元より「耐える」を大きな特徴としていたが、3.11大震災とそれに続く原発事故にあって、その県民性がいかんなく発揮されていると云うことだが、郷秋<Gauche>は云いたい。「そんなに我慢しなくていいんだよ。もっと云えばいいじゃないか」と。主張すべきは福島県民であり、関東・首都圏住民ではないはずである。何故なら、福島県内に原発を造らせ、その恩恵に与ってきた、郷秋<Gauche>を含めた関東・首都圏住民は、東電や政府と共に加害者だからである。

 

関東・首都圏住民は、自分や自分の家族のために出来ることではなく、福島県民のために何が出来るのかを、まず、考えるべきである。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、雑木林の主役の一人、クヌギの苔むした樹皮。灰褐色で不規則に深く縦裂する樹皮は特徴的で、慣れれば樹皮だけでクヌギと同定することが出来る。

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