景勝は保全すべきか

 今日の神奈川新聞で、神奈川県内屈指の景勝とされる、城ケ島南岸にある「馬の背洞門」に崩壊の可能性があるとして、2012年度中に補強工事が施される見通しであることが報じられていた。

 

 「馬の背洞門」は海岸の火山性凝灰岩を、波しぶきと風雨が長い年月をかけて浸食した結果現れた景観である。これから年月を経れば洞門は更に浸食されて、いつかは崩れ落ちる。それが自然の摂理、自然の成り行きである。

 

 「馬の背洞門」と呼び、神奈川県内屈指の景勝と喜び愛でるのは良いが、それは地球が絶えず姿を変える中での一コマ、偶然にも人の目に「美しい」とか「素晴らしい」と映る姿になっただけであり、いずれは崩れ落ち、海中に没するのである。そんな自然の移ろいを人工的に固定してしまって良いのだろうか。

 

 同じことが、取り分け人気の高い高原に存在する湿原にも云える。湿原は、おそらくは自然の長い年月の営みの中で、たまたま今現在湿原であるだけで、湿原の植物が枯死しそれが積み重なっていけばいつか乾いた土地が出現し、そうなればそこに、最初はクサギやネムノキといった先駆的樹木が生え、後にクヌギやコナラの林となることだろう。湿原から林に変化する狭間では、ハンノキが生い茂る時期もあるかも知れない(勿論、千年単位での話だ)。

 

 確かに高原の湿原は美しい。だが、それは何千年、何万年と云う自然の営みのなかで、たまたま人が見て美しいと思う景観に至っただけであり、自然は更に長い年月をかけて、その土地の自然環境(高度、温度や湿度、風)に最も相応しい植生に移って行こうとしているはずである。

 

高原の湿原は、人間が作ったダムやその他水資源の利用、多くの人の訪れといった人為的な問題で干上がって来る可能性もあるが、海辺の景勝奇岩はどう考えても波と風雨が作り上げた偶然の産物であり、それを人間がひと時の様子に固定しようとは、何と思い上がった考えだろうか。自然は自然がなすままにすればよい。市がしようとし、県と国がバックアップするシナリオであるようだが、郷秋<Gauche>には、これこそ「反自然行為」としか思えない。

 

 

 今日の一枚は、たまたま8月末に訪れた、本文中に記した高原にある湿原の例、「霧ヶ峰八島ヶ原湿原」。この湿原も近年水が減り、乾燥へと向かいつつあると聞いた。それが人為的なものではなく、自然の営みだとすれば、なるがままにすれば良いと、郷秋<Gauche>は思う。

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