アブソリュート・エゴ・レビュー

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瞳の奥の秘密

2017-03-24 22:22:45 | 映画
『瞳の奥の秘密』 ファン・ホセ・カンパネラ監督   ☆☆☆☆

 アルゼンチンの映画をiTunesのレンタルで鑑賞。2010年のアカデミー賞外国語映画賞受賞作品。レイプ殺人を扱ったサスペンスものだが、そこに25年の歳月の流れを挟む大河ドラマ的手法で関係者の人生の変転を織り込んだり、人生も後半にさしかかった大人たちの恋愛模様を混ぜたりして膨らませてある。また事件の方も単に犯人探しや捜査だけでなく、司法の腐敗、正義とは何か、遺族の復讐心などさまざまな題材を盛り込んでスケールアップしている。鑑賞後の余韻はかなり重たい。情念と葛藤の映画である。

 とりあえず、出演している俳優たちがみんな渋い。主人公ベンハミン役のリカルド・ダリンはいぶし銀の渋さとおとなの男の風格を漂わせつつ、直情的なところや、ちょっとコミカルな芝居まで余裕でこなし、この複雑なドラマの中心人物として見事に屹立している。ベンハミンのかつての上司で女検察官のイレーネを演じるのはソレダ・ビジャミル。才媛らしい堅さと、おとなの女性の色っぽさを兼ね備えていて、個人的には非常によいと思った。『髪結いの亭主』のアンナ・ガリエナによく似ているなあ、と思いながら観た。このベンハミンとイレーネの、どこまでも自分の気持ちを抑制するもどかしい恋愛劇が、結局のところこの物語の核かも知れない。

 バイプレーヤーも見逃せない。さっきコミカルな芝居と書いたが、この重厚なドラマのコメディリリーフ的役割を受け持つのがベンハミンの同僚にして飲んだくれのパブロである。検察庁の事務官であるベンハミンとパブロが協力してレイプ事件を捜査するのだが、二人のやりとりには笑える部分も多い。特にパブロはそのいい加減さと肩の力の抜け加減で、このシリアスなドラマのいい緩和剤になっている。イレーネが二人の独断捜査に腹を立てて「書類を偽造して捜査を再開しろっていうの?」と怒鳴った時、「それはいいアイデアだ」と真顔で返したのには笑った。が、終盤でこのパブロが哀しい最期を迎えることになる。

 さて、レイプ事件の捜査が題材の映画だが、ミステリとしてははっきり言って地味である。大した謎があるわけじゃないし、犯人に意外性があるわけでもない。むしろ警察が拷問で犯人をでっち上げようとしたり殺人犯を釈放してしまったりと、司法側の腐敗によりスポットが当てられている。だからこれはミステリというよりも社会問題告発型の犯罪ドラマというべきだろう。謎解きの爽快感というようなものはなく、鑑賞後に尾をひくような重たい問題提起がなされる。

 そうした硬派な要素と、先に書いた大人の恋愛劇としてのロマンティックな要素(冒頭に回想の断片としてインサートされる、イレーネがベンハミンを駅で見送る場面はとりわけ甘美)が入り混じってこの映画のふくよかさを作り出しているが、それがチグハグになったり大味になったりせず、調和して繊細な情緒に結びついているのは、やはり確かな演出力の賜だろう。タイトルにもなっている写真の中の視線は事件と恋愛両方で活かされているし、イレーネの部屋のドアを開けたままにする、閉じる、というこれだけで驚くほど多くの心理描写がなされている。ベンハミンが大事な話だと言ったらイレーネがドアを閉め、パブロも入ると聞いてまた開ける、というこの無言の動作でイレーネの隠された気持ちが分かるし、ラストシーンの締めくくりも「ドアが閉まる」ことである。更には文字が欠けたタイプライターとメモの文字の繋がり、パブロが死んだ部屋の写真立ての状態、など細かい仕掛けは枚挙にいとまがない。この監督は人の気持ちをセリフで説明することなく、何かに託して暗示する技に長けている。これはルビッチやヒチコックを例に出すまでもなく、優れた映画作家の重要な資質の一つである。

 そういう優れた映画である本作だが、個人的に残念だったのはストーリーの流れがいささかギクシャクしているように感じたことだ。事件は一旦後味が悪い形で中断し、25年後にようやくケリがつくのだが、イシドロが釈放された後ベンンハミンやイレーネが何もせず25年経過したという点がどうも釈然としない。現実的にどうしようもなかったということだろうが、二人の無念や心配がそのまま放置されるので「あれ?」となり、物語の行方を見失ってしまう。もちろん最後にはケリがつくが、それはあくまで偶発事であり、ベンンハミンやイレーネの執念が実を結んだわけでもない。最後まで観れば「なるほどね」と納得できるが、盛り上がっていくべきドラマのテンションが途中で澱んでしまうような印象を受けた。

 それから、いくらなんでも同僚へのいやがらせで殺人犯を釈放し、ついでにSPにして拳銃与えて堂々と歩き回らせるなんてあり得ないだろう、と思ったのも個人的に白けた一要因だったが、調べてみると当時のアルゼンチンの政情はグチャグチャで、ああいうことも十分あり得たらしい。日本や米国では考えられないことだ。

 そして最後にやってくるどんでん返し。驚愕の結末、という宣伝文句もあったようだが、確かに背筋が寒くなるようなオチだった。あの人の心情を考えれば理解できないことはないが、それでいいのか、と誰だって言いたくなるだろう。それもまた人生、なんだろうか。悲劇であり、あまりにも無残な愛の結末だ。



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