アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

オラクル・ナイト

2010-12-11 17:55:41 | 
『オラクル・ナイト』 ポール・オースター   ☆☆☆☆★

 私はポール・オースターの良い読者ではない。ずっと以前に『幽霊たち』と『最後のものたちの国』を読んだことはあり、それなりに面白かった記憶はあるが強い印象は受けなかった。だから10月に日本に帰った時、書店でふと手に取ったのは本当にたまたまで、最初は「きれいな装丁だな」と思ったぐらいで買うつもりもなかった。結局買ったのは他にめぼしい本がなかったからである。

 オースターというとちょっとカフカっぽいな、不条理感のある、寓話的な物語を書く人という印象を持っていた。『幽霊たち』と『最後のものたちの国』もそういう現時離れした設定の小説だったように思う。また本書のあとがきには室内楽のような小説、という言葉があり、このきれいな装丁の雰囲気からしても、きっと静謐で、端正で、繊細なファンタジー作品だろうと予想した。ところが実際に読んで見ると、だいぶ違った。室内楽というほど静謐ではない。さまざまな事件が起き、ハプニングがあり、感情の起伏があり、先の読めないプロットが読者を翻弄する。スリリングで、かなりたくましい小説だった。そして面白い。今回、私がオースターという作家に持っていた印象はかなりの部分修正された。

 主人公のオアは絶望的な病状から回復したばかりの作家で、近所に新しくできた文房具店で青いノートを入手する。この文道具店の主人は怪しい中国人だし、そこできれいな青いノートを入手するという発端はいかにもファンタジー的に展開していきそうだ。が、小説は微妙に斜め上の方向へ進んでいく。まずオアはノートにリハビリのつもりで小説を書き始め、読者はしばらくその小説内小説を読まされる。ある日突然身体一つで失踪する男の話で、これもまた面白い。地下室に閉じ込められたりする。やがてオアはストーリーに行き詰まり、小説は途切れる。この物語はブツ切れのまま放置されてしまう。

 それから物語の重心はオアと妻のグレース、妻の後見人であるジョンとの人間関係へとシフトしていく。ジョンの不良息子に会いに麻薬矯正施設を訪ねたり、グレースが妊娠して口論になったり、ジョンの原稿をなくしたりする。中国人の文房具屋主人もところどころで顔を出し、オアをいかがわしいクラブに連れていったりする。なかなか底が見えないプロットだ。何がどうなるのかと思って読んでいると、終盤に怒涛のように崩壊の波が押し寄せてくる。強烈な展開で、心臓がどきどきする。最後は完全な崩壊には至らず、ある種の痛ましい救いを見せて終わる。

 文句なしに面白かった。力強く、シャープで、話に引き込まれるだけでなくディテールが的確かつ豊富で、知的スリルがある。作家であるオアとジョン、そしてグレースの会話、考え方、ライフスタイルの描写にはイアン・マキューアンみたいな緻密なリアリズム(臨場感といってもいい)を感じる。優れた小説であることは間違いない。が、矢継ぎ早に繰り出されるエピソードの迫力に圧倒されたものの、読み終わった時に釈然としないものも残った。結局、この物語は何に到達したのだろうか。あの中国人は何だったのか。青いノートは何だったのか。なんとなく、まだ途中だという感じがするのである。

 私が咀嚼しきれていないだけかも知れないが、この釈然としない感じのせいでこれを傑作と言っていいものかどうか迷っている。とりあえず、ポール・オースターの他の作品も読んでみることにしよう。


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