『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』 山田洋次監督 ☆☆☆☆
シリーズ29作目。マドンナはいしだあゆみ。
本作は暗い。それはもう異様なまでの暗さで、シリーズ中異色作と言ってもいいと思う。といっても笑いが少ないわけじゃなく、むしろ秀逸なコメディ場面は多いし、京都を舞台に展開する前半はゲストも多くて華やかだ。暗さの原因のは後半の展開、そして寅の情けなさがむきだしになる恋の顛末である。痛ましいといってもいい。これはいしだあゆみ演じるマドンナ・かがりの異例のキャラクター設定のせいでもある。この暗さ、痛ましさのせいで、私は長いこと本作を好きじゃなかったが、今回久しぶりに観て大幅に評価が上がった。これは傑作といっていいんじゃないか。
映画が始まるとすぐ、いくつかの基本フォーマットが外されていることに気づく。冒頭の夢の場面、さくらと博と光男が貧乏な百姓一家というのはありがちだが、そこに出てくる寅は旅の絵師であって、さくらのお兄ちゃんではない。「あなたはもしや…」というお約束がなく、純然たる御伽噺風に終わる。珍しい。そして本編が始まるが、寅が冒頭でとらやに帰らない。いきなり京都に行き、ある老人の下駄の鼻緒を結んでやり、それが縁で老人の家に連れて行かれる。老人は人間国宝の陶芸家・加納作次郎だった。
そしてその家で女中として働くかがり(いしだあゆみ)と出会うのだが、ここでの寅さん、いつもと違って実にかっこいい。作次郎との出会いから加納家で一泊し、翌朝すっとさりげなく去っていくこの流れはもう最高にかっこよく、浮世離れした自由人・寅次郎の魅力全開だ。マドンナ・かがりとの出会いも、いつものようにずっこけたり声が上ずったりせず、ごく自然に振舞い、ごく自然に去って行く。この風のような屈託のなさ、こだわりのなさはまったく達人だ。
そして後日、寅はお礼がてらに加納家を再訪し、かがりに下駄をプレゼントする。するとかがりは戸惑ったように「先生を呼んできます」とその場を離れるが、一人きりになると寅にもらった下駄をみて、嬉しそうに微笑む。
ここまで見るともう分かるのだが、寅とマドンナの立場がいつもと逆転している。いつもならマドンナと出会った寅は動揺してドジを連発し、マドンナは完璧な愛想の良さを振りまきつつ鉛の如き鈍感さで寅の動揺を完全無視する。観客は寅に寄り添いながら、何を考えているのか分からないマドンナを眺めることになる。ところが今回は、マドンナ・かがりの内面が観客に明かされる。もちろん寅もかがりを意識しているが、いつものように動揺することはなく自然で、むしろかがりの方がどぎまぎしている。これは初めてのパターンだ。ここまでの寅が非常にかっこいいのも、この流れを自然に見せるためだろう。
言い換えると、これまで寅との関係性においてマドンナは常に圧倒的強者だったのだが、本作で初めてそれが覆されたのである。ここではなんと、マドンナのかがりの方が弱者なのだ。こんなことが「男はつらいよ」シリーズで起きたのは、私が知る限り本作だけだ。
先に書いたように、京都の加納家を舞台にした前半は実に華やかで、画面を見ているだけで幸福感に浸れる。片岡仁左衛門演じる貫禄たっぷりの加納作次郎がいて、その弟子の「こんちゃん」こと近藤が柄本明。その面倒をみる品の良さげなおばあさんとかがり。ここに渥美清の寅次郎が加わる。なんという贅沢さ。近藤が寅次郎を快く思っておらず、寅の言動にいちいち過剰反応するのもおかしく、そのケミストリーは絶妙だ。もうすべての場面が面白い。寅次郎と近藤がかがりさんについて話す場面(寅「あれ、どういう人? ちょっと変わってるじゃねえか」近藤「あなたほどじゃありません」)、寅が女学生を勝手に家にあげてしまい、作次郎と無理やり写真を撮らせる、それを見て柱の陰で笑っているかがり、という場面。その他もろもろ。
さて、かがりは亭主に死に別れ、一人娘と離れ離れで暮らしているというかわいそうな境遇だが、さらに追いうちをかける事件が起きる。婚約者だった作次郎の弟子にふられてしまうのである(はっきり婚約していたとは言われないが、近藤含め周囲の反応から公然の仲だったことは明らか)。しかも加納家の人々の面前で。ここまで虐げられたマドンナが他にいるだろうか。さらに、それでも文句一つ言わないかがりの控え目な態度に作次郎が怒り、「人の顔色ばかりうかがっているあんたを見ていると腹が立ってくる」となじってしまう。失意のかがりは丹後に帰る。
後日やってきた寅は人間国宝・加納作次郎先生に向かって「慰めるのが本当なのに、なんで叱ったんだよ。年寄りはこれだからしょうがねえな」とズケズケ言いたい放題。こういうところが寅のすごいところだ。人間国宝も、テキヤ仲間やおいちゃんとなんら変わりないただの「年寄り」になってしまう。
寅は丹後へ行き、かがりを慰める。この場面もまだかっこいい。かがりは明らかに寅を慕っている。さて、その日の夜。寅はかがり家に泊まることになり、おばあさんは出かけてしまう。子供が寝て、かがりと二人きり。かがりはお酒をせがむ。なんとなく寅に身を寄せる風である。一気に緊張感が高まる。完全におとなの男女のテンションとなる。ここでついに、寅の崩壊が始まる。緊張に耐えられず、先に寝る。するとかがりが部屋に入ってくる。寅は寝たふりをする。かがりは窓を閉め、あかりを消し、ふとんの傍らに座って寅を見つめる。すごい緊張感だ。かがりは明らかに寅と結ばれることを期待している。シリーズ中、ここまで寅とマドンナの肉体が接近した例はない。はっきりいうと、こうまでセックスの匂いが立ち込めたシーンは後にも先にもこれだけだろう。もちろん、寅は必死に寝たフリを続ける。やがて諦め、かがりは部屋を出て行く。
翌朝、かがりの寅に対する態度がそっけないのがまた妙に生々しい。それから寅を見送る時、かがりはふらつくようにして腰を落とし、寅の名前を呼ぶ。そして「もう会えないのね…」。船の上から寅が手を振っても、かがりは手を振り返すこともできず、ただじっと立ち尽くしている。前夜の酒盛り場面からここまでずっと、おとなしいかがりの女の情念が画面を支配していて、しかもそれは明らかに性のほのめかしとセットになっているのだ。酒を呑みながら身を寄せるかがり、子供をあやしながら布団からのぞくかがりの脚、そして逃げ出した寅の部屋までやってくるかがり。山田洋次監督はこの状況をどこまでも容赦なく突き詰めて行く。このアブナイ空気は「男はつらいよ」シリーズとしてはまったく異例で、保守的なファンは居心地が悪くなってしまうほどだ。
それにしても、寅を愛したマドンナは他にもたくさんいるが、ほとんどが「寅さんっていい人」「楽しい人」の延長線上に生じた愛情であった。あのリリーですら、浮草稼業の同朋意識抜きに寅を愛せたかどうか怪しい。ここまで切なく寅に恋をした女性は、かがりしかいないのではないだろうか。
さて、とらやに帰った寅は寝込んでしまう。ここからのコメディはいつにも増してはじけている。とらやの面々に寅が、病人が寝ているんだから馬鹿笑いは止めろといちゃもんをつける場面は爆笑もの。そしてついにとらやにやって来るかがり。しかしこんな時もひとりじゃ来れずに友だちと一緒に来てしまうし、寅と再会しても口がきけずにうつむいてしまう。シャイだなあ。そしてかがりから付け文をもらった寅の暴走は、本作中最高の爆笑場面。わけがわからないさくらに向かって、
「落ち着けよお!」
「どうしたのお兄ちゃん」
「鎌倉どっち!?」
「どうして?」
「これに出てる!(手に持った手紙を示す)」
「何これ?(見ようとする)」
「いいの!(さくらの手を振り払う)」
その後タコ社長の工場を突っ切って大暴走。タコから「とうとう頭にきたぞ」と言われてしまう。
が、笑えるのはここまで。この後寅は鎌倉に出かけていき、お約束どおりかがりとの恋はご破算になってしまうのだが、その顛末はあまりにも痛ましい。なんと寅は、かがりとの逢引きに光男を連れていってしまうのだ。この逢引きに託したかがりの思いを考えると、これだけはやっちゃいけなかった。あまりといえばあんまりな仕打ちだ。あじさい寺で最初に寅を見た時、かがりは輝くような笑顔を見せる。あれは暗い表情が多いかがりが見せた、最高の笑顔だった。しかし寅と二言三言言葉を交わした後、かがりは光男に気づく。そして寅が光男を連れてきたことを悟る。その時の彼女の表情は、さりげない一瞬の表情だが、あまりに切ない。
それにしても、ここでのいしだあゆみの演技は見事だと思う。かがりになりきっている。
その後はもう言わずもがなで、寅はかがりとろくに喋れず、光男ばかり構う。結局かがりは「私の好きな寅さんは、旅先の寅さんやったんやね」と言って、寅への気持ちを諦める。この「デート」における寅の情けなさはシリーズ随一で、ここまで生彩のない寅も珍しい。前半の寅がとてもかっこいいだけに、余計その惨めさが引き立ってしまう。今回の寅は、これまでマドンナに愛された時のように「照れくささのあまり口走った無神経な一言」ですべてをダメにしてしまうわけではない。かがりの寅を思う気持ちはそんなものでは挫けなかっただろう。しかし今回、丹後では女性を抱けない、そして鎌倉ではデートすらできないと、つまり寅が普通に女性と付き合うことができない男であることを完膚なきまでに露呈してしまった。これは痛い。かがりとの失恋は、寅にとってもはやどんな言い訳も許されない失恋となったのである。
ラストは柄本明の近藤、そして加納作次郎がそれぞれ再登場して爽やかに終わる。後味は悪くない。それにしても、実に異色づくめの作品だった。暗い雰囲気のせいで敬遠するファンもいる一篇だが、マドンナの内面がこれほどまでに緻密に描かれた作品は珍しい。それはマドンナ・かがりが寅以上の弱者と設定されているためで、それによってかがりがほとんど寅と同等の重みを持つことになった。「男はつらいよ」シリーズでは、作品によってはマドンナがほとんど添え物でしかなく、ただ寅をふるためだけに登場したようなものもあるが、本作ではかがりが主人公といってもおかしくないくらいその存在は大きい。鑑賞後に思い返して見ると、作品全体が彼女のイメージで覆われていると思えるほどだ。
このようにして寅とかがりの恋物語は、シリーズの中でも特筆すべき切なさを湛えた佳作となった。いつもの「安心できる寅さん」を観たい向きにはちょっと居心地悪い作品かも知れないが、見ごたえは充分である。
シリーズ29作目。マドンナはいしだあゆみ。
本作は暗い。それはもう異様なまでの暗さで、シリーズ中異色作と言ってもいいと思う。といっても笑いが少ないわけじゃなく、むしろ秀逸なコメディ場面は多いし、京都を舞台に展開する前半はゲストも多くて華やかだ。暗さの原因のは後半の展開、そして寅の情けなさがむきだしになる恋の顛末である。痛ましいといってもいい。これはいしだあゆみ演じるマドンナ・かがりの異例のキャラクター設定のせいでもある。この暗さ、痛ましさのせいで、私は長いこと本作を好きじゃなかったが、今回久しぶりに観て大幅に評価が上がった。これは傑作といっていいんじゃないか。
映画が始まるとすぐ、いくつかの基本フォーマットが外されていることに気づく。冒頭の夢の場面、さくらと博と光男が貧乏な百姓一家というのはありがちだが、そこに出てくる寅は旅の絵師であって、さくらのお兄ちゃんではない。「あなたはもしや…」というお約束がなく、純然たる御伽噺風に終わる。珍しい。そして本編が始まるが、寅が冒頭でとらやに帰らない。いきなり京都に行き、ある老人の下駄の鼻緒を結んでやり、それが縁で老人の家に連れて行かれる。老人は人間国宝の陶芸家・加納作次郎だった。
そしてその家で女中として働くかがり(いしだあゆみ)と出会うのだが、ここでの寅さん、いつもと違って実にかっこいい。作次郎との出会いから加納家で一泊し、翌朝すっとさりげなく去っていくこの流れはもう最高にかっこよく、浮世離れした自由人・寅次郎の魅力全開だ。マドンナ・かがりとの出会いも、いつものようにずっこけたり声が上ずったりせず、ごく自然に振舞い、ごく自然に去って行く。この風のような屈託のなさ、こだわりのなさはまったく達人だ。
そして後日、寅はお礼がてらに加納家を再訪し、かがりに下駄をプレゼントする。するとかがりは戸惑ったように「先生を呼んできます」とその場を離れるが、一人きりになると寅にもらった下駄をみて、嬉しそうに微笑む。
ここまで見るともう分かるのだが、寅とマドンナの立場がいつもと逆転している。いつもならマドンナと出会った寅は動揺してドジを連発し、マドンナは完璧な愛想の良さを振りまきつつ鉛の如き鈍感さで寅の動揺を完全無視する。観客は寅に寄り添いながら、何を考えているのか分からないマドンナを眺めることになる。ところが今回は、マドンナ・かがりの内面が観客に明かされる。もちろん寅もかがりを意識しているが、いつものように動揺することはなく自然で、むしろかがりの方がどぎまぎしている。これは初めてのパターンだ。ここまでの寅が非常にかっこいいのも、この流れを自然に見せるためだろう。
言い換えると、これまで寅との関係性においてマドンナは常に圧倒的強者だったのだが、本作で初めてそれが覆されたのである。ここではなんと、マドンナのかがりの方が弱者なのだ。こんなことが「男はつらいよ」シリーズで起きたのは、私が知る限り本作だけだ。
先に書いたように、京都の加納家を舞台にした前半は実に華やかで、画面を見ているだけで幸福感に浸れる。片岡仁左衛門演じる貫禄たっぷりの加納作次郎がいて、その弟子の「こんちゃん」こと近藤が柄本明。その面倒をみる品の良さげなおばあさんとかがり。ここに渥美清の寅次郎が加わる。なんという贅沢さ。近藤が寅次郎を快く思っておらず、寅の言動にいちいち過剰反応するのもおかしく、そのケミストリーは絶妙だ。もうすべての場面が面白い。寅次郎と近藤がかがりさんについて話す場面(寅「あれ、どういう人? ちょっと変わってるじゃねえか」近藤「あなたほどじゃありません」)、寅が女学生を勝手に家にあげてしまい、作次郎と無理やり写真を撮らせる、それを見て柱の陰で笑っているかがり、という場面。その他もろもろ。
さて、かがりは亭主に死に別れ、一人娘と離れ離れで暮らしているというかわいそうな境遇だが、さらに追いうちをかける事件が起きる。婚約者だった作次郎の弟子にふられてしまうのである(はっきり婚約していたとは言われないが、近藤含め周囲の反応から公然の仲だったことは明らか)。しかも加納家の人々の面前で。ここまで虐げられたマドンナが他にいるだろうか。さらに、それでも文句一つ言わないかがりの控え目な態度に作次郎が怒り、「人の顔色ばかりうかがっているあんたを見ていると腹が立ってくる」となじってしまう。失意のかがりは丹後に帰る。
後日やってきた寅は人間国宝・加納作次郎先生に向かって「慰めるのが本当なのに、なんで叱ったんだよ。年寄りはこれだからしょうがねえな」とズケズケ言いたい放題。こういうところが寅のすごいところだ。人間国宝も、テキヤ仲間やおいちゃんとなんら変わりないただの「年寄り」になってしまう。
寅は丹後へ行き、かがりを慰める。この場面もまだかっこいい。かがりは明らかに寅を慕っている。さて、その日の夜。寅はかがり家に泊まることになり、おばあさんは出かけてしまう。子供が寝て、かがりと二人きり。かがりはお酒をせがむ。なんとなく寅に身を寄せる風である。一気に緊張感が高まる。完全におとなの男女のテンションとなる。ここでついに、寅の崩壊が始まる。緊張に耐えられず、先に寝る。するとかがりが部屋に入ってくる。寅は寝たふりをする。かがりは窓を閉め、あかりを消し、ふとんの傍らに座って寅を見つめる。すごい緊張感だ。かがりは明らかに寅と結ばれることを期待している。シリーズ中、ここまで寅とマドンナの肉体が接近した例はない。はっきりいうと、こうまでセックスの匂いが立ち込めたシーンは後にも先にもこれだけだろう。もちろん、寅は必死に寝たフリを続ける。やがて諦め、かがりは部屋を出て行く。
翌朝、かがりの寅に対する態度がそっけないのがまた妙に生々しい。それから寅を見送る時、かがりはふらつくようにして腰を落とし、寅の名前を呼ぶ。そして「もう会えないのね…」。船の上から寅が手を振っても、かがりは手を振り返すこともできず、ただじっと立ち尽くしている。前夜の酒盛り場面からここまでずっと、おとなしいかがりの女の情念が画面を支配していて、しかもそれは明らかに性のほのめかしとセットになっているのだ。酒を呑みながら身を寄せるかがり、子供をあやしながら布団からのぞくかがりの脚、そして逃げ出した寅の部屋までやってくるかがり。山田洋次監督はこの状況をどこまでも容赦なく突き詰めて行く。このアブナイ空気は「男はつらいよ」シリーズとしてはまったく異例で、保守的なファンは居心地が悪くなってしまうほどだ。
それにしても、寅を愛したマドンナは他にもたくさんいるが、ほとんどが「寅さんっていい人」「楽しい人」の延長線上に生じた愛情であった。あのリリーですら、浮草稼業の同朋意識抜きに寅を愛せたかどうか怪しい。ここまで切なく寅に恋をした女性は、かがりしかいないのではないだろうか。
さて、とらやに帰った寅は寝込んでしまう。ここからのコメディはいつにも増してはじけている。とらやの面々に寅が、病人が寝ているんだから馬鹿笑いは止めろといちゃもんをつける場面は爆笑もの。そしてついにとらやにやって来るかがり。しかしこんな時もひとりじゃ来れずに友だちと一緒に来てしまうし、寅と再会しても口がきけずにうつむいてしまう。シャイだなあ。そしてかがりから付け文をもらった寅の暴走は、本作中最高の爆笑場面。わけがわからないさくらに向かって、
「落ち着けよお!」
「どうしたのお兄ちゃん」
「鎌倉どっち!?」
「どうして?」
「これに出てる!(手に持った手紙を示す)」
「何これ?(見ようとする)」
「いいの!(さくらの手を振り払う)」
その後タコ社長の工場を突っ切って大暴走。タコから「とうとう頭にきたぞ」と言われてしまう。
が、笑えるのはここまで。この後寅は鎌倉に出かけていき、お約束どおりかがりとの恋はご破算になってしまうのだが、その顛末はあまりにも痛ましい。なんと寅は、かがりとの逢引きに光男を連れていってしまうのだ。この逢引きに託したかがりの思いを考えると、これだけはやっちゃいけなかった。あまりといえばあんまりな仕打ちだ。あじさい寺で最初に寅を見た時、かがりは輝くような笑顔を見せる。あれは暗い表情が多いかがりが見せた、最高の笑顔だった。しかし寅と二言三言言葉を交わした後、かがりは光男に気づく。そして寅が光男を連れてきたことを悟る。その時の彼女の表情は、さりげない一瞬の表情だが、あまりに切ない。
それにしても、ここでのいしだあゆみの演技は見事だと思う。かがりになりきっている。
その後はもう言わずもがなで、寅はかがりとろくに喋れず、光男ばかり構う。結局かがりは「私の好きな寅さんは、旅先の寅さんやったんやね」と言って、寅への気持ちを諦める。この「デート」における寅の情けなさはシリーズ随一で、ここまで生彩のない寅も珍しい。前半の寅がとてもかっこいいだけに、余計その惨めさが引き立ってしまう。今回の寅は、これまでマドンナに愛された時のように「照れくささのあまり口走った無神経な一言」ですべてをダメにしてしまうわけではない。かがりの寅を思う気持ちはそんなものでは挫けなかっただろう。しかし今回、丹後では女性を抱けない、そして鎌倉ではデートすらできないと、つまり寅が普通に女性と付き合うことができない男であることを完膚なきまでに露呈してしまった。これは痛い。かがりとの失恋は、寅にとってもはやどんな言い訳も許されない失恋となったのである。
ラストは柄本明の近藤、そして加納作次郎がそれぞれ再登場して爽やかに終わる。後味は悪くない。それにしても、実に異色づくめの作品だった。暗い雰囲気のせいで敬遠するファンもいる一篇だが、マドンナの内面がこれほどまでに緻密に描かれた作品は珍しい。それはマドンナ・かがりが寅以上の弱者と設定されているためで、それによってかがりがほとんど寅と同等の重みを持つことになった。「男はつらいよ」シリーズでは、作品によってはマドンナがほとんど添え物でしかなく、ただ寅をふるためだけに登場したようなものもあるが、本作ではかがりが主人公といってもおかしくないくらいその存在は大きい。鑑賞後に思い返して見ると、作品全体が彼女のイメージで覆われていると思えるほどだ。
このようにして寅とかがりの恋物語は、シリーズの中でも特筆すべき切なさを湛えた佳作となった。いつもの「安心できる寅さん」を観たい向きにはちょっと居心地悪い作品かも知れないが、見ごたえは充分である。
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