アブソリュート・エゴ・レビュー

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King Kong

2006-01-02 17:04:43 | 映画
『King Kong』 Peter Jackson監督   ☆☆☆☆★

 12/31大晦日にニュージャージーの映画館で鑑賞。映画館に着いた時は大きなぼたん雪が降っていた。

 大して期待していなかったのだがとても良かった。映画館で観た映画にここまで満足したのは久しぶりである。三時間もあるのに全然飽きない。娯楽映画のサービス精神に満ち溢れた映画だった。しかもちゃんとストーリーテリングのツボを押さえている。ピーター・ジャクソン監督は最初の『ロード・オブ・ザ・リング』をビデオで観て眠りに落ちて以来敬遠していたのだが、今回の『キング・コング』で見直した。

 主役であるコングが出てくるまでが随分と長いが、ここがまた面白いからあなどれない。単なる導入部になっていないのである。映画監督カール、女優のアン、脚本家ドリスコル、船の船長、いかにもうさんくさい乗組員達、という個性的な、それぞれが何らかの物語のオーラをまとっているような人物達の運命が交錯していくありさまが、巧みに描き出される。みんながそれぞれ魅力的で、ストーリーの小道具としてしか存在しないようなステレオタイプがいない。例えば映画監督のカールは物語的には悪役なのだが、導入部においてはほぼ主役である。えらく魅力的なキャラクターになっている。女優のアンも物欲しげに食べ物を見るシーンとか、品の良さと貪欲さが入り混じって妙に印象的である。そして『戦場のピアニスト』ドリスコルも予想以上にカッコいいじゃないか。動物の檻の中に入ってタイプライターを叩きまくる姿がクールだぞ。

 そういう人々の人間模様がたっぷり描かれ、「これ、キングコングが出てこなくても面白い映画になるんじゃない?」とまで思わせた挙句に現れる髑髏島。そして物語はロマンと恋愛の章を過ぎて怒涛のアクションの章へ。

 髑髏島の原住民が出てきてから一気にアドレナリン分泌指数が上昇する。大体、あの原住民達の不気味さは何なんだ。怖すぎるぞ。そしてアンがさらわれ、コングの登場。ドリスコル達が救援に向かい、物語は「ジュラシック・パークの章」へ。

 最初、CGによるコングがあまりにリアルなため単なるゴリラにしか見えず、迫力を感じなかった。しかしやがてその表情が実に豊かなことに気づいてからは、もう監督の思うツボである。アンの芸を見てキャッキャと喜ぶコング、アンに断られて怒って暴れまわるコング、いじけて姿を消すコング。そしてティラノサウルスに襲われて絶対絶命のアンを助けに現れるコングはまさに白馬の騎士である。私はこのシーンを観てディズニー版『美女と野獣』を思い出した。城を飛び出したビューティーが狼に襲われたところをビーストが助けに来るシーンである。お約束なのは分かっているが、それでも単純に胸が熱くなるなあ。

 しかし、この「ジュラシック・パークの章」に詰め込まれたサービス精神はハンパじゃない。普通の映画ニ、三個分はあるんじゃないか。ブロントサウルス大暴走のシーンも楽しいし、何と言っても恐ろしいのは虫がうじゃうじゃいる谷底である。ドリスコルにまとわりつくでかいコオロギみたいなのも恐いが、なんといってもあのゴカイみたいな不気味な生き物。あれだけは勘弁してほしい。楳図かずおがデザインしたとしか思えない不気味さである。あれに喰われてしまうくらいなら生まれてこなかった方がましだ。

 しかし、地味に一番イヤだったのは、アンがティラノサウルスから逃げて狭い穴に入った時、顔のまん前に触手を伸ばしてきたムカデみたいな奴かも知れない。しかももう一匹が首に巻きついてくる……私ならあの時点で発狂しているだろう。

 と、散々楽しませてくれた後は、コング捕獲のシーンで思い切り泣かせてくれる。命がけでアンを助けたコングになんてことするんだ、この人どもが! そして舞台はニューヨークへ。なんと、ここまで楽しんでまだ続きがあるのだ。いやー、娯楽映画はこうでなくっちゃ。密林の中で暴れるコングの次は、ニューヨークの街中で暴れるコングを堪能できる。

 ところで、この映画は1976年のリメイクとは違い、オリジナルと同時代の1930年代のアメリカを舞台にしている。だから最後、エンパイヤステートビルに登ったコングに襲いかかるのも複葉機である。CGによるコングと複葉機のバトルは新しくもノスタルジックな感じでなかなか良かった。

 私はオリジナルを観ていないので比較はできないが、巷の噂では本作もオリジナルにはかなわないらしい。よーし、そこまで言うんならオリジナルも観てやろうじゃないか。

 エンパイアステートビルのてっぺんにおける、最後のコングとアンのシーンはちょっと感傷的過ぎて良くなかった。もっと簡潔に、畳み掛けるようにコングの死に至った方が悲劇性が増したはずだ。それからアンとコング、ドリスコルの三角関係も今一つ活かされず、物語の上ですれ違い気味だった。コングが落ちて行った後、アンがドリスコルに抱かれて泣くっていうのはちょっと違う気がする。

 まあ多少欠点はあるし、文芸性を求めるような映画じゃないが、娯楽大作としては見事な出来である。手を替え品を替え、とことん観客を楽しませてくれる。拍手。


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