アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

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シャイニング

2007-07-20 23:57:34 | 映画
『シャイニング』 スタンリー・キューブリック監督   ☆☆☆☆

 ご存知『シャイニング』。DVDにて再見。スティーヴン・キング原作、名匠キューブリックが監督したホラー映画である本作のコワ美しさを堪能したいと思い、大画面TVを購入した記念にDVDを買った。ところが表示された画面を見て愕然。なんと、ワイドスクリーンじゃない。片面スタンダード、片面ワイドスクリーンのディスクなのかと思ってチェックしてみたがやはりそうじゃない。なんということだ。この映画の魅力はその圧倒的な映像美にあるというのに。そもそも私はオリジナル・サイズのワイドスクリーンじゃないと映画を見る気がしない。せっかく大画面TVを買ったのに。

 調べてみると、どうやら『シャイニング』のワイドスクリーン版は発売されていない。日本のアマゾンもチェックしてみたが同じみたいだ。しかも日本版では「コンチネンタル版」とかいう短縮版しか出ていないようだ。わけが分からない。さらにDVDパッケージをチェックしてみると、「この作品はスタンリー・キューブリックが意図した通り、オリジナル・ネガのフルスクリーンで表示されます」みたいなことが記載されている。まさか、この映画はもともとこのテレビサイズなのか? んなわけないよな? まあとにかく、販売会社さんは一刻も早くワイドスクリーン版を出していただきたい。

 さて、あらすじはご存知の通り、ジャック・ニコルソン演じる作家ジャック・トランスが冬の間クローズするホテルの管理をすることになり、妻と息子の三人でオーバールック・ホテルにやってくる。このホテルは冬の間は雪に閉ざされ陸の孤島となる。かつて発狂した管理人が家族を惨殺したことがあるという。ジャックはこの話を一笑に付す。ジャックの息子は「かがやき」と呼ばれる一種の霊感能力があり、このホテルにまがまがしいものを感じ取る。やがてオーバールックは雪に閉ざされる。ジャックはしだいに狂っていき、ついに斧を取って妻と息子を殺そうとし始める……。

 『2001年宇宙の旅』がそうであったように、この映画でもキューブリック独特の映像美と荘重な音楽の相乗効果が素晴らしい。冒頭、山あいを走る車(トランス一家の三人が乗っている)を俯瞰で見下ろすシーンからそれは明らかだ。ハリウッド的ホラー映画では、後に起きる恐怖とのコントラストを出すために日常的な平和な光景から始まる場合も多いが、この映画ではそうではない。映画はいきなりオーディエンスを別世界に連れ去る。重々しい音楽がとにかくこわい。
 
 ジャックの息子ダニーが見る幻覚もすごい。無人のエレベーターホールで、エレベーターの中からスローモーションで真っ赤な血が洪水のように溢れ出して来る。それから、シンメトリックなホテルの廊下に立つ幼い姉妹の映像。この姉妹は顔もそっくりで同じ服を着ているので双子のようだが、映画の中では年が違う普通の姉妹と説明されている。ただ二人の女の子が並んで立ってこっちを見ているだけなのだが、この映像はなんとも怖ろしい。

 そして物語のすべてが展開する豪奢なオーバールック・ホテルの映像。植え込みで作られた迷路、ボールルーム、バー、幾何学模様のカーペットがどこまでも広がる廊下、客室。キューブリックの映像は異様なまでのクリーンさ明晰さ、人間的な温もりを感じさせない冷たさ、夾雑物を一切排したニューロティックなまでの潔癖感を特徴とするが、その映像感覚はここでも全開になっている。特にボールルームのシーンが素晴らしい。オーバールックの過去が蘇り、ボールルームが着飾った賓客達で溢れかえり、バンドはノスタルジックな音楽を奏でる。ジャックはその中に入ってきて、バーに腰かけて酒を飲む。この下から照らし出されるピカピカしたバーや、後でジャックがブレイディ(家族を惨殺した管理人の亡霊)に連れて行かれる鮮やかな赤い内装のトイレなども、強烈に未来的な潔癖感を漂わせていて見事だ。

 カメラワークについていえば、この映画で初めてキューブリックは「ステディ・カム」と呼ばれる装置を使った。これは従来のカメラ映像の手ぶれを抑える装置らしい。詳しい仕組みは知らないが、とにかくこの映画における効果は圧倒的だ。音もなく空中をすべるようにしてカメラがキャラクターの後を追っていく、まるでカメラそのものが超自然的な存在のように。それが映像に強烈な浮遊感をもたらし、シンメトリックなキューブリックの映像構成とあいまって、豪奢なオーバールックを恐怖のオーラで包み込むのである。

 という風になかなかすごい映画なのだが、残念ながら欠点がある。ジャック・ニコルソンの演技である。この映画の彼の演技はほめる人もいるのだが、私はあきらかにやり過ぎだと思う。演技過剰だ。目を剥き、ギョロつかせ、脅すような笑みを浮かべ、意味ありげに首をかしげる。普通の映画でもこれはやり過ぎだと思うが、キューブリックの映画はそもそもキャラクターが背景に溶け込み、映像がクリアで夢のような均質性を保つ時に最高の効果を発揮する。だからニコルソンが大げさな演技をすればするほど彼だけが映画の中から浮き上がり、映画は説得力を失っていく。

 有名な俳優を起用せず、俳優が映像の中に溶け込むことによって『2001年宇宙の旅』が成功したように、キューブリックは本作でも顔バレしていない役者、ごく普通の人に見える役者を使うべきだったのではないか。そもそもニコルソンの容貌には怪異さがあり、最初から狂気をはらんでいる。私これから殺人鬼やります、と顔が主張しているのだ。やる気満々である。これでは面白くない。要するに、アダルトビデオと同じだ。この清楚な女の子がこんなことまで……、というその落差がいいのであって、最初から何でもオッケーみたいな女優が出てきたら面白くもなんともないのである。いや、これは脱線。とにかくごく普通の人がだんだんに狂っていき、最後に思いもよらない殺人鬼の形相に変貌してしまう方が、よほどショッキングで怖い映画になったと思う。
 
 それからジャックが狂っていく過程が今ひとつ唐突な感じがする。タイプしている時にウェンディがやってきてなんやかやと話しかけられ、ヒステリーを起こしてしまうなんてところはうまいと思うが、ウェンディとダニーが外で遊んでいる時、ストーリー的にこの時点ではまだ狂っていないはずなのに、すでに目を剥いてぼーっとした異常な顔がアップで映し出される。これは何なの? ニコルソンの顔で怖がらせようとしているのなら子供だましだし、この時点でもう狂っていたといういうならジャックはもともと精神異常者だったということになる。いずれにしろ、ニコルソンが俳優として持っている怪奇性に頼れば頼るほど、映画は弱くなってしまう。

 レッドラムという謎の言葉、その意味が分かった時の恐怖感、そして「近づくな」と言われる237号室がかもし出す恐怖感など、演出は非常に巧みだ。ダニーが四輪車に乗ってホテルの廊下をぐるぐる走るシーンが繰り返し挿入される(そしてステディ・カムがふわふわ宙を飛びながらその後を追う)など、安っぽいホラー映画では観られない芸術的なシークエンスにもこと欠かない。しかし全体としてはもう一歩で『2001年』並みの傑作になりそこねた映画、というのが私の印象である。

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