アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

秘密の武器

2017-04-08 23:24:40 | 
『秘密の武器』 コルタサル   ☆☆☆☆☆

 岩波文庫で出ているコルタサルの短篇集を読了。実はこの本、同じ岩波文庫の『悪魔の涎・追い求める男』と内容がかなりかぶっているので購入を見送っていたのだが、もはや未読のコルタサル短篇集が希少となったので、あきらめて購入した。なぜそんなに内容が重複した本が二冊出ているかというと、『悪魔の涎・追い求める男』は日本独自編集の傑作選で、こちらはコルタサルのオリジナル第三短篇集なのである。

 しかしこの短篇集、重複を別にすれば、非常に充実している。基本的に短篇作家であるコルタサルの最良の作品集をいくつか選ぶとすれば、確実にその中に含まれてくるだろう。具体的な超自然現象を描くことはせず、不安で謎めいたムード、曖昧性に満ちた霧のような魔術的テキストで引っ張っていくコルタサルの真骨頂が発揮されている。加えてもう一つの特徴は、本書中もっとも長い「追い求める男」がコルタサルらしい幻想譚ではなく、むしろ「らしくない」、リアリスティックなジャズ奏者の物語である点だ。不安と幻想の物語作家というコルタサルのイメージからは外れた作品だが、小説としての出来はやはり素晴らしい。コルタサルという作家の凄みは題材の幻想性や非現実性にあるのではなく、絶妙に揺らぐテキストと複雑な情緒の喚起力だと今や確信している私は、それゆえにこの作品集を高く評価しないわけにはいかない。

 さて、本書に収録されているのは「母の手紙」「女中勤め」「悪魔の涎」「追い求める男」「秘密の武器」の五篇。ひとつひとつ簡単にご紹介したい。

「母の手紙」:コルタサルが時折扱う恋愛要素が織り込まれた、ロマン性を持った一篇。兄の恋人を弟が奪い、その後兄が死ぬ。弟と恋人は故郷の煩わしさを逃れ、パリに出てきて暮らす。やがて母から届く手紙の中に、兄の名前が出てくるようになる。あたかもまだ兄が生きているかのように。最初は書き間違いだと考えるが、やがて兄がパリへ行くと書かれた手紙が届く…。単なる書き間違いを扱った心理的な短篇とも、不気味な幻想譚ともとれる揺らぎがいい。コルタサルらしい後悔と不安の情緒が渦巻き、後ろめたくも甘美な記憶のイメージが立ち上がる。

「女中勤め」:これも、「追い求める男」と同じく幻想的要素が希薄な一篇。上流階級の家を渡り歩いているらしいベテラン女中の心理をきめ細かく追いながら、彼女が参加するパーティーの模様、それに続く葬式、そして葬式で故人の母親をふりをして欲しいという奇怪な頼み事の顛末を描く。訳者の「あとがき」によればこれは上流階級の腐敗を描くものだそうだが、物語の中心となる、葬式での偽装の目的は明らかにはされない。個人的には、主人公である女中の心理の流れ、つまりノスタルジーを伴った記憶やささやかな癒し、不安感、痛みなどを伴う意識の流れを、曖昧にうつろっていく霧のような感覚で描き出したテキストが読みどころだと思う。

「悪魔の涎」:以前『悪魔の涎・追い求める男』のレビューでもちょっと触れたが、これはコルタサルらしい実に不思議な短篇。語り手はある日、少年と女と男の不穏な光景を目にし、写真に撮る。後日その写真の中で、実際に起きたこととは違う現実が展開する。このプロットも特異だが、さらに異様なのはこの逡巡と逸脱に満ち満ちたテキストそのもの。人称もころころ変わるし、どう書いたらいいか分からないだの、理由を問い始めたらきりがないだの、読者にはわけが分からない奇怪な言い訳と躊躇で溢れ返っている。ストーリーに関係ない雲の描写が何度も出てきたりする。コルタサルの企みが、その語り口と切り離せない関係にある証左である。

「追い求める男」:破滅的な人生を生きるジャズのサックス奏者の物語。語り手は伝記作家で、その天才、熱狂的演奏、気まぐれ、麻薬浸り、そして数々のトラブルのスケッチでサックス奏者の肖像を描き出していく。主人公のモデルはチャーリー・パーカー。先に書いた通り幻想譚ではないが、別の次元、別の現実を執拗に追い求める主人公の生き方にコルタサルらしさがある。

「秘密の武器」:知り合ったばかりの娘ミシェルに恋する青年が語り手。二人はまだ恋人未満の関係で、青年はミシェルの別荘に招かれる。彼にはなぜかまだ行ったことがないその別荘の記憶がある。別荘を訪れ、彼女と結ばれようとする時またしても不思議な幻覚に襲われる。ミシェルを暴力的に犯そうとする自分の姿。それはミシェルの、ある忌まわしい過去の記憶に関係するものだった…。コルタサルらしさが十全に発揮された不気味な短篇で、読者を惑乱させつつ、最後には現実の向こう側にある彼岸の世界を垣間見させる。

 どの短篇もそれぞれ異なる題材を扱い、異なる方法で書かれていながら、コルタサルのトレードマークである暗い抒情をまとっている。そしてそれぞれ異なるやり方で、どこまでも謎めいている。やっぱりコルタサルの短篇はいいなあ。



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2 コメント

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Unknown (サム)
2017-04-11 20:40:47
僕も同じような感じです。『悪魔の涎・追い求める男』を持ってて、『秘密の武器』は図書館で借りて済ますつもりが、未読だった三つが非常に良かったので、結局買って手元に置いておくことにしました。特に好きなのが最後の「秘密の武器」です。要約してしまうとまた乗っ取られるパターンなんですが、暗く謎めいた文体の魅力で、なんとも形容しがたい読後感が残ります。
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秘密の武器 (ego_dance)
2017-04-18 11:39:06
一番強烈なのは「秘密の武器」ですね。戦慄します。個人的には「母の手紙」も好きですが。
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