アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

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東京物語

2009-08-04 20:10:19 | 映画
『東京物語』 小津安二郎監督   ☆☆☆☆☆

 小津の代表作のひとつ、『東京物語』を再見。モノクロ映画である。

 最初に観た小津作品がこれだった。笠智衆と東山千栄子の老夫婦が子供たちに会うために田舎から東京に出て行く。「ほんにお楽しみで」「おたくはお幸せですなあ」「いやあ」近所の人とのなんのことはない会話、棒読みみたいな笠智衆のセリフ回し。そして開業医をやってる長男(山村聰)のところへ行って「いらっしゃい」「おじいちゃんとおばあちゃんいらっしゃったわよ」「ほんに大きくなって」「これおいしいのよ」
 いやもう、まったくなんの変哲もない家族の風景である。こういうやりとりは子供の頃日常生活の中でよく見た。きっとみんなそうだろう。というあまりにありきたりの情景が続くので、これからどういう話になるのか最初はさっぱり分からない。

 翌日、両親を東京案内する予定が急患でつぶれる。「いやあ、わしたちはええよ」「大変じゃねえ」やがて子供たちが微妙に両親を持て余し始める。「まだどこにも連れて行ってない」「いつまでいるのかしら」
 こうしてだんだんと老夫婦の孤独が浮き彫りになっていく。孤独というと大げさかも知れない。老境の寂しさ、わびしさのようなものだ。子供たちは話し会って両親だけで熱海へ行かせる。親は子供に会いに来たというのに。母は言う。「こんなええ思いさせてもろうて」しかし旅館は若者たちで騒がしく、二人は夜眠れない。もう帰ろうか、と言って東京に戻ると「もう帰ってきたの? もっとゆっくりしてくればいいのに」と杉村春子が露骨に迷惑顔をする。しまいにはとうとう宿無しになってしまう。

 劇的な誇張など微塵もない緻密なリアリズムで描かれているだけに、老夫婦の寂しさは実にリアルだ。若者であふれる旅館の眠れない夜は本当に痛々しい。杉村春子演じる娘も両親に冷たいようだけども、親子関係の親しさとも取れ、そのあたりの匙加減が実に微妙だ。たとえば夫がお菓子を買ってくると「高いんでしょう? おせんべいでいいのよ。好きなんだから」
 どこの家庭でもあるごく普通の会話で、悪意など決してないのも分かるのだが、こういうのが積み重なって映画のムードを作っていく。それから母が死んだ後の、子供たちの会話。「こういっちゃなんだけど、お父さんが先の方がよかったわね」ぼろぼろ泣いた後にこういうセリフが出てくる。

 とはいえ、これは決して単純に子供たちの薄情ぶりを糾弾する映画ではない。母が死に、末の娘が兄や姉を「ひどい」といって批判した時、紀子(原節子)はそれは仕方のないことだ、みんなそうなっていくんだ、とかばう。小津監督はこの映画の中でおとなになっていく子供、老いていく親の普遍的な関係をある種の諦念とともに描き出しているように思える。

 したがって幸一(山村聰)やしげの(杉村春子)も決して悪人として描かれているわけじゃない。が、ただ一人老夫婦に優しく接する紀子も実は偽善者なだけで幸一やしげのと変わりはないのだ、という解釈も逆に図式的過ぎて違うと思う。確かに彼女は「あんたが一番よくしてくれた」という周吉に「私ずるいんです」と告白するが、本当に偽善者ならこんなことは言わないはずだ。紀子だって会社勤めで忙しい身であることは、最初に一人だけ遅れてくることでちゃんと明示されている。葬式の後一人で紀子が残った時も、彼女だけ暇だったからじゃない。それは敬三が一度は「ぼくはまだええんや」と言いながら「やっぱり帰るわ」と帰ってしまうことでちゃんと示されている。にもかかわらず、会社を休んで老夫婦を案内したのは紀子だけだったし、葬式の後一番最後まで周吉のそばにいたのも紀子だった。小津監督が紀子というキャラクターに失われつつある思いやりの心を託しているのは間違いないと思う。そしてその紀子が実の子供でなく赤の他人、というところがこの映画の強烈なアイロニーなのである。

 それから親を邪険にする子供だけでなく、子供に幻滅する親の気持ちもちゃんと描かれている。周吉が友人たちと飲む場面である。しかし親たちは「うちはええ方じゃ」と言いながら、すべてを呑み込んで年老いていくのである。

 『晩春』でも書いたがこの映画は非常に身につまされる映画で、あざとく描けばいくらでもお涙頂戴になる題材だと思うが、小津監督の緻密なリアリズムと抑制によって、安っぽいセンチメンタリズムは徹底的に排除されている。たとえば周吉ととみが紀子の家で死んだ次男の写真を見た時、周吉は淡々と「これも首を曲げとるな」と言う。それから妻が死んだ朝は「今日は暑うなるな」。とみの死の瞬間は描かれず、一番わんわん泣くのはしげの(杉村春子)である。本当に心を動かす映画にセンチメンタリズムは不要だということがよく分かる。

 残酷な冷ややかさとアイロニー、のほほんとしたユーモア、優しさ、そして厳しいリアリズムが渾然一体となった見事な映画だ。やはりこれはすべての日本人必見でしょう。

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8 コメント

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ああ、やっぱ観てましたね… (青達)
2012-04-28 15:00:32
いやはや、汗顔。そりゃ観てるよな…

この作品の杉村春子は僕の中では日本映画のオールタイム助演女優賞ですね。ちなみに彼女の役名はしげの、ではなくしげ(志げ)です。

本文中にある通り、しげは全然悪人ではありません。やたらずけずけ本音を言っちゃうけど(笑)そうそう、こういうおばちゃんいるよなーって。他の小津作品の杉村春子はこれほどまでにはぶっちゃけてない。とにかく腹が立つくらい(賛辞)ドハマリの役。

葬式が終わって食事してる最中に母の形見の品を「あたしあれ、もらうわ。いいわよね?」みたいな事を平気で言ったり。薄情というより現実主義的バイタリティを感じますね。実に腹立たしい(賛辞)。

紀子に関しては僕はego_danceさんとは意見が違いますね。確かに言われる通り紀子は老夫婦に凄く尽くしてくれます。偽善ではないというのもその通りでしょう。

でも僕個人の感想を言えば、なにくれと老夫婦を労わる姿が美しいのでは無い。

むしろ最後に「本当は最近では亡くなった主人の事を思い出すことは少なくなっているんです…」という本音を打ち明けてくれる<誠実さ>が美しいんだと思いますね。あの最後の告白が無かったらホントにただの善人で一番つまらないキャラクターになってたんじゃないでしょうか?
Unknown (ego_dance)
2012-04-29 01:04:46
そういう見方もあるかも知れませんね。ただ私としては、彼女の思いやりとその<誠実さ>は表裏一体のもので切り離せないと思っています。その誠実さがあるから義理の両親に優しくできるし、逆にその優しさがあるから自分に誠実になれるというような。
うーん、でもやっぱり (青達)
2012-04-30 15:14:37
最後の紀子の告白は決定的に重要だなあ。

この作品、老夫婦の子供達はもとより、温厚そのものの老夫婦でさえ子供達の愚痴をこぼすし、長男夫婦の子供はめちゃくちゃ可愛げが無いし(笑)、要するに一点の曇りも無い善なる存在がいない作品なワケで、ラスト前まで紀子はそういう人達とは対照を成すほとんど完全な善人、利他主義の塊みたいな役柄なわけです。

死んだ夫をいつまでも忘れず、言わばもう他人である老夫婦を「お父さん、お母さん」と慕って歓待し、他人には一切文句を言わず(この点では一番下の京子も、しげの人の気持ちを考えない言動を激しく非難する点で紀子の完璧超人ぶりには敵わない)…

とまあ、あんたはマザーテレサか!てなもんですが最後の告白でこの行き過ぎた紀子=聖女化にきちっとブレーキがかかる重要なポイントだと思うんですよ。

僕が「晩秋」がどうにも耐えられなかったのはあの話では娘が父親の面倒を見るために結婚もやめようとさえ言い出す狂信的なまでの聖女になっちゃってるんですよね。自己犠牲と言えば聞こえはいいけどもはや自分のヒロイズムに酔っ払っているとしか僕には感じられない。

実際、現代の女性が(思うに当時の女性も)あの映画を見て感動するなんてことはまずあり得ないと思います。たとえどんなに父親を尊敬してる娘であってもあそこまで行ったら不気味だ。僕などは何か別の怪しい関係さえ疑いますよ。

そもそもあれは娘を溺愛する父親の悪い意味での「理想」を描いた作品だと思いますね。

自分は娘の幸せを思って娘を嫁に出すために骨を折る。だが娘は父の老後が心配だと言って家に残ろうとする。そこで内心ではその言葉に満足しつつも「そんな事を言っちゃいかん。自分の幸せを第一に考えなければ」なんて物分りの良い父親を演じる…

…ああ、ほとほと自分が嫌な人間だってことが分かりますね(笑)でもやっぱりあまりにもリアリティーが無さ過ぎますよ、「晩秋」は。でも僕が娘を持った父親ならあれはまさしく理想のシチュエーションなんですけどね!(←無節操)
Unknown (ego_dance)
2012-05-01 11:09:26
なかなか厳しいですね。私はそこまで気になりませんが…。「晩秋」とおっしゃっているのは多分「晩春」のことかと思いますが(「麦秋」というのもあるのでまぎらわしい)、あれはお父さんが好きなだけじゃないでしょうか。私はこの映画、大好きです。

しかしまあ、解釈の相違もまた楽しということで。
しまった・・・ (青達)
2012-05-02 00:24:30
そう「晩春」でした…アホ丸出し…

「麦秋」の方は好きなんですよね。これも娘が嫁に行く行かない話ですが。こっちの結末の方が断然しっくりくるなあ。

「晩春」を観た女性の意見を聞いてみたいもんです。
Unknown (sugar mom)
2012-05-18 09:31:52
中村登の「紀ノ川」という映画をご覧になったことはおありですか?
香川京子主演の長編ですが。
青達さんなら、どうご覧になるか、ちょっと興味をもったものですから。

昨夜、先日放映された「東京物語」デジタルマスター版を見ました。
なんだか、身につまされました。
こんな風に見えました。 (mine)
2015-02-22 00:41:17
初めてコメントさせて頂きます。みごとな感想を書かれていていつも感嘆しつつ読んでおります。
 この映画は僕も好きで何度か繰り返して見ています。ちょっと前に感じた感想ですが、よろしかったらお付き合いください。紀子の人間像ですが、20代の頃の僕は、シェイクスピアの「リア王」のコーディリアのような役柄なのだと思っていました。映画全体の構成もそのようなものだと。
 社会人を経験して再度この映画を見たとき、別の感想を持ちました。あ、と思わず声が出る瞬間がありました。紀子は居ても居なくても変わらない閑職に就いているのではないだろうかーー。都会のオフィスの場面で、彼女が上司に休みを申し出たとき間髪を入れずに「いいよ」という返事があったと思います。休暇の延長もすぐ許可されたようでした。どうしてこの職を得たのかは推測の域を出ません(無き夫のコネなのか)。しかし紀子は満たされない日々を悩みつつ送っていたのは確かなように感じられました。仕事に充実感はない。かつての夫の顔も忘れてしまう。時間はどんどん過ぎ去っていく。怖い。この気持ちがすんなりと僕の中に飛び込んできました。尾道から老夫婦が来たとき懸命に尽くしたのも、むなしさを一時でも忘れられるささやかなハレの行事だったからでしょうか。だから懸命に尽くした。それゆえ後になって周吉から感謝されると「わたしズルいんです、そんないい人間じゃありません」という一連のセリフが出たのではないかと。周吉が新しい所帯を持ってくれと言ったのは、紀子の真の事情を察したのか、素朴さ故の言葉なのかわかりません。ただ、そう言われた紀子は顔を覆うしかなかった。紀子は偽善者でも高慢でも聖女でもなく、一人の普通の女性だったのでしょう。
 最後の場面で一人になった周吉の隣、妻の居ない空白は、よく言われる空虚ではなくて、周吉たち二人のそれなりに充実した人生を示し、紀子のこれからにエールを送っているようにも感じます。
 僕は、この感想を抱いた鑑賞時、そのあとすぐ亡くなった祖母と二人きりでTV画面を見ていました。土手の場面などを思い出すと何とも言えない気持ちになります。
 失礼いたしました。
紀子 (ego_dance)
2015-02-27 11:08:38
初めまして。拙文を読んでいただき光栄です。
紀子が満たされない日々を送っていたという解釈、面白いですね。私は気づかなかったので、次に観る時には注意してみたいと思います。彼女が過去にこだわっているのも、現在の空しさと表裏一体ということでしょうか。
それにしても、私ズルいんですの一言でここまで多様な解釈を許容してしまうというのが、やはり奥深い映画だと思います。

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