アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

長いお別れ

2005-11-16 10:40:03 | 
『長いお別れ』 レイモンド・チャンドラー   ☆☆☆☆★

 高校生か大学生の頃に読んでそれきりだったので再読。当時は本格ミステリ・ファンだったのであまり印象に残らなかったが、今読むとメチャメチャ沁みる。本格ものには真似のできない芳醇さである。やはりチャンドラーは良い。

 フィリップ・マーロウの名前を知らない人はあまりいないと思うが、例の「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」のセリフで有名な探偵である。独身、四十代、一匹狼、大して金はないが誰にも媚びずに生きている男。

 読めば分かるが、フィリップ・マーロウというのは男の理想形と言っていい。どこがどうそうなのか説明は難しいが、そうなのだ。昔読んだ何かの本に、もっとハンサムな探偵もいる、もっと腕っ節の強い探偵もいる、もっと推理力のある探偵に至っては大勢いる、にもかかわらずフィリップ・マーロウはミステリを読む女性にとって永遠のナンバー・ワンだ、みたいなことが書かれていた。それはあえて言えばクールさ、大人の諦観、したたかさ、タフさ、ロマンティズム、友情の厚さ、優しさ、知性、勇気、それらが絶妙にブレンドされたマーロウという男の複雑な性格の魅力なのである。

 ざっとあらすじをいうと、ある日マーロウは礼儀正しい酔っ払いテリー・レノックスと知り合う。二人は何となく意気投合し、一緒に飲みに行ったりする。やがてレノックスの妻が殺され、嫌疑を受けたレノックスはメキシコに逃げ、そこで自殺する。マーロウは彼の潔白を信じるが、刑事やギャングや有力者や色んな連中が事件を封印してしまう。やがてマーロウはある酔っ払いの作家を保護する仕事を引き受け、セレブ達が暮らす高級住宅街のドロドロした人間模様に巻き込まれていくが、やがてそれは意外な形でテリー・レノックス事件とつながっていく……。

 マーロウものにはマーロウ以外にも印象的なキャラクターが数多く登場し、物語の世界を魅力的にしているのだが、本書では何と言ってもテリー・レノックスが光っている。登場する部分は少ないが、彼の印象が強烈なので他のキャラクターがかすんでいる。酔っ払いのくせに礼儀正しく、一文なしのくせに誇りを持って酔いつぶれている、かと思うと、金持ちの女と結婚してぱりっとした身なりをしながら心に虚無を抱えている。
 このテリー・レノックスとマーロウの男の友情というか心の奥底の信頼というか、そういう微妙なものが本書最大のテーマといっても良いが、これがもう泣けるのである。二人は「おれたちは親友だぜ」みたいなのりはまったくなく、時々なんとなく一緒にギムレットを飲む程度のつきあいだったのだが、マーロウは最終的にレノックスの濡れ衣を晴らすために文字通り命を賭けることになる。一文の得にもならない、死んだ男にかけられた殺人の嫌疑を晴らすというただそれだけのために、マーロウは刑事、地方検事、ギャング、有力者のすべてを敵に回すのだ。

 新聞記者が彼に言う。「失礼だけど、あんたはあまりりこうじゃないね」
 マーロウが言う。「ぼくもそう思っているよ」
「まだ、気が変わったといってもいいんだ」
「気は変わらない。君が市の監獄からぼくを家へ送ってくれた晩を覚えているか。さよならをいう友だちがあったといったね。ぼくはまだほんとのさよならをいってない。君がこのコピーを新聞に出してくれれば、それがさよならになるんだ。ずいぶんおそくなったがね」

 長いお別れ。The Long Goodbye。それはマーロウが一時期友だちだったテリー・レノックスという男に贈る別れの挨拶なのである。

 フィリップ・マーロウものの基調は上質なセンチメンタリズムだと言っていいと思う。私はセンチメンタリズムというのは大抵の場合作品のレベルを下げると思うが、チャンドラーの場合は許せる。というか、匙加減が絶妙であるために、それが物語に素晴らしいコクを与えているのである。マーロウものはマーロウ視点の一人称で描かれるが、文体は簡潔で乾いていて、非常に抑制が効いている。テンションの高い、研ぎ澄まされた文体である。

 まだフィリップ・マーロウに会ったことがない人は、一度会ってみることをお勧めする。辛いことだらけの人生にも、胸を張って立ち向かう勇気をくれるかも知れない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿