アブソリュート・エゴ・レビュー

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マディソン郡の橋

2015-09-02 22:18:22 | 映画
『マディソン郡の橋』 クリント・イーストウッド監督   ☆☆☆☆★

 有名な『マディソン郡の橋』がクリント・イーストウッド監督作品であることは知っていたものの、単なる不倫のメロドラマだと思ってパスしていた。が、その後『グラン・トリノ』『ミリオンダラー・ベイビー』とイーストウッド監督映画の素晴らしさを思い知らされるにつれ、この有名なヒット作も気になるようになり、このたびようやく初鑑賞した。

 確かにメロドラマである。ストーリーは典型的といっていい。が、にもかかわらず秀作である。イーストウッド監督映画の美質がくっきりとあらわれている。ネットなどではボロクソに叩かれていることもあるようだが、筋が不倫のメロドラマだからすなわち駄作というならば『ボヴァリー夫人』も『アンナ・カレーニナ』も駄作になってしまうわけで、ことはそう単純ではない。筋は単なる一要素であって、作品全体を評価するにはやはりディテールを見なければならない。

 アイオワの田舎が舞台となっているが、まず、この田舎の空気感が非常によい。じっとりした暑さ。虫の声。風の音。夕暮れの静けさ。イーストウッド監督のスローで、精密な描写が世界の質感を作り上げていく。まったりとした濃厚な情緒が画面から溢れてくる。そしてストーリーが進むにつれ、この情緒はしだいに濃度を増していく。

 幸福な家庭の主婦フランチェスカ(メリル・ストリープ)は家族が遠出をしている四日間にカメラマンのロバート(クリント・イーストウッド)と出会い、魔法のように、あるいは宿命のように恋に落ちる。しかしふたりが一緒になれるはずもなく、別れの時は刻々と近づいてくる…。

 旦那がいい人で子供も素直で幸福な家庭なのに不倫するなんて、と怒る人がいるようだが、旦那が意地悪で家庭が不幸だから不倫する、じゃホントの昼メロである。フランチェスカは幸福で、自分が恵まれていることをちゃんと知っている。にもかかわらず、そこには「夢見ていた人生とは違う」というかすかな空しさがある。中高年になれば誰だって心の隅に抱えているだろう、人生へのそこはかとない幻滅と諦念がある。これがきっちり描かれていることがこの映画のポイントであり、この諦念と現実のほろ苦さは、この映画の底流として流れ続ける。

 だからって腹いせに目の前に現れたカメラマンと不倫するなんて、というのもちょっと待て。フランチェスカがロバートという男性に惹かれたことは間違いないのだが、ここで暗示されているのは、ロバートは他の世界からの使者だということだ。彼はボヘミアン的な生活をし、世界中を飛び回っている。ロバートがイタリアの小さな町で衝動的に列車を下り、数日そこに滞在したと聞いた時、フランチェスカは「計画もしてなかったのに? 友人もいなかったのに? 急にそこで下りたの?」と何度も聞き返す。彼女の顔には驚きがある。世の中にはそんな人生があるのか、という驚きである。

 つまりロバートはフランチェスカが知らない広大な世界からの使者であると同時に、より正確には、フランチェスカがこれまでの人生で振り捨ててきた、あるいは諦めてきたさまざまな可能性の世界からの使者なのである。おそらくは彼女の人生において最後の使者であり、また事実そうだったことは映画の後半を観れば分かる。ミラン・クンデラがどこかに書いていたが、若い時は皆、自分の人生を未来に向かって無数の枝を分岐させる大樹のようなものとしてイメージする。それは甘美なイメージである。しかし歳をとるとともにイメージは変化する。枝分かれはだんだんと消えていき、最後には、終わりまで続くただの一本道となる。フランチェスカはロバートに別れを告げる時、いかようにもありえた自分自身の人生、かつて無限に枝分かれしていた自分の人生に別れを告げているのである。
 
 一方で、これをフランチェスカとロバートの恋愛物語として見た時、この愛は癒しや幸福よりむしろ苦しみの方を多くもたらしていると感じるのは私だけだろうか。この映画を「中高年でも恋愛しよう!」という甘ったるい恋愛礼賛だという人がいるが、私には全然そういう風には見えない。この四日間の前、フランチェスカはそれなりに幸福な主婦だったし、ロバートは気楽なボヘミアンだった。しかしこの愛はふたりの人生にふいにやってきて、不条理なまでに二人の人生を歪めてしまう。映画の後半でふたりが味わう苦しみは途方もないものだ。恋愛とはただきれいでうっとりするような甘いものではなく、むしろ破壊的な、残酷なものなのであり、この映画はきちんとそれを描いている。そしてもちろん、それと表裏一体となって、えもいわれぬ恋の陶酔があるのである。

 このようなニュアンスや多義性が、一見単純なメロドラマの骨格を持つこの映画を豊かにしている。もちろん、その功績の多くはメリル・ストリープとクリント・イーストウッドの演技に負っている。雨の中、ずぶぬれになってフランチェスカに近寄ろうとし、諦めて、ただ微笑むだけで去っていくイーストウッドの芝居は泣かせる。恋愛映画の名場面の一つといっていいのではないか。

 また、本篇の物語はフランチェスカの日記によって語られる過去のもので、二人の息子と娘がそれを読む体裁になっているのもなかなか巧い。最初に二人が「不潔だ」と拒否反応を示すことで、不潔でけしからん母親の愚行という「見せかけ」と、実際に起きたのはどういうことだったかという男女の「真実」を対比させることが可能になっている。ただし、最後に息子と娘がすっかり変心してしまうはちょっとあからさま過ぎると思う。

 とりあえず、不倫は絶対許せないという人でなければ見る価値ある映画です。



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2 コメント

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Unknown (サム)
2015-09-05 00:27:35
イーストウッドの作品はだいたい全部観ているのですが、恋愛ものが好きでないのでこれはパスしておりました。なかなかおもしろそうです。食わず嫌いはよくないなと思いました。
ネットを見ていると映画や小説の登場人物にまで道徳的であることを求める人がいて驚きます(しかもかなり偏狭な道徳観で)。感情移入能力が強いんでしょうか・・・
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Unknown (ego_dance)
2015-09-05 22:40:46
そうですねえ。虚構というものは、見せかけの奥にある真実を取り出して見せるものでもあるので、「だって悪いことじゃないか」と否定するのはおかしいと思いますね。特に、一般に悪いとされていることの中に、何かしら人間的な真実を見つけようとする虚構も多いわけで。それに、映画を映画として評価することと、実生活で不倫を許容することとはまったく別の話ですからね。
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