昨日から日本が大変なことになってる。こんなブログを見てる人はいないんじゃないかと思うが、だからと言って私が自粛してもしようがないので、いつも通り更新させてもらおうと思う。とりあえず、皆様のご無事を心からお祈り申し上げます。
『グラン・トリノ』 クリント・イーストウッド監督 ☆☆☆☆☆
DVDで再見。クリント・イーストウッド監督最高傑作の誉れ高い作品である。決して派手じゃないが、滋養と旨みが隅々まで染み渡った熟成肉並みの味わい深さだ。しかも、しみじみするだけじゃなくしっかりと面白い。どんなジャンルの映画を観たい時でも、これを観れば大体満足できるんじゃないかと思う。
舞台はデトロイトの町外れ、寂れ気味の住宅地。ウォルト・コワルスキ(クリント・イーストウッド)は息子たちからも煙たがられる頑固ジジイである。長年連れ添った妻をなくし、一人暮らしとなっても、東南アジア人が増え白人が減ったこの地区を離れようとしない。ある日、隣に住むベトナム人一家の息子タオがチンピラどもに強制されてウォルトのグラン・トリノ(アメ車です)を盗みに入り、ウォルトはライフルを突きつけて追い払う。後日、タオの家でチンピラどもが騒ぎを起こすが、これもライフルで追い払う。タオの一家は感謝にしるしに食べ物を持参し、お詫びにと言ってタオを働かせによこす。最初は嫌がって「おれを放っておいてくれ」なんて言っていたウォルトも、やがてタオにもいいところがあると認めるようになり、色々と教え始める。が、例のチンピラどもはまじめに働こうとするタオに何かとちょっかいをかけてくる。そして、ついに悲劇は起きた…。
地味でシンプルな設定ながら、多彩な物語要素が織り込まれている。まずは頑固者のオヤジの物語。息子たちにも煙たがられ、わがまま放題の孫娘を露骨に嫌悪し、誰にも媚びずに生きている。無愛想で可愛げがないが、観客は間違いなく全員がウォルトにシンパシーを覚えるだろう。息子夫婦が訪ねてきて、セールスマンみたいな口ぶりで老人ホームを勧め、ウォルトに叩き出される場面は痛快極まりない。
それから異文化の壁、世代の壁が乗り越えられる物語。ウォルトも最初は隣のベトナム人一家に偏見を持っている。が、さまざまな事件を通して彼の考えはだんだんと変わって行く。しまいには、なんたることだ、このベトナム人の家族の方が息子よりも自分に近いじゃないか、と思うまでになる。最初は意気地なしだと軽蔑していたタオのことも、次第に認めて行く。ウォルトやタオやスーが私たちに教えるのは、考えを変えることができる人間こそ勇敢なのであり、尊敬に値するということである。
さらに、師弟関係の物語。ウォルトはタオに男としての教育を施す。道具のこと。仕事のこと。女の子を誘うこと。人生に立ち向かうとはいかなることか。勇気ある行為とはいかなるものか。この部分はこの素晴らしい映画の中でもとりわけ感動的で、観るものの心を激しく揺さぶらずにはおかない。すべてが終わった時タオの胸に燦然と輝く勲章が、ウォルトの思いのすべてを物語っている。
そしてまた、バッド・ガイと戦う勧善懲悪の物語。物語に暗雲を投げかける東南アジア系のチンピラどもは、チンピラと言っても銃で武装した危険なストリート・ギャング団であり、彼らがタオの一家にもたらす不幸はあまりにも凶悪だ。ハリウッド映画によって悪人たちの所業に慣れっこになっている私たちも、彼らのスーに対する仕打ちにはめまいを覚えずにはいられない。それは私たちが、もはやスーを自分の家族のように思い始めるからだ。最終的にこの映画の中では、あのチンピラどもからタオの一家を守ることが至上のミッションとなるが、その緊迫感はどんなに派手なアクション映画にも負けない。
こんな風に本作の中では、過去の色んな映画に活用されてきたプロットが再利用されているが、安直な紋切り型は一つもなく、むしろ曖昧で多義性を持たされ、厳しく抑制されることで素晴らしい説得力を獲得している。たとえばウォルトとベトナム人一家は打ち解けるが家族同然になるわけじゃない、ウォルトはタオを教育するが親子同然とまではいかない(あくまで友人どまり)、などなど。
さらに、この映画の最上の達成はテーマやストーリーそのものにではなく、そのトーンの中にある。軽すぎず、重すぎず、感傷的ではないがドライでもなく、抒情的でありながら過度にウェットじゃない。非常にニュートラルで、自然で、余裕がある。だからユーモラスな場面はとてもユーモラスだし、シリアスな場面はどんな悲劇映画より重厚だ。すべてが無理なく同居している。どの場面も振幅が広いデリケートなニュアンスに満ちて、あざとく盛り上げようとしていないにもかかわらずとても感動的だ。
本作は、斬新なプロットやアイデアばかりが傑作の条件ではないことを教えてくれる。これこそ成熟、という感じがする。数々の過去の名画たちと、そこできたえられ蓄積された物語原型が長い歳月の中で熟成し、芳香を放ち、結実したかのような映画である。
『グラン・トリノ』 クリント・イーストウッド監督 ☆☆☆☆☆
DVDで再見。クリント・イーストウッド監督最高傑作の誉れ高い作品である。決して派手じゃないが、滋養と旨みが隅々まで染み渡った熟成肉並みの味わい深さだ。しかも、しみじみするだけじゃなくしっかりと面白い。どんなジャンルの映画を観たい時でも、これを観れば大体満足できるんじゃないかと思う。
舞台はデトロイトの町外れ、寂れ気味の住宅地。ウォルト・コワルスキ(クリント・イーストウッド)は息子たちからも煙たがられる頑固ジジイである。長年連れ添った妻をなくし、一人暮らしとなっても、東南アジア人が増え白人が減ったこの地区を離れようとしない。ある日、隣に住むベトナム人一家の息子タオがチンピラどもに強制されてウォルトのグラン・トリノ(アメ車です)を盗みに入り、ウォルトはライフルを突きつけて追い払う。後日、タオの家でチンピラどもが騒ぎを起こすが、これもライフルで追い払う。タオの一家は感謝にしるしに食べ物を持参し、お詫びにと言ってタオを働かせによこす。最初は嫌がって「おれを放っておいてくれ」なんて言っていたウォルトも、やがてタオにもいいところがあると認めるようになり、色々と教え始める。が、例のチンピラどもはまじめに働こうとするタオに何かとちょっかいをかけてくる。そして、ついに悲劇は起きた…。
地味でシンプルな設定ながら、多彩な物語要素が織り込まれている。まずは頑固者のオヤジの物語。息子たちにも煙たがられ、わがまま放題の孫娘を露骨に嫌悪し、誰にも媚びずに生きている。無愛想で可愛げがないが、観客は間違いなく全員がウォルトにシンパシーを覚えるだろう。息子夫婦が訪ねてきて、セールスマンみたいな口ぶりで老人ホームを勧め、ウォルトに叩き出される場面は痛快極まりない。
それから異文化の壁、世代の壁が乗り越えられる物語。ウォルトも最初は隣のベトナム人一家に偏見を持っている。が、さまざまな事件を通して彼の考えはだんだんと変わって行く。しまいには、なんたることだ、このベトナム人の家族の方が息子よりも自分に近いじゃないか、と思うまでになる。最初は意気地なしだと軽蔑していたタオのことも、次第に認めて行く。ウォルトやタオやスーが私たちに教えるのは、考えを変えることができる人間こそ勇敢なのであり、尊敬に値するということである。
さらに、師弟関係の物語。ウォルトはタオに男としての教育を施す。道具のこと。仕事のこと。女の子を誘うこと。人生に立ち向かうとはいかなることか。勇気ある行為とはいかなるものか。この部分はこの素晴らしい映画の中でもとりわけ感動的で、観るものの心を激しく揺さぶらずにはおかない。すべてが終わった時タオの胸に燦然と輝く勲章が、ウォルトの思いのすべてを物語っている。
そしてまた、バッド・ガイと戦う勧善懲悪の物語。物語に暗雲を投げかける東南アジア系のチンピラどもは、チンピラと言っても銃で武装した危険なストリート・ギャング団であり、彼らがタオの一家にもたらす不幸はあまりにも凶悪だ。ハリウッド映画によって悪人たちの所業に慣れっこになっている私たちも、彼らのスーに対する仕打ちにはめまいを覚えずにはいられない。それは私たちが、もはやスーを自分の家族のように思い始めるからだ。最終的にこの映画の中では、あのチンピラどもからタオの一家を守ることが至上のミッションとなるが、その緊迫感はどんなに派手なアクション映画にも負けない。
こんな風に本作の中では、過去の色んな映画に活用されてきたプロットが再利用されているが、安直な紋切り型は一つもなく、むしろ曖昧で多義性を持たされ、厳しく抑制されることで素晴らしい説得力を獲得している。たとえばウォルトとベトナム人一家は打ち解けるが家族同然になるわけじゃない、ウォルトはタオを教育するが親子同然とまではいかない(あくまで友人どまり)、などなど。
さらに、この映画の最上の達成はテーマやストーリーそのものにではなく、そのトーンの中にある。軽すぎず、重すぎず、感傷的ではないがドライでもなく、抒情的でありながら過度にウェットじゃない。非常にニュートラルで、自然で、余裕がある。だからユーモラスな場面はとてもユーモラスだし、シリアスな場面はどんな悲劇映画より重厚だ。すべてが無理なく同居している。どの場面も振幅が広いデリケートなニュアンスに満ちて、あざとく盛り上げようとしていないにもかかわらずとても感動的だ。
本作は、斬新なプロットやアイデアばかりが傑作の条件ではないことを教えてくれる。これこそ成熟、という感じがする。数々の過去の名画たちと、そこできたえられ蓄積された物語原型が長い歳月の中で熟成し、芳香を放ち、結実したかのような映画である。
本好きで、こちらのブログちょくちょく拝見させていただいております。
地震、結構大変です。ご存知かと思いますが原発が今問題になっています。
私は東京在住なのですが、停電や電車の運休で仕事にも影響が出ています。
会社では、つきあいのあるアメリカの業者たちが何かできないかと言って色々連絡してきます。こんな風に世界中の人々が心を痛め、力になりたいと思っているのだと思います。私も及ばずながら会社の義援金で協力したいと思います。
原発などまだまだ予断を許さない状況のようですが、日本の皆様、がんばって下さい。みんなが日本の力を信じています。
egoさんの分析は実に的を得ていて、胸のすく思いです。
クリント・イーストウッドはいいですね。
かなり早い段階から監督業も兼ねるようになりましたが、spを描いた「シークレットサービス」も良かった。
映画という財産の蓄積を、自分なりにどう描写にいかすか、それはもうセンスというしかないのでしょうが、クリント・イーストウッドのそれは、特にこの「グラントリノ」で最大限に発揮されていると思います。