アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

アンナ・カレーニナ(その1)

2011-01-23 15:34:08 | 
『アンナ・カレーニナ(上・中・下)』 トルストイ   ☆☆☆☆☆

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』を再読。言うまでもなく『戦争と平和』に並ぶトルストイの代表作であり、世界文学史上に燦然と輝く金字塔である。

 しばらく前に読んだリョサの評論集『嘘から出たまこと』に、かつて文学作品はわくわくするような面白さと斬新な芸術性を同時に持ち合わせていたのに、現代ではこの二つは両立しがたくなり、それぞれが別のジャンルの小説として追求されるようになってしまった、という意味の一文があり、とても印象的だった。確かにその通りで、現代の小説においてはページを繰る手ももどかしいページターナーはもっぱらエンタメの分野、斬新な文学的手法の試みは読むのに忍耐を必要とする純文学作品、という棲み分けがなされている。中には例外もあるが、この二つの資質がまるで水と油のように同居困難になっていることは事実だろう。が、かつてはそうではなかった。ワクワクするような面白さと文学的偉業は一つの作品の中で無理なく達成されていたのである。『戦争と平和』やこの『アンナ・カレーニナ』は、そうした黄金時代が産み出した最高の文学作品の一つだ。

 物語はとにかく豊穣で、膨大なディテールにもかかわらず全体としては弦楽四重奏のような優美な均整を保っている。どうやったらたった一人の人間がこんな小説を創り出せるのかさっぱり分からない。『戦争と平和』に比べるとストーリーは比較的シンプルだ。三つの家族の物語が平行して語られるが、物語の主軸はアンナとウロンスキイ、レーヴィンとキチイという二つのカップルの対比がキーになっている。この二つのカップルは何もかもが対照的で、アンナとウロンスキイの恋は不倫、悲劇的、刹那的、社交界的。レーヴィンとキチイは家庭的、幸福、堅実、カントリー・ライフ的。ちなみにレーヴィンはトルストイ自身がモデルと言われていて、レーヴィンがキチイにプロポーズする時のエピソードは作者自身の体験を踏まえているそうだ。

 主人公であるアンナとウロンスキイの物語は、要するに不倫話である。上流階級の既婚婦人アンナ・カレーニナは独身の軍人ウロンスキイと出会い、恋に落ち、家庭を捨てる。彼女を取り巻く状況は次第に悪化し、やがて悲劇的な結末を迎える。このプロットだけならそこいらへんのテレビドラマでやっててもおかしくなさそうだ。これが世界文学史上稀有な名作となってしまうのはなぜか。

 理由の一つは、まずトルストイが人間を描写する際のその圧倒的な厚み、ふくらみである。紋切り型というものがまったくなく、リアルな人生が人に与える意外性、はっとするような驚きが常にある。薄っぺらなテレビドラマでは逆立ちしてもかなわない。たとえば人妻であり、人格も優れたアンナがウロンスキイに惹かれて行く過程の緻密さ、真実味を見てみよう。その心理は決して直線的に発展していかない。複雑な曲線を描き、行きつ戻りつし、他人だけでなく自分自身をも欺き、二重三重に隠蔽される。ウロンスキイがアンナが滞在中の家を訪れた時、勧められても決して上がろうとしなかった、というエピソードがあるが、ただそれだけのことにアンナが不安を感じるくだりの意味深長さ。あるいはまた、ウロンスキイと初めて会った時は平然としていたアンナが、ウロンスキイの行動にだんだん胸騒ぎを感じるようになっていく過程。それを否定するアンナの心の動き。急がず騒がず、トルストイはじっくりとことを進めて行く。

 それから語りの視点の移動、これが巧い。たとえば物語の冒頭ではウロンスキイはキチイを追いかけており、キチイもウロンスキイに恋している。そこにアンナが登場し、ウロンスキイはアンナに目を移す。この変化はある時はアンナ視点で、ある時はアンナとウロンスキイを眺めているキチイ視点で語られる。この視点の変化によってアンナの印象が微妙に変化し、読者の心の中にプリズムを通して見るような複雑な人物像が形作られる。

 さらに、トルストイの小説手法のきわめて重要な要素である、語りのスピードの変化と省略のテクニック。スピードの変化とは詳細にじっくり語る部分と簡潔にさくっと語る部分の使い分けで、省略とはもちろん物語のある部分をきれいさっぱりとばしてしまうことである。トルストイはこれが実にうまい。そしてこれによってストーリーテリングを滑らかにするだけでなく、話を膨らませたり余韻を深めたり、人物に謎めいた複雑さを付与したり、あるいはエピソードをさらにドラマティックにしたりする。分かりやすい例でいうと、たとえば本書のクライマックスであるアンナの劇的な最期の直後、突然時間が二ヶ月とび、関係ない人物の関係ないエピソードに切り替わり、そこから徐々に後日談を小出しにしていく。

 という風にストーリーテリングだけでも様々な名人芸が駆使されているが、これは本書の魅力のほんの一部でしかないのである。たとえばミラン・クンデラが本書のセルゲイとワーレンカのキノコ狩りのエピソードについてどこかで書いていたが、この二人はお互いに惹かれ、この人と結婚できればと思っている。そしてある日二人きりでキノコ狩りに出かける。本人たちも回りの人々も、今日こそプロポーズがなされる日だと感じて盛り上がる。セルゲイとワーレンカは森の中で向き合い、ついに決定的な言葉が告げられようとする。ところがその時、ワーレンカはついキノコのことを口にしてしまう。セルゲイもどうしてか分からないまま、キノコのことばかり喋り続ける。こうして結局、誰もが待ち望んでいた告白はなされないまま終わってしまう。キノコ狩りから戻った二人は、もはやこの先告白がなされることは決してないことを知る。

 このようにしてトルストイは、人間の人生や運命を支配しているのがロジックや理性ではなく、あるいは感情でもなく、何かとらえどころのない不条理なメカニズムであることを明らかにする。本書のプロットを転がしていくのは何よりそのメカニズムであって、それがトルストイの物語を強烈にリアルなものとして感じさせるのである。

(次回へ続く)


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お詫びとお願い (あまみっく)
2013-12-07 18:40:04
はじめまして。
『アンナ・カレーニナ』の感想を探していたら、こちらのブログに辿りつきました。文章もわかりやすく、すばらしかったので、記事の中で紹介させていただいたのですが、間違えてトラックバックを2回送信してしまいました。
もし削除が可能であれば、1つ削除していただきたいのですが、よろしいでしょうか。
お手数おかけしてしまい、申し訳ありません。よろしくお願いします。
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はじめまして (ego_dance)
2013-12-08 04:18:53
ご連絡どうもです。一つ削除しました。記事をご紹介いただいてありがとうございました。
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ありがとうございます (あまみっく)
2013-12-08 22:21:18
削除ありがとうございました。
『戦争と平和』のレビューも拝読しました。今までなかなか手が出せずにいたのですが、ego_danceさんのレビューを読んでやっと決心がつきました。近々トライしてみたいと思います。
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