A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「ジッラ 修羅のシマ」見てきました!

2024-04-11 22:41:03 | 映画感想
 というわけで今日も塚口です。
 ただでさえ上映スケジュールがおかしいことになっている塚口ですが、明日からはいよいよガルパンが始まるので1日に2~3本は見ないと間に合いません。マジでどうなってるんだよこの映画館。
 さて今日見てきたのはこれ!
 
 
 みんな大好き「大将(タラパティ)」ことヴィジャイ氏が、「若大将」と呼ばれていた2014年の作品。
 これまで氏の主演する作品はたくさん見てきましたが、こないだの「マジック」の感想でも書いた通りタイトルよりも先に「若大将・ヴィジャイ」の名前がスクリーンにどーんと表示されるのを見るにつけ、インド社会における映画スターという立場の大きさ・偉大さを感じずにはいられません。
 主人公・シャクティはマドゥライの街を牛耳るギャングの大ボスであるシヴァンの右腕であり、「ジッラ(縄張り)」のあだ名を持つ実力者。シャクティは少年時代に父を警官に殺されたことから、カーキ色のバッグすらをも嫌う大の警官嫌いとなっています。そんな折、新しく着任した警視総監によって犯罪の取り締まり強化が告げられます。これに対しシヴァンは、警察からの介入を抑止するためにシャクティを警官の試験に不正合格させ無理やり警察にして内部に潜り込ませます。嫌がるシャクティですが、町中にある工場のガス爆発事故で多数の犠牲者がでたことをきっかけに、今までとは違う警官という立場から街の状況を知り……。
 本作の感想を一言で言わせてもらうと「参った!」です。
 何に参ったかと言うと本作のラスト。だって、
 
・ギャングの大ボスとその右腕で親子同然の関係
・警察の内情を探るために無理やり警官にさせられる
・父親の所業を知り親子関係が断絶
・警察として街の犯罪を浄化するために犯罪を検挙し続ける息子によってギャングとしての権力を削がれる父
・この一連の事件はすべて、かつてシャクティが父を失った事件の際に同じように父を失ったシヴァンの幹部が糸を引いていたものだった
 
 この流れって絶対にラストでシヴァンがシャクティをかばって死ぬパターンじゃないですか。
 なのでわたくし、一度は離れてしまったシャクティとシヴァンの心が中盤過ぎ辺りからまた少しずつ近づき始めているのを見て「これ上げて落とすパターンだ……二人が再びわかりあえたときにはもう手遅れなやつだ……」と悲しみにくれておりました。しかし、
 
 わたくし「ここからでも入れる保険があるんですか!? あるわけないよな……」
 R・T・ネーサン監督「あるんだよなあこれが。オラッくらえ最高のハッピーエンドじゃい!!」
 わたくし「アヒィ参りました最高のハッピーエンドですゥ!!!(即死)」
 
 といった感じでした。あの展開から両者生存ルートってあり得るんだ……。
 わたくし本作に関しては例によって例のごとくポスターとトレーラー以上の前情報はなしで見に行きました。それで、ポスターには「ギャングものでありながらコメディ満載」と書かれていたので、「ヤマドンガ」と同じくらいコメディに寄せた作品なのかな?と思ってました。確かに中盤くらいまではコメディシーンが多めで笑えてたんですよ。しかし中盤以降の展開には「は、話が違うやんけ……」となってこれ確実にシヴァンが死ぬ流れだ……と脳が勝手に結論付けて悲しみのどん底に沈んでましたが、まさかまさかのハッピーエンドでうっかり拍手喝采してしまいました。
 思うに本作の骨子は「親離れ・子離れ」だと思うんですよね。もちろん犯罪が取り締まられないまま放置されているインド社会の抱える問題も描写されてはいるものの、やはりメインとなるのはそうしたソーシャルな部分よりもシャクティとシヴァンのパーソナルな関係だと感じます。
 シヴァンはシャクティの実力を認めているしシャクティはシヴァンを尊敬しているので、一見理想的な親子関係に見えます。しかし、二人の関係はギャングということを差し置いてもやはりどこかいびつ。特にシヴァンのシャクティに対する態度は、「俺の望む言葉を言え!」というセリフからも分かる通り非常に支配的……というよりは、その支配欲の根底にあるのは「息子をいつまでも自分の手元に置いておきたい」「いつまでも自立・独立せずに自分に依存していてほしい」という願望のあらわれなんじゃないでしょうか。
 また二人の関係は、はからずも警察というこれまでとはまったく異なった立場に置かれることでこれまでになかった新しい認識を身につけた若者と、これまで通りの古い生き方や考え方に固執してしまう老人という対比のようにも思えます。そう考えると、本作のテーマは「古い考えを捨てて新しい認識を獲得すること」とも言えるんじゃないですかね。主人公はシャクティですが、「大きく変わる」という点ではシヴァンもまた主人公なのでは。
 こうしたストーリーにおいて「主人公が乗り越えるべき壁」である父親はその立場上重要な場面で死んでしまうことが多いんですが、それはつまり父親が古い考えや古い時代の象徴だからでしょう。然るに、本作の父親ポジションのシヴァンは最終的に「息子に負けることは親にとって誇りだ」と言い、警察官となった息子に手を取られて堂々と逮捕される。シャクティが変わったようにシヴァンもまた変わった、変われた。だからこそ両者ともに生存するというハッピーエンドにつながったんだと思います。
 本作のテーマは「親離れ・子離れ」と書きましたが、親離れ子離れって別に親子が離れ離れになることではないですよね。親子という社会的立場をいったん手放して、ひとりの人間として認め合うというプロセスが正常な親離れ子離れだと言えるでしょう。と同時に、それを行うのがどれほど困難なことかも本作ではしっかり示していると言えるのではないでしょうか。
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