そういやもう4月になるんですよねえ……。
というわけで、なんとか今年もエイプリルフールネタを仕込み中。
といっても毎年のことながら文字オンリーのネタですが。
あと大熱波記念日のネタもなにか考えないとなあ……。
うーんやっぱりここ数日気力が低減してる気がする、というか低減してる。
とりあえず早起きくらいからやってみるか……。
やはりというかなんというか、なかなかいつもの状態に戻らない感じです。
明らかに気力が低減してる。
やらなきゃいけないことだけじゃなくてやりたいことも確実にあるはずなのに、どうにも行動に移るまでの気力がわかないことが多い。
自分で自覚してるよりも過度に多くのことをやろうとしてるのかなー……。
月末から月の頭まではある程度時間ができるので、その時間使って少しずつやるべきことを消化していくか……。
「何もせずにのんびりする」って選択肢もあるんだろうけど、やはり「何かをしなきゃいけない」って気持ちが凄く強いんだよな。
何かしてないと落ち着かないけど、何からすればいいのかわからないというか、何かをしてても常に他のことが気になって没頭できないというか……。
焦燥感がずっとついて回ってるんだよな……。
明らかに年をへるごとに気力が低減してるし、何かを楽しむことすらできなくなってる。
こういう状態だと、何をするにつけても内発的動機付けが生じないんだよなあ……。
やることを小分けにして、いっぺんの大量のことを片付けなくちゃいけないという考えをなくせばいいと頭ではわかってるものの、なかなか……。
落ち込んだ時にはSTGが一番。
肩こりも治るし運気も上昇、リウマチにも効くし彼女もできる! STG万能! STG万歳! 讃えよSTG! 崇めよSTG!
はい、無数の注射痕と引き換えに平静を取り戻しました。
……というわけで「SATAZIUS」クリアしました。
難易度はノーマルでコンティニューあり。
同サークルさんの作品「WOLFLAME」もそうでしたが、今どきのSTGには珍しくステージ数が多くボリュームたっぷり。
これはおそらく地形シューのお約束をすべて詰め込むためと思われます。
洞窟、火山、要塞、高速スクロール、シャッター地帯などなど、地形シューの美味しいところ全部入りの作品に仕上がってます。
まさに「地形シュー満漢全席」と言ったところ。
ボスラッシュもあったのが個人的にはうれしかったですね。
また、敵キャラに関しては中型機がかなり大きく、また爆発のエフェクトが派手で(特にボス)壊し甲斐があります。
反面、一部ボスの攻撃パターンが少ない、使える武器が限られてるといった点はちょっと残念だったかな。
ともあれ、楽しいゲームでした。
ハードモードが出たのでぼちぼち挑戦してみようかな。
過ぎたことをあまり長く引きずるのも良くないとは思いますが、やはりいろいろ考えてしまいます。
五段受験に失敗したことももちろん引きずってはいますが、それ以上に考えているのは自信について。
前にも書いたと思いますが、今回の受験は珍しくかなりの自信を持って臨みました。
しかしその自信は、今にして思えば所詮借り物だったんですよね。
確かに、先生を始め道場の人たちからは十分合格を狙えるとの評価は頂いていました。それが嘘とは思いません。
しかし、「自分はこれだけのことをやってきたんだからイケるはず!」と、「他の人が褒めてくれるからイケるはず」ってのはやはり違う。
本当の自信というのは、やはり自然と身のうちから生じるものでなければならないと思います。
のみならず、やはり外側から与えられた自信はやはり異物、ともすれば毒物なわけです。
もちろん外側から与えられるものすべてがそうであるとは思いません。
指摘や意見など、外から与えられて自分の栄養となるものももちろんあります。
では今回の「外から与えられた自信」というものはなぜそうならなかったか。
消化・吸収できなかったからです。
体質によってうまく消化・吸収できなかったりアレルギーを起こしたりする食べ物や栄養素があるように、こうした精神的な要素にもそうした側面があります。
僕はこと自信というものを持ちにくい体質でして、もう「自信満々」という状態が想像できないくらい。
加えて絶対に過剰な自信をつけないように、他者から評価に対してもある程度の警戒を崩さないように気をつけていました。
もちろんこれの弊害が低い自己評価として出てしまっているわけですが……。
しかし今まで、根拠の無い自信、過剰な自信でブクブクに肥え太った人間というものをイヤというほど見てきたので、ああなるくらいなら自己評価が低いほうが1万倍マシ、とも思っていましたし、これは今でも変わりません。
しかし今回に限ってその警戒が緩んでしまったんだと思います。
結果、消化・吸収できないものを大量に摂取してしまい……ということだったんだと思います、今回のケースは。
自信というものがとても大切なものであるということには疑いはありませんが、それがどこから生じたものであるかをよく考えて、それが本当に口にしていいものを吟味するというプロセスを忘れないようにしたいと思います。
身のうちから自然に生じる時を、じっと待つのが賢明でしょうかね、こういうのは。
このへんのさじ加減が理解できるのはこの世で自分だけですし。
なんのことかというと花粉症ですよ……。
2,3日前から目がしょぼしょぼしてき始めたのでそろそろかと思ってましたが、特に日中はじわじわと目の痒みが大きくなってきた感じです。
毎年のことながら花粉症の症状が出始めるともう集中力がどんどん削られていってなーんにもする気力がわかなくなるので症状を抑えるだけでもどうにかしたいところ。
薬もちょっと試したことがあるんですが、眠気が来るのが悩みどころ。
デスノートに全ページ「スギ花粉」って書き込む以外の解決法をご存知の方、情報求む。
なんとか気持ちも持ち直したので、ここ最近全然進んでなかった小説執筆の方も進めていこうとちびちび進めてます。
夏コミ、そして紅楼夢の方も進めていかないといけませんしね……。
メンタルが低下するとこうしたクリエイティブな作業というのはなかなかできなくなってしまうものですが、まあ今回の落ち込みを浄化する意味でもうまいこと書いていければいいなーと。
ふと思ったんですが、もしかしたら最近メンタルが崩れやすかったのは、創作活動が滞っていたせいでうまいこと自分の中にたまった感情を放出できてなかったせいなのかもなー。
ほんとに生活のバランスが崩れたりしてて、明らかに執筆ペース下がってたからなー……。
生活のバランスを取り戻す意味でも、少しずつペースを上げて、それを日常化していかないとな。
さっそく寝落ちしましたが気にしない方向で。
さて最近steamのセール攻撃に必死に耐えてます。
魅力的なソフトはたくさんあるものの、未コンプどころか未クリアのゲームの数がちょっとひどいことになってきているので我慢してます。
実際今持ってるゲームをクリアし終わる頃には次のセールが始まるだろうしね……。
というわけで今やっているのはbioshock2。
以前のアップデートでGFWLから切り離されたことでsteam実績が埋まるようになったので再プレイしているところです。
前回のプレイ時はノーマルだったので今回はイージーでサクサクプレイ。
今回のプレイで実績は取れるだけ取って、そのあとでハードモードクリアを目指す予定です。
DLCの方は日本語化MODがないようなので字幕が文字化けしてしまうので、いったん再インストールしてからプレイしたほうが良さそう。
さてゲームのほうなんですが、現在ステージ5に当たるセイレーン通りをプレイ中。
一度クリア済みなので謎解きや敵への対処はそこまで苦戦しないものの、2回めのプレイだとかえってアイテムの見落としが多くなってる気がする。特に日記。
しかしBIOSHOCKシリーズはやはり水の表現が素晴らしくいい。
独特の寒々しさがあるよね。
そして初代からinfiniteまでひと通りプレイして気づいたんですが、このゲームは通して「親子」がテーマになってるよね。
その辺を意識しておくとまたいろいろ見えてきそう。
……で、吐き出すものはまあ吐き出して持ち直したわけですが、それでもやっぱり考えるのは居合のことです。
今回落ち込みながらも考えたのは、「自分はなぜ居合をやるのか」ということ。
今回は3回めの五段受験で残念ながら落ちてしまったわけです。
それで、「結果を出せないようでは今までの稽古の意味が無い」と落ち込んでしまったんですがここで再考。
じゃあ自分は、「結果」、つまり段位を取ったり試合で優秀な成績を収めるために居合をやっているのか?
確かに段位取得というのは居合を修練する上でのわかりやすい節目ではありますし、試合でも普段の稽古の成果を出したいとは思います。
では、それらは居合を修練する上での目的なのか?
小説技法風に表現するなら、これらは小目標であって大目標ではない。
通過ポイントではあっても、最終的な目標もしくは恒常的な目標ではない……と考えます。
では、自分が居合を続ける最終的な目標とは?
まず出てくるのが、「居合を続けることそのもの」。
結局のところ居合……というか武道には、実は明確な「これを達成したらクリア」という最終目標ってないと思うんですよね……というか、達成目標が尽きない。
八段の先生が武道のすべてを修めきっているかと言えばそうではないし、全国大会で優勝することが最終目標かと言えばそうでもない。
なので結局、武道の最終目標とは「生涯にわたって修練を続けること」ってところに収まるんじゃないかと思います。
が。
じゃあ「生涯にわたって居合を続ける理由ってなんだ?」って話ですよ。
これは翻せば、「今まで居合を続けてきた理由ってなんだ?」でもあります。
大学で心理学を一応学んだ身として見栄を張ってそれっぽい言葉を使うと、要は快楽原則。
居合に限らず人間が何かを行う理由って突き詰めるとたったひとつ、「快感を覚えるから」。
僕が居合の修練をこれまで続けてきた理由もそれに漏れません。
「自己肯定感」という非常に大きな快感を得ることができるからです。
まあこれに関してはまた色々と思う点があるんですがそこは省略。
とにかく、居合の修練というのはこの僕に十七年も同じことを継続させるだけの快感を与えてくれる行為なわけです。
しかし、居合の修練が常に快感だけを与えてくれるかというとそう話は甘くはない。
説明するまでもなく、今回の敗北が僕に与えたダメージは計り知れないものがありました。
今までの自己肯定感がそのまま反転、なんたらジェムがあったら一瞬にして真っ黒になってたことでしょう。
しかも今回のような敗北は、決して完全回避できるものではありません。
居合の修練は、決して僕に快感だけを与えてくれるものではないのです。
しかも、こうした敗北が僕に与えるダメージは居合を続ければ続けるほど大きくなる。
今回のダメージソースは、僕が今まで居合を修練してきた年月にほかなりません。
そして、居合の修練を続ける限りこの年月という重荷はどんどん重く、大きくなる。
では仮に居合をやめたら?
それでも今まで居合を修練してきた年月は、増えなくはなっても決して減りませんし、なくなりもしません。
それどころか、居合をやめでもしたらそれによって今まで得てきた自己肯定感はそのまま反転して僕を一生責め続けるでしょう。
居合を続ければ続けるほど、背負わなくてはいけない重荷はどんどん大きくなる。
その重荷に潰されないためには、居合を続けるしかない。
あれ? 俺、詰んでね?
……どの道居合続けるしかない……?
……うわっ、詰んでる……。
……で、でもなあ、「重荷に潰されないために居合を続ける」っていうのは所詮外的要因でしかないんだよなー。
他にも、「やめちゃったら今までの修練が無駄になってしまう」ってのもあるけど、これも同じく外的要因でしかない。
今回大ダメージを食らってわかったんだけど、これから先、何らかの強力な内発的動機付けがないと今回のような敗北のダメージには絶対耐えられないぞ?
「今まで続けてこれたから大丈夫」は通用しないことがはっきりわかったので、業の修練だけじゃなくその辺も掘り下げて行かなくちゃならんよな……。
別にご大層な動機付けはいらないんだよな。
自分の中では、居合をやる動機って言うのの大部分は単純に「楽しいから」が占めてたと思ってたんだけど、今回みたいな「楽しくないこと」も確実にあるからなあ……。
……というわけで、吐き出すものも吐き切りましたので生存報告です。
21日土曜は北九州大会に参加してきました。
そこで久しぶりに熊本の道場の先輩方とお会いすることができ、そこで色々とお話をすることが出来ました。
そのおかげでなんとか気持ちを持ち直すことが出来ました。
ゆっくり焦らず、本調子に戻していこうと思います。
個別の連絡もぼちぼちやっていきます。
明日からはいつもどおりにやっていきますので、ご安心ください。
このたびはご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。