A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

「キングオージャーvsドンブラザーズ」「ゴーストバスターズ フローズンサマー」見てきました!

2024-04-27 23:53:52 | 映画感想
 どっちもタイトルが長いので劇場名まで入らない。
 というわけで今日は足の指を骨折してるのにも関わらず久々に2劇場をまたいで映画を見てきました。
 まずはTジョイ梅田でこの作品!
 
 
 現在大好評放映中のスーパー戦隊シリーズ「爆上戦隊ブンブンジャー」が久しぶりの正統派戦隊であるせいですっかり忘れていました、ドンブラザーズの毒性を……。
 久々に浴びるドンブラザーズの毒、実に効きました。というかあの忍者のおっさんを便利に使いすぎだろドンブラザーズ。ほぼ準レギュラーじゃね-か。
 今回のお話はドンブラザーズのメンバーもキングオージャーのメンバーも雑に死んで死の世界ハーカバーカで大決戦! 命、粗末過ぎ!
 仮にも日本の未来を背負うちびっこをメインターゲットとしているスーパー戦隊がそんな石につまづくようなノリで軽々しく死んでいいの!? 実際劇場にはちびっこも結構いたけど大丈夫なの!? Vシネだとそのへんは許されるの!?
 などというまっとうな疑問はもはやスクリーンの向こうには届かず、トンチキ変人集団とインチキコスプレ集団with忍者のおっさんの熱いバトルの幕が切って落とされるのでした。なんだこれ……。
 なんかこう……「変わらない」って強いなって思いました。ドンブラザーズの面々は完全に相変わらずで、特に雉野がキングオージャーロボにトラウマ植え付けられてるのが笑えます。どんだけ引きずってんだよ。
 犬塚は犬塚で相変わらずソノニとラブラブだし狂気のイエローこと鬼頭はるか先生の顔芸も健在だしタロウはタロウだし猿原は猿原だし。
 キングオージャーの面々もなんか変なウイルスに感染したのか、TVシリーズでは比較的控えめ(※ドンブラ比)だったトンチキ具合が完全にネジが外れててゆかいなことになってました。
 かように本作は全試合反則技のみで進行するつっぱり大相撲といった趣で全編にわたって狂気の産物でした。
 でもいちばんの反則はラストのおでんでしょうよ……。こんだけバカやったあとになんでこんなに感動してるんだよ意味がわからん……。
 といった感じで、改めてドンブラザーズの唯一無二性を感じさせられる作品でした。
 次の「キングオージャーvsキョウリュウジャー」は、なぜかダグデドに代わる新たな宇蟲王となってしまったギラ、そして本来の彼らとは似ても似つかぬ姿になってしまったキングオージャーの面々。歪んだ運命を正すために、キョウリュウジャーが奔走する! というもの。
 ……と書くと正統派なvs作品に思えますが、キングオージャーの面々はさっきのドンブラザーズの毒が解毒されていないらしく完全にネジが外れてました。特にジェラっちとヅカになってるリタ様反則だろ。
 VシネはTVシリーズに比べてさまざまな縛りが緩くなっているとは聞きますが頭のネジまで緩くなるとは過分にして知りませんでした。え? ドンブラは最初からネジがついてない? うん知ってる。
 わたくしキョウリュウジャーの方はほとんど知らないんですが、えらくメンバーが多くて驚きました。調べてみると番外戦士も含めて10名だとか。なのでラストバトルの名乗りシーンはキングオージャーと合わせて非常に長かったのが印象的。やはりスーパー戦隊は名乗りがキモですよ。
 「キングオージャーvsキョウリュウジャー」の方はドンブラの反動でえらくまともな話に思えましたが、空蝉丸さんという方が「幼少期のギラにレインボージュルリラを大量に食わせる」というやらかしなどという言葉では済まされないやらかしをやらかしてて引きつり笑いが出ました。シャレにならなすぎる。
 
 次は大阪ステーションシティシネマに移動してこの作品。
 
 
 見よう見ようと思ってたんですが塚口の上映スケジュールについていくのがやっとの状況ですっかり見に行くのが遅くなってしまいました。
 もうすでに付近の映画館では上映終了しており焦りましたが大阪ステーションシティシネマはまだ上映してたので駆け込みで見てきました。
 ニューヨークの夏を謎の超寒波が襲う! 迎え撃つのは前作から続投の新生ゴーストバスターズ!
 というわけで、本作は前作「アフターライフ」の直接の続編。新生ゴーストバスターズとなったスペングラー家の面々ですが、初代と同じくゴースト退治に精を出すものの器物損壊で初代ゴーストバスターズに恨みを持つ市長に睨まれ、さらにフィービーは母キャリーから未成年であることを理由にチームから外されてしまいます。
 その一方で、初代ゴーストバスターズの一員であるレイモンドは、同じく老境に差し掛かったウィンストンと意見が対立してしまい……。
 本作ではゴーストバスターズの大きな魅力であるゴーストたちとの戦いはもちろんのこと、さまざまな世代、さまざまな人物の抱える悩みが非常に大きなファクターとして配置されていると感じました。
 先述の通りフィービーは「未成年」という世代の不自由さ、大人からの理解のされなさに悩んでいます。特に印象的だったのが、キャリーと結婚して一応は義父となったゲイリーからの「(成人するまでの)2年間なんて大人から見れば数ミリだ」という言葉に落胆してしまうシーン。大人にとっては確かに2年なんてあっという間すが、子供にとってはその2年間は永遠に等しいんですよね。そして彼女にはこれまで新生ゴーストバスターズとして活躍してきた輝かしい思い出がある。その思い出を抱えたまま2年間末というのは酷というもの。
 対して、彼女とは正反対の老境にあるレイモンド。彼は本来子どもたちの行き過ぎた行動を止める義務がある大人という立場であるにも関わらず毎回始末書物の損害を待ちに与えてしまってます。このことを現在のゴーストバスターズの資金を出しているウィンストンに毎回たしなめられています。
 フィービーは大人になりきれない子供であり、レイモンドは子供に戻れない大人なんですよね。この辺、かつて子供の頃はワーキャー言って作品を楽しんでいた現おっさんとしては色々思うことがありました。子供はおとなになれば何でもできると思うし、大人は子供に戻れれば何でもできると思う。このすれ違いが本作のキモだったと思います。
 そんな中で、ファービーにはゴーストの友人であるメロディと知り合います。今までななかった同世代の友人に喜ぶフィービーですが、メロディにはある秘密があって……。
 本作はよくある、「子供が経験を積んで大人になって……」という流れには感じませんでした。むしろ変化が大きかったのはファービーの周辺にいる大人たち。
 メンバーを外されても諦めないファービーの姿に浮かべるレイモンドのあの「いたずら坊主」という表現がふさわしい笑みがとても好きですし、最終的になんだかんだ言って協力してくれるピーターとウィンストンも素敵。そして初代の受付嬢からついにメンバー入りしたジャニーンの勇姿よ!
 ラストバトルも新旧ゴーストバスターズが階上と階下でそれぞれ奮闘するという展開で新旧メンバーが同時に戦うという構図があって良かったです。
 でもなあ……今回は結構な不満点が多いんですよね。
 まずバトルの規模がストーリー展開と合ってない。前述の通り本作ではニューヨーク全域が大寒波に見舞われるという大規模災害が起こりますが、バトルらしいバトルがゴーストバスターズ本部の1階という非常にこぢんまりとした場所なんですね。なので自体の大きさに比べてバトルの規模が小さくイマイチ「大規模な範囲でやばいことが起こってる」というゴーストバスターズの魅力が大きく半減していると感じました。
 また、本作ではスペングラー家の新生ゴーストバスターズ、レイモンドを中心とする旧ゴーストバスターズの他にも新キャラが登場しますがその意義や出番が薄い。特にトレヴァーの恋人になったラッキーも、せっかくゴースト研究施設のインターンになったのに前作と同様特に重要な役割もなかったし、今回のラスボスであるガラッカに唯一対抗できるファイアーマスターの力を持つ青年・ナディームは完全に彼らとは関わりのないキャラだし、といった感じで、ストーリーラインはともかくキャラクターラインがなんだかうまくつながってない感じを受けました。特にバトル規模に関しては初代や2であれだけ街中を駆け回ったり、「アフターライフ」で「ECTO-1」を走らせまくったりしてたのに非常にもったいない。
 とはいえ、ところどころに初代オマージュをしっかり入れているところは好感触。図書館の市長はおそらく同じ人ですし、石像のライオンは動くし、図書館には相変わらずあの幽霊がいるし、屋根裏にはスライマーがいるしといった随所に込められたオマージュで楽しませてもらえました。
 また、プロトンビームすらも凍らせてしまう強敵・ガラッカに対抗するためにフィービーが思いついた真鍮のパーツのものがあの滑り棒というのもよかった。
 全体的な得点は前作に譲るものの、フィービーが相変わらず理系メガネっ子でとても良かったです。メガネっ子加点+100点。
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「貢がせろ!女苑ちゃん!!」プレイしました!

2024-04-26 22:00:50 | ゲームな話
 プレイしたゲームはだいたいすべてレビューしたと思いこんでたら実はまだ残ってたという。
 steamで購入したゲームは基本的に全部レビューを書くことにしてるので、いっそのことむかーしに購入したゲームも全部レビュー書いてしまおうか……。
 
 本作は東方Projectの二次創作ゲーム。ルールはシンプル、女苑ちゃんが要求してくる品物をひたすら貢いてご機嫌ゲージを規定量まで上げろ!
 女苑ちゃんのリクエストは常に2文字でプレイヤーは残り1文字を選択して貢ぐアイテムを選びます。これだけだとすぐにネタ切れしそうなものですが女苑ちゃんは高級志向。安いものでは受け付けてくれないのでご機嫌ゲージが上がらないばかりか、限られたターン数を無駄に消費してしまいます。
 さらに女苑ちゃんは気まぐれさん。こちらが入力したワードの解釈はすべて女苑ちゃんに委ねられるので、意図しない解釈をされることもしばしば。しかしその理不尽に耐えてこそ女苑ちゃんへの愛の証明となると言えます。
 加えて各ステージには上限金額が設けられており、貢いだアイテムの金額が上限金額を越えると破産して即ゲームオーバー。場合によっては即死することもあるので緊張感のあるプレイが楽しめます。
 本作は実にスピード感とライブ感のある知的遊戯であるとともに、いかにして女苑ちゃんが想定しているアイテムを見破るか、言い換えればいかにして依神女苑という人物の思考をエミュレートするかというゲームであると言えます。要するにリアルシャドーです。しらんけど。
 こういうゲームは得てして正解の幅が狭くなると面白さが半減して作業ゲーになってしまいやすいものですが、本作はそれを「女苑ちゃんのリアクションの豊富さ」「サービス問題としての大喜利回答」のふたつの方法で回避しています。
 リアクションに関してはあまり詳細には言いませんが単語ごとにいろんなリアクションやツッコミをしてくれるので、そのリアクションを見るだけでもステージクリアを犠牲にしていろいろなボケをかましてしまいます。さらに、まれにどんな回答でもOKな大喜利問題が入るので思う存分ボケ倒せるのが楽しいところ。
 このシンプルなルールでステージ数はかなりのボリューム。ステージごとお題や上限金額が違うので、毎回頭を悩ませつつハイスピードで回答するという緊張感が失われません。これだけシンプルなのに飽きが来ないのは実はすごいことなのでは。
 あと個人的に本作で一番いいなと思ったのは、終始スピード感が失われないこと。ゲームにおいてもっともスピード感が失われやすいのはミス→リトライの過程だと思うんですが、本作はここにこそスピード感があって連続でプレイしてると変な汁が分泌されてきます。ここにスピード感を配置したのは大正解だと言えるでしょう。
 そしてステージを次々とクリアしていくと女苑ちゃんとの関係も深まりません。ストアページにも「恋愛シミュレーションではないので、いくら貢ごうとも好感度が上がったり恋人になれたりはしません。」という無慈悲な一文が。
 しかしこのゲームをプレイする諸兄は、そしてこのゲームの制作者さんはそんなことは望んではいないでしょう。ノーマルステージでも貢ぐ、EXTRAステージでも貢ぐ、貢いで貢いで貢ぎまくる。本作は愛とは見返りを求めるものではなく惜しみなく与えるものだということをわれわれに教えてくれるのです。しらんけど。
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塚口サンサン劇場「ストリートダンサー」「ヘレディタリー-継承-」見てきました!

2024-04-25 23:27:54 | 映画感想
 はい、毎週木曜日は滑り込みの日です。昨日は足の小指の骨が折れてたので整骨院から大人しく帰りましたが、そうなると「ストリートダンサー」を見逃して一生後悔した後四百余州に仇なす怨霊として復活してしまうのは確定的に明らかなので今日は気合で見てきました。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 インド映画といえばダンスですが、本作はタイトルの通りダンスそのものをテーマとした作品。パンフレットによれば作中に登場するダンスチームは実在のチームで、主要キャラはもちろんのことサブキャラまでダンスパフォーマンスを得意とする俳優で固められています。
 ダンスチーム「ストリートダンサー」を率いる主人公・サヘージは、かつてダンスバトル大会「グラウンド・ゼロ」で決勝戦まで進出するもジャンプの失敗で足を怪我し、リハビリ中の兄のためにダンススタジオをプレゼントするなど兄思いの弟。そんなサヘージとライバル関係にあるダンスチーム「ルール・ブレイカーズ」のリーダー・イナーヤトは、さまざまな思いを抱えて再び開催されたダンスバトル大会「グラウンド・ゼロ」に挑む!
 本作の感想はいろいろ言いたいことがあるんですが、やはりまずは音響でしょうか。本作はダンスバトルがテーマということで迫力あるBGMが目白押しなんですが、これが塚口の重低音との相性がBATSUGUNにいい。
 たとえるならサイモンとガーファンクルのデュエット! ウッチャンに対するナンチャン! 高森朝雄の原作に対するちばてつやの「あしたのジョー」! …つうーっ感じっスよお~っ
 などと億泰になってしまうくらい前から後ろから上から下から重低音が襲いかかってきてたまらん。特にグラウンド・ゼロ準決勝のロイヤルズvsバード・ギャングのときの重低音たるや、空間全体が震えるかのような音響にわたくし思わず声が出てしまいました。これは映画館でしか、そして塚口でしか体験できない音響だと言えるでしょう。
 まあ塚口のことなのでいずれダンスシーンはオールスタンディングのマサラ上映をやらかすことはコーラを飲んだらゲップが出るくらい確実だと踏んでいるので、その際には揺れるぞ兵庫県。
 ダンスパフォーマンスがすごいことはもう言うまでもないでしょう。わたくし人形使いはダンスと言えば踊り念仏くらいしか造形がないので専門的なことは全然言えませんがカッコよすぎて笑えてきます。人間って鍛えればあんな動きできるんだなあ……。
 どのチームも個性的……というかまさに個性のぶつかり合いという感じなんですが、中でも本作のクライマックスである決勝戦、ストリート・ダンサーズvsロイヤルズは個性のより深い部分にある、それを構成する「文化」のぶつかり合いになってたのがいい。クラシック・バレエの動きを取り入れたロイヤルズに対して、妨害工作で音楽をストップさせられたストリート・ダンサーズは、プリミティブな太鼓の音に合わせてパンジャーブ地方に伝わる収穫の踊り「バングラー」で対抗するという。
 本作は当然のことながらダンスシーンが山盛りなんですが、作中で「ダンスは自己表現」という言葉がある通り、本作のダンスは単なるパフォーマンスや競技にとどまらず、どんな言葉よりも雄弁にキャラクターの心情を語ってみせます。その真骨頂とも言えるのが中盤、トップクラスのダンスチームであるロイヤルズにスカウトされて有頂天だったサヘージが、「グラウンド・ゼロ」での優勝を目指しているイナーヤトの目的が自分の名誉のためではなく困窮した路上生活者に賞金を寄付することだと知り己の行いを後悔するシーン。
 あのシーン、文字通り「筆舌に尽くしがたい」苦しみと悲しみが伝わってくるんですよね。そも、歌や踊りという芸術は人間の感情を仮託されたもの。自分の中だけでは処理しきれない感情を歌と踊りに託して表現するあのシーンこそ、まさに「自己表現としてのダンス」だったと思います。
 このシーン、「だれも見てない」っていうのもポイントなんですよね。作中のイナーヤトのセリフに「あなたのダンスは自己顕示。わたしたちのダンスは自己表現」というものがあるんですが、自己顕示って自己を顕示する相手である他者がいなければ成立しないんですよね。然るに、今まで観客やライバルの前でしか踊ったことがなかったサヘージが、はじめて「自己表現としてのダンス」を踊るシーンだったんじゃないですかねここ。しかも無自覚に。
 歌や踊りといった芸術や創作はしばしば救いとなりますが、このシーン、サヘージにとっては「手段」でしかなかったダンスによって、はじめてサヘージが救済されるシーンだったと思います。
 この「ダンスによる救済」と対になっているのが、悪人に騙されてロンドンで路上生活をする羽目になったアムリンダルの「ダンスによって救済されなかった」という展開でしょう。本作には宗教、出自、性別、文化といったさまざまな「違い」が描かれていますが、その「違い」の中でもサヘージとアムリンダルの違いは象徴的だったと思います。何かが少しでも違っていれば、この二人の立場は逆転していたのは。
 そしてこのさまざまな「違い」、言い換えれば「分裂」がひとつになるのがクライマックス。そう、作劇においては分裂は再生の前兆なわけですよ。土壇場でロイヤルズを抜け出しストリート・ダンサーズに戻ったサヘージとその仲間たちによる本作最後のダンス「僕と君の音が出逢い僕たちの音になる(Mile Sur)」は、もうタイトルからして分裂からの再生ですよ。作中でこれまでに配置されてきたすべての要素が統合・吸収されてひとつのダンスとなる。観客はもちろんのこと、相手であるはずのロイヤルズのメンバーもダンスを見ながらひとり、またひとりと笑顔になっていくのがいい。ここで効いてくるのが決勝戦前の字幕「対戦相手であっても敵じゃない」なんですよね。ストリート・ダンサーズとルール・ブレイカーズはライバル関係にあって顔を合わせればケンカに言い合いですが、それらはダンスチームの文化のひとつであって彼らは決して憎み合っているわけではないし、対戦相手であるロイヤルズのリーダーであるマークも高慢なところはあるものの悪人ではない。前述の妨害工作もメンバーのひとりが勝手にやったことだしな。
 思うに、グラウンド・ゼロの「ルールはあっても破られる! 審査員はいても決めるのは観客!」というアナウンスは、別にルール無用の場外乱闘だぜヒャッハー!とかそういう意味ではなくて、実は「勝敗を決めるという形式はあるものの、それによって正誤(※優劣ではなく)が決められるわけではない」ってことなんじゃないですかね。
 わたくし人形使いはいわゆる「歌や踊りで世界をひとつに!」とかいう文言には理想論的安っぽさを感じるのであんまり好きではないんですが、本作はその下地、バックグラウンドをしっかり描写してからのこのクライマックスなので上映後には脊髄反射で拍手してしまいました。いやー素晴らしい映画だった……。
 
 「ストリートダンサー」終了後はもう1本見るので腹ごしらえにマクドナルドへ。読みかけだった「流れよ我が涙と警官は言った」を読んだり小説の下書きをしたりして過ごします。しかし次の映画まで3時間くらいあったのでもう1本見ても良かったかな……。あとスマホをいじったりもしましたがマクドでは電波が弱くてぐんにょり。
 そして上映時間が近づいてきたので劇場に戻ります。
 次に見たのはこれ!
 
 
 みんな大好き「コッ」ておなじみの、アリ・アスター監督が送る最恐ファミリームービーです。
 本作は以前TERASAで配信されてたのを見たことはあったんですが、実は劇場で見るのは今回が初めて。見たものを恐怖のどん底に叩き落した例の「コッ」が、塚口の音響でどれほどパワーアップするのか、ということで覚悟を固めて行ってきました。実際、塚口の音響ってホラーとも相性がいいと思うんだよな。
 さて感想なんですが……不安定になる! 不安定になる!
 皆さん御存知の通りアリ・アスター監督作品は血がブシャー!怪物ドーン!といったわかりやすいジャンプスケアではなく、はじめから終わりまで作品全体に常に嫌な予感が漂っており安心できる瞬間が一瞬たりともありません。
 本作もそれは同じで、冒頭から明らかにアリ・アスター監督作品に通底するテーマである「家族という閉鎖空間」が「家のミニチュア」という形で出てくるし、舞台となるグラハム家は表面は取り繕っているものの深部は崩壊している関係であることが明らかです。そして序盤での嫌な予感は終盤にかけて丁寧に丁寧に何倍にも増幅されそして――。
 これまで本作以外にも「ミッドサマー」「ボーはおそれている」とアリ・アスター監督の長編作品はすべて見てきたんですが、その3作に共通する要素として「隠していたものが暴かれる」「その前段階としての隠すという行為」「でも全然隠せてない」があると感じました。
 本作の舞台となるグラハム家の面々はさまざまな問題を抱えています。主人公である母・アニーは夢遊病で悩まされていることを家族に相談できておらず、死んだ祖母・エレンの不審さに気づきながらもそのことを家族には言えていません。父・スティーブはエレンの墓が何者かによって掘り起こされているという知らせをアニーには隠しており、息子・ピーターは母とのぎこちない関係に不満と不信感を持っているもそれを言い出せず、妹・チャーリーは自閉症気味で自発的な意思表現が薄い。
 このようにだれもが周囲に何かを隠しているわけですが、その「隠す」という行為が最悪の形で出てくるのがいきなりの序盤。パーティにむりやりチャーリーを同行させられるピーター、その際にチャーリーは誤ってアレルギーのあるナッツの入ったケーキを食べてしまいます。発作を起こしたチャーリーを病院に連れて行こうと車を猛スピードで走らせるピーター。路上に放置された動物の死骸をよけようとした際に、窓を開けて頭を出していたチャーリーが――。
 あまりのことに現実を直視できないピーターは、バックミラーで後部座席を確認しようとして……目をそらしてしまいます。ピーターはそのまま帰宅しベッドに入るも、一睡もできずに夜が明けます。そして朝、買い出しのために車に乗ろうとしてチャーリーの遺体を見つけたアニーの絶叫が響き渡る――。
 アリ・アスター作品において、登場人物たちが隠しておきたいことは基本的に隠せないし最終的に全部暴かれるんですよね。上記のシーンはそれが最短距離で行われたシーンだと思います。
 ホラー映画には「結局いちばん怖いのは人間」という常套句がありますが、本作でいちばん怖いのはアニーを演じるトニ・コレットとチャーリーを演じるミリー・シャピロの表情でしょう。予告でもさんざん見せつけられたあの絶叫顔……からの、終盤で明らかに「入った」と分かるスッ……と感情が消えるあのシーン寒気がする。また、これまで溜め込んできたものが爆発して息子をなじるあのシーンの顔よ。人間ってここまで「怒りの形相」ができるものなのか……。
 またチャーリーの表情が基本的にずーっと無表情というか明らかに普通ではないのが、本作を通して流れる嫌な空気を助長しています。チャーリーは最初からもうおかしくなってたんだよな……。
 「家族という檻」というのがアリ・アスター作品の核なわけですが、本作はタイトル通り家族という逃れられない檻の中で悪夢が文字通り「継承」されていくというアリ・アスター味100%の作品でした。
 
 コッ
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骨が折れました。物理的な意味で。

2024-04-24 19:07:18 | それさえも平穏な日々
 あなたのホネ。わたしのホネ。ホネホネホネ。
 というわけで骨が折れてました。
 なんか1週間くらい前から左足の小指が痛い状態が続いてまして、なかなか治らないのでこれはさすがにおかしいだろと思って整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったところ見事にぽっきりイッてました。わーびっくり。
 なんかおかしいなとは思ってましたがまさか折れてたとは。何が原因なのかよくわからないマジで。
 それはともかく症状がひどくなる前に病院に行っといてよかったですね。他の部位はともかく足だと知らない内に歪んでしまったりすることもありそうなので。
 今はギプスをはめているので歩きづらいですがまあしばらくの辛抱ということで。こうなると外出が億劫になってしまいますが長時間歩かなければ大丈夫かな。というわけでしばらくは静養に努めます。
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文明レベルが上った!

2024-04-23 18:47:40 | それさえも平穏な日々
 先日はまだ回線が開通してないのにWi-Fiルーターを設置して回線が繋がらないという失態を演じたわたくしですが、本日ようやく回線が開通したので無事Wi-Fi環境が整いました。長かった……。
 今まではルーターを変えると設定がうまく行かなくてえらくめんどくさい思いをしたもの。そして今回無料レンタルしたWi-Fiルーターはあんまりいい思いがないバッファローのものだったのでどうなることやらと思ってたんですがなんとかなったのでめでたい。
 PS4もWi-Fiで繋げるようになったんですが、回線速度を確認したところ有線のほうが早いので有線接続で。別に本体を持ち歩くわけでもないしな。
 そしてスマホとPSVitaは無事Wi-Fiで無線接続完了。なのでスマホの方は使うだろうアプリを一通り登録&ログインしておきました。なかなかめんどくさかった。paypayとかあんまり使う機会なさそうだけどいちおう入れておきました。
 ともあれ、これでだいぶ文明レベルが上ったのでやれることも増えようというもの。あとソシャゲは控えておかねば。
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Fallout3の終りが見えないんですけど……。

2024-04-22 23:27:27 | ゲームな話
 すごく今さらなんですがもしかして手を出してはいけないゲームに手を出してしまったのでは……。Fallout3をプレイしているとそう思わずにはいられません。
 現在DLC「Point Lookout」のマップをプレイしてるんですが、ようやくメインクエストが終わったと思ったらまだ調べてないところが山ほどあるという……。
 本編のクエストも多分ようやく中盤くらいまで来たところだと思われるのでまだまだ残ってます。しかも入手したのはGOTYバージョンなのでDLCは全部入り。楽しいゲームなのは間違いないんですがなんか底の見えない底なし沼に沈みつつある気がします……。
 そういやデスストもクリアしたもののコンプはまだなので、そっち先にやったほうがいいかな……とか言ってるとまた中途半端に進めたゲームが増えてしまうという……助けてドラえもん……。
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塚口サンサン劇場「ガールズ&パンツァー最終章第1話~第4話全試合一挙マサラ上映」作戦完了!後半戦

2024-04-21 23:28:17 | 映画感想
 興奮冷めやらぬ中で終わったガルパンマサラ前半戦の1・2話。
 場内は休憩に入りますが、しかし塚口に集ったガルパンおじさんたちに休息のときはない!
 実は前説のとき、戸村支配人から「休憩時間中に岩浪監督とzoomで中継をつなぎます」とかいう爆弾発言がありまして。
 というわけではい。
 
 
 はいじゃないが。
 ちなみにこれ岩浪監督の自宅につながってるそうで。実家に電話して「お父さんに変わるね」くらいのかるーいノリで岩浪監督に連絡する映画館っていったい……。
 言うまでもなく会場は沸きに沸いてます。完全に休憩時間じゃない。今いるここはどこ? 魔界?
 そして岩浪監督も岩浪監督で毎度のことながらいつセーフガードがダウンロードされてきてもおかしくない機密情報を世間話のトーンで話すのでえらいことになってしまいました。もちろんその内容はマジで洒落にならないのでここでは書けません。楽しみに待ちましょう。
 あと岩浪監督といえば「場末の映画館」呼ばわりですが今回新しく「貧乏な映画館」呼ばわりが加わりました。
 トーク内容に関してはほんとうにマジで何も書けないというかどっからどこまでがOKでどこからがNGかもうわからないので、休憩時間中のzoom呼び出しに関してあと書けることと言えばえーとえーと、マイクがえらく遠くてラグがあって岩浪監督の「昭和の衛星放送みたいだな!」の発言に一同爆笑してたとかですかね。ここで爆笑できるということは場内の平均年齢は……?とか考えてはいけません。おじさんとの約束だ。
 そんなこんなで兵庫県全域を揺るがす拍手とともに岩浪監督との通話は終了。もうこの時点ですでに場内の熱気は何回クライマックスになるんだよといった感じですが我らにはその先があるッ!
 ガールズ&パンツァー最終章第3・4話、上映開始(パンツァー・フォー)!
 
 知波単学園衝撃の撤退で終わった第2話から、さらに衝撃の展開が待っている折り返し地点の第3話。始まった瞬間に客席から上がった「2年半待ったぞーーーっ!!」というガルパンリアタイおじさんからの魂の叫びに、わたくし涙を禁じえません……。長かったよな……わかるよ……(滂沱)。
 戦術を大きく変えた知波単とそれに応じる大洗との一進一退の攻防に場内も大盛りあがり。もう何回も見ていて試合の流れもその結果もわかっているはずなのになんでこんなにハラハラドキドキがなくならないんだろう。記憶がリセットされてるとしか思えない。
 そして当然のことと言えば当然ではあるものの、実はすごいことだと思ったのが不快なヤジが一切なかったこと。
 このブログを読んでいる方や塚口に限らずマサラ上映や応援上映に参加したことがある方の中には、せっかくのマサラ上映で不快な思いをしてしまった経験がある方もいるんじゃないでしょうか。
 特にガルパンのような対決をメインとした作品だと、相手チームにヤジを浴びせてしまうケースもあるかもしれません。
 しかし今回の塚口のマサラ上映にはそうしたことは一切なし! 大洗を応援すると同時に知波単も応援するというガルパンおじさんシップに則った応援となっています。「ガルパンおじさんシップ」とは。
 観客席のみなさんはもはや完全に試合を観戦しているガルパン世界のいち市民となって激戦を繰り広げる面々に大理石の沸点を越えるほどの熱い声援が送られます。この熱量はもはやガメラのウルティメイト・プラズマ200発分に相当します。(※脳内調べ)
 3話の見せ場のひとつであるあんこうチームポジションチェンジ! このシーンは実質ゲッターチェンジと言えるでしょう。そしてこのシーン、言うまでもなく劇場全員で「ヒヤッホオオオオオオオウ!! 最高だぜええええええッッッ!!!」
 絶頂すら覚えるわこんなん。たとえモルヒネを樽で一気飲みしてもこれほどの幸福感は得られません。しかも合法。最高です。
 そして西隊長の「一点照準! まだ撃つなよ! まーだまだまだ……」であれほどバカバカクラッカー撃ちまくってた劇場内が一斉に静寂に満たされます。いつもながら打ち合わせもなしに軍隊並みの統率。これが塚口の団結力。
 そこからタメてタメて――……「てーッ!!」
 ドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカドカとどこに隠し持ってたんだってくらいの大量のクラッカーが鳴り響く! もはや1発2発実弾撃っててもだれも気づかないほどの爆発音が場内を揺るがします。実弾のほうがマシまである。ちなみにサンサン劇場の向かい側には交番があるんですけど駐在さんは毎回どんな顔してこの爆音を聞いてるんだろうか……。いつでも兵庫県警に連絡できるようにスタンバイしてるのかな……。
 そしてまさかのあんこうチーム被弾! 喜びに湧く知波単の面々に場内からも大地を揺るがす万歳三唱が響き渡ります。でもフラッグ車じゃないという……。
 実にらしい負け方で敗北を喫してしまった知波単の面々に、場内からはその健闘をたたえてあたたかい拍手が送られます。実にガルパンおじさんシップ。
 しかし戦いはまだまだ終わりません。継続vsサンダース、プラウダvs黒森峰、聖グロvsアンツィオの繰り広げる第2回戦にも熱い声援が送られます。というか最終章3話の主観時間って明らかに2時間くらいありますよね。このボリュームをどうやって1時間に詰め込んでるんだよ……。
 どの試合も大洗vs知波単に負けないくらいの密度と迫力。ナオミの長距離スナイピングからの継続の謎の車両によるスナイピング返しに湧き、カチューシャの手影絵信号に湧き、アンチョビが画面に映るたびに怒涛のドゥーチェコール!
 前半戦であれだけ盛り上がってたのに、いったいどこにこんなエネルギーを隠し持っていたのかガルパンおじさん。同じくこれだけ盛り上がっておきながらまだ最大の盛り上がりポイントが残っているという。
 それはもちろん準決勝第1試合、大洗vs継続。純白の雪降り積もる戦場で対峙する両者。そして誰も予想し得なかった展開、大洗の要たるあんこうチームまさかの初手脱落!
 「えーーーーーーーーっっっ!?」という白々しい絶叫とともに、第3話の幕が閉じられます。
 そしていよいよ塚口では初のマサラ上映となる最終章第4話、大洗の大ピンチからスタート!
 まさかのあんこうチームの敗退に、場内からは「もうだめだあ……おしまいだあ……」と悲嘆の声が漏れ聞こえます。もはや場内のガルパンおじさんが全員桃ちゃん先輩になっている。
 雪山という特殊な状況と連携を武器に大洗を追い詰めていく継続。静と動が目まぐるしく入れ替わるこの準決勝第1試合に合わせ、場内のクラッカーや鳴り物も同じく静と動を目まぐるしく切り替えて展開を盛り上げます。このへんはもうスクリーンと場内が一体となって「マサラ上映」という作品を作り上げていると言っても過言でも華厳でもない。
 そしてその静と動のバランスが大きく動へと傾く瞬間が訪れます。奇策「あんこう割れ鍋作戦」発動!!
 未だ塚口でこのシーンを体感したことがない方は今すぐ三親等以内の身内を質に入れて塚口に行ってください。ここ完全に底が抜けてた。劇場の。
 「場に臨む感覚」と書いて「臨場感」なんですが、あの瞬間我々は間違いなくスクリーンの中にいました。シートや床はもちろんのこと、もう肌が空気に接している部位すべてで空間自体を揺るがす重い地響きを味わいました。
 そしてここぞとばかりに前方の席から無限に舞い上がるの白の紙吹雪。場内を埋め尽くさんとする勢いで……というか実際に埋まってますがな。もはや場内は八甲田山もかくやの豪雪状態に。塚口の紙吹雪班の極まった紙吹雪の業は今やスクリーンのエフェクトと一体になっています。劇場と作品がプロなら客もプロ。それが塚口。
 そこからの展開は文字通りの急転直下。間一髪の脱出劇から息をも着かせぬ雪の斜面でのデッドヒート。ここでもクラッカー班は寸分のズレもなく砲撃に合わせて撃ちまくり。
 ここまできてまだ怒涛の展開が残っているのがガルパンのすごいところ。雪山と言えばこれをやるのはお約束の雪崩!
 そして場内でも紙吹雪班によるどこでもドア以外のどんな方法で持ち込んだのかまったくわからない量の紙吹雪がドバドバ湧いてきます。もはや雪崩がスクリーンを突き破って場内になだれ込んできたんじゃないの?というかそうじゃないと不自然なくらいとんでもない量の紙吹雪が……というか完全に吹雪じゃね-かこれ。
 そして激戦の末、からくも勝利をもぎ取った大洗、そして大健闘の継続に熱い拍手!
 といった感じで初マサラの第4話はもうすべての要素がとんでもないことになってました。まあ塚口のマサラは毎回飛んでもないことになってるんですが今回はいつもに輪をかけてとんでもないことになってました。
 ちなみに終わったあとの床がこれ。
 
 
 いつものことですが紙吹雪で足首まで埋まってます。これを見ると塚口マサラに参加したって気持ちになりますね。
 いやー久々のガルパンマサラ楽しかった! 作品はもちろんのこと、鳴り物班、紙吹雪班、クラッカー班、そして声援というマサラ上映でしか楽しめない要素を限界を超えて楽しめました。脳がもういっぱいいっぱいです。
 しかしこれで塚口のガルパンおじさんが満足するはずはないし塚口がこれでガルパンマサラを終えるはずがないので夏休みシーズンあたりにアンツィオ+劇場版+最終章1~4話マサラ上映とかやらないほうがおかしいので、ガルパンおじさんのみんなは今から火薬と紙吹雪を貯めておきましょう。
 それではみなさん、次のガルパンマサラでパンツァー・フォー!!
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塚口サンサン劇場「ガールズ&パンツァー最終章第1話~第4話全試合一挙マサラ上映」作戦完了!前半戦

2024-04-20 23:16:51 | 映画感想
 遠からんものは音に聞け! 鋼の猛獣の咆哮を
 近くば寄って目にも見よ! 戦場に咲き誇る砲火を!
 我々は6年待ったのだ
 ついにあの作品が帰ってきた!
 ガールズ&パンツァー最終章第1話~第4話全試合一挙マサラ上映!!
 
 
 最後にマサラ上映が行われたのは2018年という……。台風で中止になりコロナ禍になりという状況の中、ガルパンおじさんたちは雌伏の時を過ごしていたわけですよ。
 今日はそんな鬱屈を晴らすために日本各地からガルパンおじさんたちが集う記念すべき日となりました。では恒例の待合室からどうぞ。
 
 
 恒例の段ボール戦車ですが完全に映画館のやる仕事ではなくてもはや笑えてきます。なんなんだこのクオリティは。転輪のところとか作り込みがすごいので必見です。
 ちなみに前説の戸村支配人の話によれば段ボール戦車は毎回塗り直しているとのこと。ぜひともyoutubeでその制作風景を配信していただきたい。
 
 
 
 
 今回は段ボール戦車にとどまらず、シネマイスター☆トムによる大洗巡礼ツアーの様子が展示されています。地下2階の物産展といい完全に大洗になってて笑えてきます。塚口はインド領になったりマヒシュマティ王国になったり大洗になったり忙しいなあ。
 そんな感じでサンサン劇場についにガルパンマサラが帰ってきた事実を噛み締めつつ入場時間を待ちます。
 そして入場した今回の戦場であるシアター4の上映前スクリーンはこんな感じ。
 
 
 いつもの感じとも言えますし、いつもの感じとも言えます。うぁぐぐぐぉおあぇ!
 ちなみにわたくし人形使いは少し前にようやくスマホに移行したので写真の画質が革命的に向上しました。拡大もできるようになったし科学の勝利といった感じ。
 さてまだ上映前ですが、だんだん人が入ってきて場内の熱気が上がってきました。というかすでに場内に流れているBGMに合わせて鳴り物が鳴ってます。漏れてる! 情熱が漏れてる!
 まあそれも無理からぬこと。前述の通り塚口のガルパンマサラは実に6年ぶり。しかも台風直撃で中止という残念な形で止まってしまっていました。それに加えて塚口でずーっとやってなかったガルパンが岩浪音響監督が手掛ける作品を1日が24時間であることを完全に忘れた上映スケジュールと作品数でお送りする「IWANAMI EXPO」にてついに復活。さらに最終章第4話は塚口では今回が初上映ということでもうガルパンおじさんがその身の内に秘めた熱気は薬室内の燃焼ガスも同然なのでガス漏れも起ころうというもの。
 そして場内に人が増えてくるに従って鳴り物と手拍子がどんどん勢いを増していき――
 天を裂き地を割るほどの万雷の拍手とともに、我らが戸村支配人ことシネマイスター☆トムの登場だ!
 毎度のことながら、登壇しただけでこれだけ場を沸かせる劇場支配人がいるだろうか。いやいない。(反語)
 戸村支配人の「ガルパンマサラ、6年ぶりに帰ってきました!」の言葉に観客席からは「ありがとおおおおお!!!」「おかえりいいいい!!!」というカール自走臼砲の砲撃すら上回る熱量のレスポンスが放たれます。感謝を忘れない映画館、塚口サンサン劇場。
 まさに「感無量」の一言ですよ。この盛り上がりをどれだけ待っていたことか。
 恒例のアンケート、今回第4章を初めて見るという人がふたりほど。場内のベテラン塚口ファンの皆さんから熱い拍手が浴びせられます。そして初めて塚口に来た人も数人いらっしゃいました。あ な た は も う 逃 げ ら れ な い。
 場内はすでに溜めに溜めて溜め込んできたエネルギーがほとばしり、その総量は兵庫県全域の消費電力500年分に相当します。(脳内調べ)このエネルギーを持ってすればSDGsの目標クリアなんて余裕ですよ。
 そんなこんなで良い感じに場内が魔界と化してきて、いよいよ上映開始!
 
「showgateーーーーーーーッ!!」
「バンダイナムコーーーーーッ!!!」
 
 ほとばしる絶叫。舞い上がる紙吹雪。鳴り響く鳴り物。完全に映画館でやっていいことではありません。もはやここに集ったガルパンおじさんの脳内からは「ペース配分」などという言葉は吹き飛んでいます。これがガルパン。これが塚口。
 そして第1話の冒頭、あんこうチームの IV号戦車のシュルツェンを砲弾がかすめるシーンのクラッカーのタイミングの「合わせ」、もはや熟練の域ですごい通り越して怖い。みんな死ぬほど見てたんだろうな……。
 そして前回のマサラ上映のときでもいちばんアガったイバナの白ウサギ作戦発動時のサメさんチームリーダー・竜巻のお銀の「波濤を越えるぞ覚悟はいいかッ!?」に劇場全員そろって「ヨーソロー!!」と返すこの高揚感。
 マサラ上映の楽しみはそりゃあたくさんありますが、個人的にいちばんの楽しみはこの「合わせ」です。知ってる人も知らない人もたくさんの人が集ったこの空間で、文字通り「ここぞ!」というタイミングでクラッカーの音が一分の隙もなく合わさるこの瞬間。戦車が車長、装填手、砲手といった各種人員の統率されたコンビネーションで動くのと同様に、塚口のマサラ上映は作品・劇場・そして観客のコンビネーションで成立するのです! 今日このときここに集ったガルパンおじさんは性別年齢出身地それぞれ異なる人々でしょう。そうした人々と確実に「心が通じた」と感じさせてくれる。それが塚口のガルパンマサラ。
 いきなりの大洗大ピンチから始める最終章第1話、そこからの主題歌「Grand symphony」はもちろん場内全員当たり前のように大合唱! ここぞとばかりにサイリウム解禁してコール入れる猛者も大量におり、場内は完全にライブ会場と化しています。ここ本当に映画館?(いつもの)
 なお言うまでもないことですが主題歌「Grand symphony」及び「Never Say Goodbye」とエンディングテーマである「Enter Enter MISSION! 最終章ver.」は1~4話まで毎回全員で合唱してます。
 そして歌といえば第1章のラストを飾るBC自由学園の面々が歌う「玉葱の歌」こと「La chanson de l'oignon」も当然のことながら全員で大合唱ですよ。ここ本当に映画館?(2回目)
 塚口のマサラと言えば言及しないわけには行かないのが、日本の新たな伝統芸能となるのは時間の問題と目される(※脳内調べ)紙吹雪班の業(わざ)。
 第1話冒頭、同時に中盤から終盤にかけての山場である木造橋滅多打ちのシーンでは、スクリーンで飛び散る木片に合わせてか、茶色の紙吹雪が客席から舞い上がります。今日この場で実際に見た人はわかると思いますが、この紙吹雪の業によってスクリーンと観客席の境界線がだんだん曖昧になっていき、場内はいわば精神的4DXとでも言うべき状況に。いやただ単に久々にガルパンマサラをキメて認識がおかしくなってるのかもしれませんが。
 それに重ねて塚口の岩浪音響ですよ。もう何度も書いてますが、塚口の音響はただ単に音が大きいわけではなく要素が多い。戦車の車種や環境によって音響が異なる調整は繊細かつ豪壮、精緻かつ大胆。その音響はもはや「聞く」ものではなく「浴びる」もの。これまた今日この場にいた人なら分かると思いますが、塚口ガルパンの音響は空間そのものを震わせ、全身で感じる音響となっているのです。
 とにかく塚口のガルパンは、五感すべてを刺激する情報量のかたまり。もはやこの情報量の前に正気を保てているガルパンおじさんはひとりもいません。もとから若干正気が怪しい気もしますがこの話はやめましょう。
 大興奮の中で拍手とともに終わった第1話。客観時間ではまだ1時間ですが、消費カロリー的にはもう終わった感があります。しかし戦いはまだまだこれから。間髪入れずに第2話スタート!
 そしてまた主題歌「Grand symphony」の大合唱。ライブ会場と化すシアター4。ここ本当に映画館?(3回目)
 第2話の前半戦となるBC自由学園との決着。みんな大好きマリー様のくねくね、そして「Vive la(ヴィヴ・ラ)!」「BC、Allez(ベセ、アレ)!」と合わせるシーンが最高に好き。
 入り組んだボカージュ内での戦闘では塚口音響がこれまたいい仕事をしてます。多数の戦車が何度も行き交うシーンでは音源が遠のいたり近づいたりするのがわかりますし、細かい距離の違いも表現しているという。
 しかし観客席からの声援とクラッカーも負けてはいません。特にこないだめでたく誕生日を迎えられたマリー様への熱い「お誕生日おめでとおおおおお!!!」の絶叫はスクリーンの向こうにまで届いたことでしょう。もちろん他のキャラへの声援もすごい、というか濃い。前回のガルパンマサラのときも感じましたが、エリカへの声援がやたら念が濃ゆいのが笑えます。兵庫県の中心で愛を叫ぶ映画館、塚口サンサン劇場。
 そしてついに決着。試合前には観客席からも「よろしくお願いします!!」、試合後は「ありがとうございました!!」「お疲れ様でした!!」 礼節を忘れない映画館、塚口サンサン劇場。
 これだけ盛り上がっててまだ第2話が半分とか明らかに時間の流れがネジ曲がってるとしか思えませんが、今日ここに集ったガルパンおじさんの頭の中はもはや常識的判断ができる思考能力は残ってません。あるのは次に控えた大洗vs知波単の勝敗の行方のみ。
 その前の日常パートでのみほありデートシーンで「かわいいーーーーーッ!!!」の絶叫、そしてボコがボコボコにされるシーンのボコボコっぷりを塚口音響が背中のシートの振動を通して伝えてくれます。なんでボコ視点なんだよ。
 また、第2話でのMVPを差し上げたいのがサイリウム班。森の中での夜戦、照明弾が打ち上げられるシーンでサイリウムを点灯させるアイデア、素晴らしい! 作品が芸達者なら観客も芸達者、それがサンサン劇場。
 もちろん劇中歌である「知波単のラバさん」も全員で合唱ですよ。もう映画見てるんだかカラオケに来たんだかわかりません。
そしてラストの衝撃の展開、西隊長のまさかの「転進ではない、撤退だ!」のセリフにみんなで「えーーーーーーっ!?」
 実に白々しい新鮮な驚きを演出するガルパンおじさん。こうすることで何回見てようと衝撃の展開の新鮮さを蘇らせることができるわけですね。
 月に向かって撤退していく知波単の背中を見送りつつ、第2話は終了。ここでいったん休憩が入ります。
 ちなみに床はこんな有り様。
 
 
 どっから出てきたのこの量の紙吹雪……と呆然としてしまいますが、これでまだ半分なんですよね。この時点でこんな調子なら、残りの3話と4話終了時にはどうなってしまうのか。
 そして休憩時間のはずが、衝撃のスペシャルゲストが塚口を揺るがす!
 以下次回!
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うーんどうしよう。

2024-04-19 23:24:05 | それさえも平穏な日々
 何の話かと言うと夏コミの話ですよ。
 まだ当落もでてないのに?とか思ったあなた、甘い。オタクにとって5月以降の体感速度は4月までに比べて約5倍という研究結果が出ており(脳内調べ)、当落が出てからネタ考えるとかでは完全に手遅れになってしまうのです。
 というわけで今年の夏コミのバロック本はどうしようか考え中なんですが、わたくし人形使いも思えば長いことバロックで活動していて、やりたいネタは結構やってしまってるんですよね。シリアスもギャグもやったし学パロも過去編もやったし。
 あと抱えてるネタとしては「バロシン世界におけるキツネ以外のバロック屋の話」とか「バロシン短編集」とか考えてますのでそのへんからチョイスする感じでしょうか。バロック本編はかなりやったのに対して、バロシンの方はまだ掘ってない鉱脈が埋まってる感じです。でもあんまりやりすぎるとほぼオリジナルになりそうな気もしますがそれもまたバロックということで。
 まーいろいろ考えてますがなんかやります。あと紅楼夢のネタも考えないとな。
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塚口サンサン劇場「ミッドサマー」「ボーはおそれている」連続視聴人体実験敢行してきました!

2024-04-18 23:51:17 | 映画感想
 木曜日といえば滑り込みの日。
 というわけで、かねてより公言していた通り、本日実質ゆるキャン「ミッドサマー」ママの異常な愛情「ボーはおそれている」の2連続視聴による人体実験を敢行してきました! やはり何事も自分の身で体験せねば。自分の身はいちばん身近な実験材料です。
 両方ともすでに単独でのレビューは済ませているので、今回は両方を総括した方向で感想を書いてみましょうか。
 
 
 
 思うにこの2作品、こうして連続で見るとどちらもいくつかの共通点がありますね。
 まず、どちらも「個人vs集団(社会or環境)」という構図なところ。
 「ミッドサマー」では家族を失って悲しみに暮れるダニーという個人が、ホルガ村という集団にその悲しみごと飲み込まれていく物語。「ボーはおそれている」は抑圧的な母に育てられたボーという個人が、彼自身の内に構成された歪んだ社会認知の中に埋没していく物語と言えるでしょう。それに、ラストの裁判所のシーンはあからさまにボー個人と集団=社会を味方につけた母親との対立構図でした。
 そしてその対立構図はどちらも最初から負け戦である点も共通しています。主人公であるダニーにもボーにも勝ち目はなく、ダニーはメイクイーンとしてホルガ村に祭り上げられ、ボーは最終的に出来レースな裁判の末に水中に没するという。
 「ミッドサマー」はことさらにこの点が明白というかあからさまで、そもそも最初の最初にスクリーンに映し出されるあの絵で作品のストーリーが最初から最後までぜーんぶネタバレしてるという。そういう意味では「ミッドサマー」の物語は起こるべきことが起こるべくして起こった物語であり、主人公らが何をしようとその結末は最初から決まっていて誰もその結末からは逃れられないという構図だったと思います。
 「誰も逃れられない」という点は「ボーはおそれている」も同じ。こちらはボーはそもそも冒頭から最後まで己の歪んだ認知世界から逃れられずひたすらその中をさまよい続けていると言えるでしょう。本作はボーの旅路を描いてはいるものの、実質的にボーはどこへも行けてはいないという……。
 また、両者ともにその作品の根底には間違いなく「愛」があったと思います。ポジティブな意味かどうかはさておき。
 「ミッドサマー」では愛する家族を失ったダニーは恋人であるクリスチャンにも重荷に感じられていて助けてもらえない。そうした喪失感をホルガ村という共同体が持つ「愛」によって補完されていきます。対して「ボーはおそれている」では、一連の事件すべてがボーの母であるモナが息子であるボーに対して「その愛を試す」という執着から起こしたものであることが明らかになります。両者ともに主人公の行動には「愛情の欠損」が大きなファクターとして作用しているわけですね。
 このように両者には大きな共通点がありますが、同時に明確な相違点もあります。それは生と死。
 家族の死で物語の始まりを迎える「ミッドサマー」に対し、出産時の記憶から始まる「ボーはおそれている」。そして「ミッドサマー」では9人の男女が生贄として業火の中に消えていくシーンでラストを迎え、「ボーはおそれている」では作中でたびたび示されていた「子宮」「胎内」のメタファーとしての水中に没するラストシーンは明らかに胎内回帰。両作では正反対の要素があるにも関わらずダニーとボーの行き着いた先は同じく「周辺環境に飲み込まれる個の消滅」なんですよね。これは「ミッドサマー」で言及されていた「輪」の話にも通じる部分があると感じます。
 うーん、この感想を書いていて思ったんですが、「ミッドサマー」は「線」で「ボーはおそれている」は「輪」なのかも。
 「ミッドサマー」ではダニーの運命はホルガ村出身者であるペレが彼女に目をつけていた段階からすでに決まっていて、ダニーはその決められたルートに従って抵抗もできずに「一直線に」定められた運命に従って落っこちていく。対して「ボーはおそれている」では、出産の瞬間から始まったボーの物語は、「巡り巡って」スタート地点である胎内に戻ってしまうという対照関係にある気がします。まあどっちにしろオゲェェという点では共通してるんですが……。
 ……とまあアリ・アスター監督作品2連続視聴人体実験を行ったんですが、「ボーはおそれている」が終わって席を立ったときに長時間座りっぱなしだったせいかはたまた精神に異常をきたしたのかえらくふらついてしまいました。映画を見たあとで足元がおぼつかなくなるという経験をしたのは「RRR」以来だったりする。
 いやー実験を終えての感想なんですが正直キッツイわー……。どっちもメンタルに装甲貫通ダメージが来るタイプの作品なのでなかなか辛い。そして「ミッドサマー」で打ちのめされたあとに「ボーはおそれている」の悪夢3時間フルコースはなかりキツくてなんかもう一週回って楽しくなってきました。(グルグル目)次はヘレディタリーでお父さんファイヤーだ!(ヤケクソ)
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