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主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「サイラー・ナラシムハー・レッディ」見てきました!

2024-06-27 23:40:19 | 映画感想
 サイ! サイラー!
 というわけで今日見てきたのは、日本での上映権がもうすぐ切れてしまうというニュースが飛び込んできたその翌日に上映決定してくれたこの作品!
 
 
 さすが塚口。我らが塚口。上映権が切れるという話が飛び込んできたときから信じてましたよわたくしは。絶対やってくれると思ってた。
 twitter(頑なにXとは呼ばない)では喚起に湧く領民たちで溢れかえっており、改めてこの作品がどれだけ愛されているかということがわかるというもの。というかアヴク・ラージュ愛されすぎ。
 もうすでに複数回見ている領民の声が燎原の火のごとく広がっているのを見ると、この作品の上映権取得を公約に掲げれば即座に政界進出できると思います。
 さて、このブログを読んでいる人はおおむね特定の映画を複数回見るのが呼吸をするかのごとく当たり前の事になってる人ばかりだと思いますが、ここで改めて「同じ映画を複数回見ること」の意義を考えてみましょう。
 わたくし人形使いが思うに、それは「前回とは違った状態と視点で同じ作品を見られること」だと思います。
 一度作品を最後まで見たからこそ、さまざまな情報が入った状態で同じ作品を見ることができる。誤解されがちなことですが、いわゆる「新鮮な驚き」というのは初回視聴時だけにしか発生しないものではありません。むしろ、2回3回見ることによって初めて見えてくることも多いのです。
 しかるに本作を複数回視聴するということはつまりみんな大好きアヴク・ラージュが最後まで裏切らない清く正しいツンデレだということを前提として本作を楽しめるわけですよ。
 初回では例の裏切り者あぶり出しパートのところで「これは本当に裏切る流れかそれとも……!?」と手に汗握ってたわけですが、今回は最初の牛追い祭りの段階で「こんなことやってるけどこれって要するに気になる子にちょっかい出してしまうアレだよなまったくウチの領主様はしょうがないなあ」と後方腕組み領民ヅラ(twitter由来のワード)で余裕で見てました。というか今回は全体的にアヴク・ラージュのツンデレ具合を粘着質な視線で見てました。
 というかアヴク、「火よりもお前が心配だ」とか「我が王は最後まで裏切っていない」と後半はもうまったく臆面なくデレを発揮してるので分類的にはツンデレではなくクーデレなのでは? 有識者の意見求む。
 いやー本作、好きなシーンは山ほどあるんですが、やはりあの裏切り者あぶり出しシーンがいちばん好き。というかこのシーンのアヴクとゆかいな仲間たちがいちばん好き。ナラシムハーと家族を暗殺するイメージを先に出しておいて、実はその刺客たちはアヴクらとその配下によって返り討ちにされていた!という見せ方が実にニクい。
 でも、その前のアヴクの「奴を王にするために参戦したのではない」という言葉もまるっきりデタラメというわけでもなさそうなんだよな。その言葉を口に出して裏切りに加担したように見せかけたと同時に、自分のそういう思いを裏切り者ごと始末したのかも。本作にはしばしば「自分がやったことの責任を取る」というシーンがありますが、これもアヴクなりの責任の取り方だったように思えます。
 本作をこうして見直して思うのは、ナラシムハー自身はもちろん強大な戦士なんですが、それ以上に彼は冒頭で導師に授かった教え「自分の怒りをみなの怒りにする」の通り、大勢の人々をインド開放に向けての自由闘争に駆り立てていくという「思想の伝播」という点で非常に強いということ。
 本作は歴史上初めてインド独立のためにイギリスと戦った人物であるナラシムハー・レッディの物語であると同時に、彼の思いを受け取って伝えていった人々の歴史でもあると感じました。
 サイラーと別れる際に「お前の踊りの才能は民のためのものだ」と諭されたラクシュミがその言葉通りに踊りで各地にサイラーの戦いを伝え、その踊りでテルグの民がナラシムハーの元に集うという流れはそれを端的に表しています。そしてラクシュミはナラシムハーの婚約者であるシッダンマと出会い心を通わせる。
 ほかにも本作に現れる全ての人物、つまり点はすべてナラシムハーという線によって繋がれていると感じます。そしてその線は作中にあるように大きな海のうねりとなってインド開放という勝利に向かって突き進む。
 ラストでサイラーは処刑されながらも「戦争は指導者の死で終わるが、この戦いは指導者の死によって始まる」と称えられたとおりに、敵の手にかかりながらも死によって英雄として完成し、そして冒頭のラクシュミー・バーイーの時代にまで語り継がれている。それだけではなく、エンドロールではインド開放のために戦ってきた偉人たちがスクリーンに映し出されることで、ナラシムハーの戦いやその思いが時代を超えてたくさんの人々に受け継がれてきたということを改めて感じさせられました。
 死を前にしながらなお勇壮、かつてラクシュミに語った通り「生まれた意味を知るときは、死ぬ意味を悟るとき」の言葉通り死を以て英雄と成ったナラシムハーの物語、まさに圧巻。
 今日は最終上映ということで平日ですがかなり人が入っており、上映終了後……というか、エンドロール後のインド国旗に対して拍手が起こってました。しかも長い。応援上映やマサラ上映でもないのにこれだけの拍手が巻き起こったのは初めての経験かも。
 そして人身事故で電車が遅れてえらく遠回りして帰宅後twitterを見てみるとみんなアヴク・ラージュ大好きで笑ってしまいました。そりゃあみんな大好きだよな。
 惜しまれつつも上映終了となってしましましたが、塚口のことなので上映権をしれっと買い取ってマサラ上映してくれるに決まってるので安心して座して待つのみよ。
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