A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「マッキー」見てきました!

2024-01-31 23:33:06 | 映画感想
 はい、というわけで木曜日が迫ってくると上映スケジュールが変わってしまうので昨日に引き続きサンサン劇場です。1週間限定の作品は油断してると速攻で終わってしまうのでたいへん。トシとると1週間なんて本当にすぐに過ぎてしまいますよね……やめよっかこの話……。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 今までバーフバリから始まってラージャマウリ作品はたくさん見てきましたが、実はまだ見てなかったんですよねこの作品。あっ殴らないで殴らないで石も投げないで。
 本作は見なくてはいけないいけないとは思ってたものの再上映もなかなかないので見られずにいましたが、今回1週間限定で再上映されるということでこの機会を逃すわけにはいかん!ということで見てきました。
 向かいのアパートに住んでいる女性ビンドゥに恋する青年ジャニ。2年間も片思いしているものの、ビンドゥはなかなかジャニに振り向いてくれません。しかし、ビンドゥはときに突拍子もない方法で自分に好意を示してくるジャニを内心では憎からず思っていたのでした。
 一方で、金と暴力で女性を支配してきた実業家であるスディープもまたビンドゥを狙っていました。スディープはビンドゥが所属しているNGOに多額の寄付を行うことで彼女を手に入れようとします。しかしビンドゥの心がジャニに向いていることを知ったスディープは猛烈な嫉妬心に駆られ、彼を誘拐、殺害してしまいます。なすすべもなく殺されてしまったジャニですが、奇跡の力で転生します。しかし転生したのはよりにもよってハエの姿!
 いわゆる転生モノは「強くてニューゲーム」であることが多いですが、本作はまったく逆の「弱くてニューゲーム」と言えるでしょう。わかりやすく言うとマイクラで言えば無人島スタート、R-TYPEⅡで言うと2面中盤でミスって装備全部剥がれたくらいの絶望感です。
 そもそも本作のタイトル「マッキー」がハエって意味なんですね。そして冒頭でジャニがハエに転生してしまうので、人間としてのジャニの登場は冒頭だけ。あとはずーっとハエのまんま。エンドロールもハエ。なので本作の主演は実質的にはスディープを演じるスディープ氏ということになります。ややこしいな。
 ジャニがハエに生まれ変わってからの展開は、ハエの視点から見た人間世界なので、「ミクロキッズ」や「バグズライフ」を思い出しました。そして記憶を取り戻したジャニはなんとか復讐の対象であるスディープを見つけるんですが、相手は人間、こっちはただのハエ。相手にならない以前にそもそもスディープに認識されていません。このへんの当然といえば当然のジャニの無力さが一見コミカルな描写もあいまってなかなかつらい。
 しかしジャニは負けません。ハエになったのを活かしてスディープの耳元で延々飛び回ったりタバコを寝床に持っていったりしてスディープを追い詰めます。ジャニもやり口が中々悪辣なのが笑えます。というかもうやってることが嫌がらせのレベルを通り越して殺意に満ち溢れてるんだよなハエになってからのジャニ。なんか人間からハエに転生したことでいろんなタガが外れちゃってるんじゃないの?
 この辺に関しては悪役であるスディープのほうがだいぶ気の毒というか追い詰められ方がほとんどホラー映画の主人公というか……。経験のある人はわかると思いますが、「ハエに耳の中に入り込まれる」ってだけでだいぶ精神がやられると思います。もうジャニは半年くらい毎晩毎晩スディープの耳に入り込んで暴れるのを繰り返しとけばスディープは精神崩壊してたのでは……。というか常人がスディープと同じ目にあったら早々に12モンキーズの冒頭の留置場に収監されたブルース・ウィリスみたいになると思います。
 スディープはもとから凶悪な支配欲を持っている人物なんですが、中盤から後半の彼の血走って正気を失った目は生来のものと言うよりも完全にハエとなったジャニに追い詰められたせいだとしか思えません。執拗にハエにたかられた挙げ句事故を起こし、さらにハエに「お 前 を 殺 す」とかメッセージを書かれたら正気でいられるわけがない。また、スディープは部下や医者に「ハエに命を狙われている」と訴えますが当然信じてもらえません。この辺は普通なら主人公側の境遇なのに、そのへんが逆転してるのもラージャマウリ監督の妙といったところでしょうか。
 本作のジャニとスディープの攻防はコミカルであると同時にマジモンの殺意が同居している不思議な味わいのある感じを受けます。例えば「ホーム・アローン」なんかはコミカルで「いやいやこれ死ぬだろwww」って感じなんですが、本作ではやってることはお互い相手を殺すことを目的としてるのでなんというかいわゆる「シリアスな笑い」を感じます。ジャニは自分の正体を知ったビンドゥの協力も得てスディープを追い詰めていきますが、これってビンドゥも間接的に殺人に及んでるのでは……でもまあ恋人殺されてるからなあ……。
 これもラージャマウリ作品ではおなじみというか非常に優れた点だと思うんですが設定に無駄がなく、すべての要素があとから伏線として効いてくるのが非常に巧い。
 たとえば、ビンドゥは趣味でマイクロアートを製作してるんですが、このマイクロアートの技術があとからハエとなったジャニのために殺虫剤よけの小さなマスクを制作するところに繋がったり、一度は失敗した酸素シリンダーに火薬を詰めてスディープを狙撃する罠がラストで起死回生の一手として機能したり。言葉で言えば「一度出した要素を重要なところでもう一度出す」ってだけなんですが、言葉で言うのと実行するのとでは天と地ほどの差があるわけで。ラストの伏線回収は実に爽快。
 いやー面白かった! 本作はまさに「奇想天外」という言葉がふさわしい作品でした。まあ四六時中ハエのドアップが出る作品なので昆虫が苦手な人にはキツイかも知れません。しかし、本来表情や感情がなく言葉も喋らないはずのこのハエの姿になったジャニ、だんだん表情や感情が見えてくるんですよね。そしてエンドロールではノリノリで踊ってるし。
 で、個人的に面白いな―と思ったのがラスト。こういうお話だと主人公は人間の姿に戻りヒロインと結ばれてめでたしめでたし……というのがお約束ですが、本作ではラストで再び死んだはずのジャニは、またもやハエの姿に。しかし彼は変わらずビンドゥを守り続ける……というラストでした。冒頭の父親が話す寝物語とラストを考えるに、ジャニは「悪人とは言え人を殺した」という業(カルマ)を背負わされてハエに生まれ変わり続けるんだろうなあと思います。そこで本作のキャッチコピーである「ハエになっても君を守る!」が活きてくる。もう隅々まで魅力が詰まったラージャマウリ監督作品でした。
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塚口サンサン劇場「パプリカ」「ゴーストワールド」見てきました!

2024-01-30 23:50:05 | 映画感想
 今日もサンサン劇場。明日もサンサン劇場。明後日もサンサン劇場。あなたの人生にサンサン劇場。もはやサンサン劇場に住むしかない。
 というわけで今日は久々に2本見てきました。
 まず1本目はこちら!
 
 
 映画館でも自宅でももうかなりの回数見てますが上映されるなら何回でも見に行きますよ。え? なんでそんなに何回も同じ映画を見るのかって? ヤクは何回キメても気持ちよくなれるからですけど?(「なにを言ってるの?」という顔)
 というわけで今回もキメてきましたパプリカ。いやーもうOPの段階で音響がビリビリ響いて気持ちいい。塚口の音響はもはや一種のセラピーと言えるでしょう。そしてこの音響が平沢進のBGMとまた相性がいいんだよなあ。
 気持ちいいと言えば本作で夢が混線して錯乱した人々の口にするワードサラダ。言ってることは全部支離滅裂なんですが不思議なリズム感があって好き。オセアニアじゃあ常識なんだよ!!(病院の窓をブチ破りながら)
 今敏監督作品はどれも一貫して「現実と幻想」を描いているのでとってもP・K・ディックみを感じるんですが、粉川刑事が見るエレベーターの悪夢のシーンや、序盤の廃遊園地で敦子が手すりを飛び越えようとしたシーンなど、現実(と思っていた光景)の不安定性を物理的な現象でもって描いているのが好き。確かな立脚点であったはずの「現実」が文字通り足元が泥のように崩れていくシーン。そして終盤の伝説的名場面といえる現実と妄想が入り交じる狂気のパレードのシーンでは、もはや現実の確実性は完全に瓦解し幻想と等質の存在と成り果てるわけです。ステキ……。
 そして本作ではしばしば「映画館」というシチュエーションが登場しますが、だからこそこの作品は「映画館で見る」という行為とセットではじめて完成するような気がする。なにせ本作を映画館で見ることによって「映画館のスクリーンの中の映画館のスクリーンの中の映画を見る」という二重構造が発生して頭がおかしくなるのでおすすめ。
 
 次、例によって例のごとく前情報は全然知らなかったものの、ポスターと予告編を見て心の妖怪アンテナが反応したので見てみたこの作品!
 
 
 サンサン劇場的にも推し映画なのか、塚口のファッションリーダーこと秋山殿も「ゴーストワールド」仕様。
 
 
 本作は2001年に公開された作品で、公式サイトによれば去年の11月から全国の映画館でリバイバル上映されていたそうな。
 高校を卒業した幼なじみのイーニドとレベッカ。ふたりははみ出し者同士で家族をはじめとする周囲の人々とうまく馴染めずにいます。そんな中、早々と自立の準備を進めていくレベッカと高校を卒業したあとの社会との折り合いをつけられずにいるイーニドとの関係は次第に悪化していき……。
 という導入だと、本作はよくある青春物語のように思えますし、本作はある側面では直球の青春物語です。しかし本作はそれにとどまらない、る側面では王道の青春物語の構造を裏切る結末になっていると感じました。というかそもそも本作の青春物語的側面はガワでしかないのでは……?とすら思うんだよな……。
 いきなりラストシーンの話になるんですが、だんだん周囲と噛み合わなくなってどんどん期待していたものや拠り所を失っていったイーニドは、最終的にすべてに見切りをつけるかのようにバスに乗って街を出ていきます。つまり彼女は支え合えるパートナーに運命的に巡り会えたわけでもなく才能を見出されて天職に就けたわけでもない。では本作はイーニドが完全に社会からはじき出されて終わりというバッドエンドかというとそうでもない気がする。
 そもそも本作におけるイーニドとレベッカのふたりは実は表裏一体で、言ってみればイーニドは社会に適合できなかったレベッカであり、レベッカは社会と折り合いをつけたイーニドなんじゃないでしょうかね。スタート地点は同じでも違うルートを辿って違うゴールに辿り着いたという。
 そしてそもそもイーニドには社会と折り合いをつけることそのものが不可能だったんじゃないかと思います。彼女にとっての唯一の正解は、彼女を取り巻く社会そのものであるあの街から去ることのみだったのでは。終盤での出来事はもはや彼女の手が届く場所の話ではなくなっており、彼女ひとりに力ではどうしようもないことでした。そんな中、最後の最後で「バスに乗って街を去る」という自発的な選択をできたというのが唯一の救いだったように思えます。
 なんとも寂しい結末でしたが、仮にイーニドが上記のような理想的な救いを得たとしても、それはイーニド自身に対して、そしてスクリーンを通してイーニドに自分を重ね合わせてしまうような社会にうまく適合できていない人達に対する裏切りになってしまうでしょう。イーニドは社会と折り合いをつけられないまま街を去るというのが、なんというべきか「救われないのが救い」といった感じでしょうか。
 また本作はスタッフロール後にCパートがあるんですが、この感想を書いてる時点でもあれの意味がよくわからないんですよね……どういう意味なんだあれ……。
 あとスティーブ・ブシェミ演じるシーモアが自分の好きな古いレコードの話でオタク特有の早口になるシーンで身に覚えがありすぎてオゲェェとなりました。 
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TOHOシネマズ梅田「哀れなるものたち」見てきました!

2024-01-29 23:21:26 | 映画感想
 ようやく手持ちの仕事が終わったので映画を見に行くぞ。
 またぞろサンサン劇場がインド映画まみれで日本国インド領と化していますが、今日はTOHOシネマズ梅田へ。
 
 というわけで見てきたのは「哀れなるものたち」!
 写真は今さっきチェックしたら反射でがっつりリアルボディが映っていたので掲載はなし。
 本作は以前に大阪ステーションシティシネマに行ったときにチラシで知った作品。
 投身自殺した女性の胎児の脳を取り出してその女性に移植されて蘇生した主人公・ベラ・バクスター。彼女は親代わりの天才外科医ゴッドウィンの元を飛び出して世界中を旅するようになりますが……。
 いやーなんというか、変な映画でした。上記の設定だけを見るとホラーのような気がしますが、R-18なのでグロいシーンはあるもののホラーではない、恋愛要素はあるが恋愛映画ではない。
 本作をジャンル分けするとしたら、幻想怪奇映画あるいは滑稽譚といったところでしょうか。本作は前述の通りR-18なのでエロもグロもなんもかんもおっぴろげなわけですが、それはメインの要素ではなくエッセンスやスパイスでしかないと感じました。
 まず本作の主人公であるベラ・バクスターのキャラクターとしての造形があまりにもグロテスクかつ無垢。成人女性の肉体に胎児の脳を移し替えられて蘇生した彼女は、当初は言葉はたどたどしく動作はぎこちなく、一般常識もないような振る舞いをします。しかし物語が進むにつれ、彼女は周囲で起こるさまざまな出来事からさまざまなことを学び、徐々にその情緒を成長させていきます……というわけではおそらくないんだよなこれが。
 こういう話だと、話の骨子は「自我を持たずに生まれた存在の成長物語」とかになりそうなものですが、おそらく彼女の自我は外部に発露していないだけで初期段階ですでに発生していたと感じました。しかし、その自我は表面化していません。そのため、ゴッドウィンの助手でありベラの世話している内に彼女に好意を抱くようになったマックスや、放蕩三昧でベラと駆け落ちしたダンカンをはじめとする男たちは、それぞれ自分に都合のいい理想の女性像を彼女に投影していると感じました。
 これはただ単にベラの表面的な自我が希薄だからという理由ではなく、そもそもこの時代の男性→女性の支配的意識を反映したものなんじゃないのかな。
 そしてもうひとつ印象的だったのがマックスの当時の宗教観を反映した「女性は貞淑であるべし」といった言動に対するベラの行動。これに対してベラはそんなことは一切お構いなしで人前で自慰行為に及ぶなどの問題行動をやめません。さらにはダンカンと駆け落ちしたあとは彼との激しいセックスに耽り、さらには娼館に転がり込んで娼婦として客を取るようになります。
 このように、ベラは自我の表面化こそ希薄なものの、周囲から投影された理想の女性像にも社会的規範にも縛られず、自由に、ひたすら自由に行動します。その行動は時には醜悪で愚かしいものにも見えますが、そこには確固たる自我の輝きを見た気がします。
 言葉もあやふやだった彼女は急速に知識を吸収し、やがて自由と平等を求めるようになります。しかし、これもまたただ単に「女性の地位向上と社会進出」というだけではない気がする。
 ダンカンと駆け落ちしてゴッドウィンの屋敷を出ていった彼女の選択は彼女の自由意志によるものですが、それで彼女が完全なる自由を得たかと言うとそうでもありません。彼女を連れ出したダンカンは彼女を都合よく利用・支配しようとしていますし、彼女はまだその情緒が十分に発達していない。つまり彼女は「檻の中を出たと思ったら一回り大きな檻の中にいた」という状況なわけですね。いやまあその割にはダンカンは完全にベラに振り回されてさんざんな目にあってるわけですが。
 そもそもベラのキャラクター造形の核には、「二重性」というファクターがある気がします。成人女性の肉体にその助成が妊娠していた胎児の脳を移植されたという「母親でもあり子供でもある」という二重性、成熟した大人としてのメンタリティと無垢で無知な幼い子供としてのメンタリティを同時に持つという二重性、ベラ・バクスターであると同時に本来の身元・ヴィクトリアであるという二重性、そして彼女の世界を何重にも分厚く取り巻く社会・世界という多重性。このベラというキャラクターにはいろんな要素の重ね合わせがあると感じました。
 二重性や多重性といえばこの作品の味わいもそうなんですよね。シリアスな中に笑えるシーンやコミカルな描写もあり、今wikiを見たらジャンルは「SFラブコメ映画」と表記されてました。ラブコメかこれ……? とも思いましたが、思えば基本骨子が「一人の女性を複数の男性が取り合いつつ振り回される」であると考えると確かにラブコメだよな……そうかな……そうかも……。
 などとシベリアンハスキー顔になってしまいましたが、実際本作のあのひっでーオチを見ると確かにラブはあるしコメディもあるのでラブコメでいいや。(投げやり)でも実際あのオチには一種の爽快さがありましたしハッピーエンドであることは間違いないのでいいんじゃないでしょうかね。ベラの前途に幸あれ!
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冬コミ戦利品レビュー・東方編その10

2024-01-28 23:24:39 | 同人誌感想
 さて冬コミ戦利品レビューも残り3点となりましたのでなんとか1月中に終わらせられそうです多分きっと。
 
・サウンドレストラン FULLBURST(給食頭蛮)
 「サウンドレストラン」、帯の「音のレストラン、ここに開店!」のコピー通り、サントラを通してどころか1曲のなかにフルコース料理の如きとんでもない数のアレンジを施した満漢全席のサントラです。
 いやーすごい。なにがすごいって、実際の料理がそうであるように、ただ単に何でもかんでも食材や調味料をぶち込むだけでは料理は成立しません。なんでもかんでも混ぜてしまうと結局なに味かわからなくなってしまいますし、最終的には何の料理かもわからなくなってしまうでしょう。
 しかし、本作はただ単に無秩序にアレンジをしたり曲調を変えたりしているわけではなく、大量の食材と調味料を使い分けることで、いわばたくさんの小品を一皿一皿作ってそれをまとめることでひとつのトラックにしていると言えるでしょう。これだけの種類のアレンジを1曲の中にまとめると、結局曲がどんな方向性なのがわからなくなってしまいそうですが、本作はこれまた料理に例えると、作った料理をバランスよく最良の配置で容器の中に収めた幕の内弁当といった印象です。
 それでは収録曲ごとに感想を。
1、Ultimeat Taste(原曲:U.N.オーエンは彼女なのか?)
 東方原曲の中でも特にアレンジが多いこの曲、当然アレンジの方向性も多岐に渡るのでどんな方向性のアレンジもほとんどどこかで行われている気がします。しかし、こうしてさまざまなアレンジを1曲に集めるとまた味わいが変わってくるというか、「まだこれだけのアレンジの余地が残っていたのか!」と驚かされます。「究極の味」のタイトル通り、さまざまな味わいを兼ね備えた1曲。激しいアレンジからいきなり落ち着いた曲調になる辺りがフランちゃんの不安定性の反映を感じられますウフフ。
2、Hyper banquet(原曲:ハルトマンの妖怪少女)
 お次もEXボスであるこいしちゃんの曲。こちらはどちらかというと重く暗い感じの曲調がメインでしょうか。重低音を重視した感じのサウンドの中にこいしちゃんらしい可愛さや無邪気さを感じられます。そして後半で一気に狂騒的にテンポアップするあたりがイドの解放といった感じ。
3、Myriad texture(原曲:平安のエイリアン)
 3曲続けてEXボス曲、今度はぬえちゃんの曲。タイトル通りの正体不明の「無数の質感」をまとった1曲です。唐突に挟まれる原曲のフレーズに、正体不明の妖怪の正体が垣間見える。なんというか前の2曲よりもさらにしっちゃかめっちゃかな曲調とアレンジにいかにもぬえちゃんらしさを感じます。特にグリッチ音が多いのがそれっぽくて好き。
4、Infinite haze(原曲:逸脱者達の無礙光 ~ Kingdam of Nothingness)
 東方Project最新作である「東方獣王園」から、日白残夢のテーマ。ラスボスらしい重く荘厳な雰囲気の中にオリエンタルな曲調があるのが実に「東方のラスボス曲」といった感じ。後半部分で曲の盛り上がりがいったん収まる「静」のパートを入れてるのが好き。そして終わりのピアノパートがラスボス戦からのエピローグといった感じですごく好き。
5、Inorganic space(原曲:狂気の瞳~Invisible Full Moon~)
 これもまたアレンジが多いうどんげのテーマ。永夜抄の曲は全体的に「宇宙」のテイストがあるわけですが、この曲はまさに地上から始まり広大な宇宙を疾走するイメージ。途中のユーロビートパートと後半のおなじみのフレーズが来るところが特に好き。
6、ナイト・オブ・ナイツ(ぱらどっとRemix)(原曲:フラワリングナイト/月時計~ルナ・ダイアル~)
 超有名な東方アレンジのひとつである「ナイト・オブ・ナイツ」のリミックス。つまり三次創作アレンジです。すでにアレンジとして完成されている感のある「ナイト・オブ・ナイツ」をさらにアレンジするというのは非常に度胸のいる行為だったのでは。原作のテイストを崩さずに無数の方向性のアレンジを盛り込んでなおかつ破綻してないのがすごい。後半の原曲から微妙に外したメロディがすごい。こんな精度で狙って外すって相当難しいはず……。
7、Ultimeat Taste(Game Size)(原曲:U.N.オーエンは彼女なのか?)
 最後を飾るのは1曲目「Ultimeat Taste」のちょっと短いバージョン。短いと言っても十分ボリュームたっぷりで満足できる量。そしてこのアルバム自体の方向性がわかるショートバージョンです。
 
 「FULLBURST」、今回入手したうちの2点目。こちらは全9曲のインストクラブミュージックアレンジとなっています。では収録曲ごとに感想を。
1、FULLBURST(原曲:恋色マスタースパーク)
 原曲の疾走感を余すことなく再現した1曲。途中途中に挿入された「静」のパートがさらに独特のスピード感を高めています。後半の原曲のメロディからの外し方が上手い。
2、GOCHA GOCHA Ensemble(原曲:騒霊楽団~Phantom Ensemble~)
 東方原曲屈指の名曲のひとつである騒霊楽団のアレンジ。タイトル通りのごちゃ混ぜ感が楽しい一曲。メインメロディがかなりそのまま残してあるのが特徴的。
3、ハイスピードケルベロス(原曲:勇敢で有閑な妖獣)
 直球のユーロビートアレンジ。twitter(頑なにXとは呼ばない)で上がっていたPVも合わせて見るとカッコイイやら笑えるやら。本アルバムは全体的にスピード感のあるハイテンポな曲が多いですが、この曲がスピード感では一番好きでしょうか。
4、PURE(原曲:少女さとり~3rd Eyes~)
 打って変わって落ち着いた雰囲気のハウスアレンジ。でも原曲の持つ不気味な雰囲気はしっかり押さえているのがすごい。爽やかさと不気味さが両立した不思議なアレンジです。
5、Mauve.(原曲:ボーダーオブライフ)
 タイトルは「薄くグレーがかった紫」のことなんだそうな。曲を聞いてみると確かにそんな、あの世とこの世の境目を思わせる妖しい雰囲気。妖々夢の後半曲はこの「妖しさ」がキモだと思ってるんですが、この曲はその「妖しさ」を存分に引き出したアレンジだと感じます。
6、nostalgic(原曲:ネイティブフェイス/無間の鐘~Infinite Nightmare)
 ゆったりした雰囲気のハウスアレンジ。「ネイティブフェイス」はコミカルな側面もある好きな曲なんですが、この曲ではそのコミカルさを保ちつつしっとりとした曲調になっている感じ。
7、Azure Fragments(原曲:不思議の国のアリス/the Grimoire of Alice)
 東方旧作第5弾「東方怪綺談」からのアレンジ。テンポが頻繁に変わる不思議な感じの曲です。東方旧作の曲はあまり聞く機会がないんですが、こうして聞くと魔理沙のようなアリスのような……。
8、QUADBURST(原曲:秘匿されたフォーシーズンズ)
 ラスボス曲らしい緩急のついたアレンジ。激戦を思わせる激しい曲調からラストの物悲しさを感じる曲の終わり方が、いかにも「季節の終わり」といった感じ。
9、ナズーリンのお料理チャレンジ!(原曲:春の湊)
 ラストはかわいい系アレンジ。電子ピアノ?っぽいフレーズや曲の長さに、たしかなお料理番組っぽさを感じます。こういうコミカルな曲で〆るのもいい感じ。
 
 今日はここまで。
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「Horizon Zero Dawn」もうすぐコンプできそうでできない。

2024-01-27 23:25:41 | ゲームな話
 もろもろの未コンプ未クリアのゲームを抱えて石抱きの刑となっているわたくしですが、ようやく積みゲーの1本である「Horizon Zero Dawn」のコンプリートが見えてきたんですがここからが難しい。
 残った未コンプ要素は、ウルトラハードモード限定装備ひとつと最後の狩り場である「雪の凱歌」のクリア。
 装備に関しては、これまで延々とサンダージョーを狩ってはシャードを貯めてなんとかラスト1個になるまで揃えましたがさすがにサンダージョー狩りにも飽きてきたので久しぶりに狩り場へ。
 いやーしかし難しい。最後の狩り場である「雪の凱歌」は1週目でも難しかったですが、ウルトラハードモードともなると輪をかけて難しい。
 現在チャレンジ中なのは最初の腕試しである「制御の腕試し」。新武器ストームスリンガーを使うんですが、この武器連射すると自分もダメージを食らうという困りもの。かといって連射しないと時間内に敵を全滅させられません。
 ここの腕試しは2位くらいまでならなんとかなるんですが、1位を取ろうとするとかなりハードルが高くなります。「制御の腕試し」の1位ラインは55秒。
 youtubeの攻略動画を参考にしてやってるんですが、ラヴェジャーと戦っている間に残った敵の群れから離れすぎると走っても間に合わないことが多々ある感じ。動画ではほとんど動かずにラヴェジャーを倒してるんですが、あんなに早く倒せるもんなのか……?
 時間はギリギリなので、ロープを降りた地点の4体を速攻で撃破できないとほぼ詰みっぽい。狩り場に降りるタイミングがキモなのかなあ……。
 AC6も同時進行しておりPS4がフル稼働と言った感じですが、これが終わったら実はまだコンプしてなかったportalをやるかな……。
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冬コミ戦利品レビュー・東方編その⑨

2024-01-26 21:24:47 | 同人誌感想
 冬コミ戦利品レビューもいよいよのこり5点となりました。もう1月も終わってしまうのでどんどん行きます。
 
・白々問答 てるもこの寺子屋学芸会(くろぬこ亭)
 前回に引き続き、サークル「くろぬこ亭」さんの作品です。
 「白々問答」、タイトルにある「白々」とは、白蓮のと白澤=慧音のこと。本作はタイトル通りふたりの問答、そして彼女らの抱える過去や情念を描いた作品となっています。
 白蓮も慧音も、東方二次創作においては聖人君子とまでは行かないものの、美しく優しい人物として描かれることが多いキャラクター。しかし本作……というか、本サークルさん描かれるところの幻想郷においては、両者は妹紅を巡って愛憎渦巻く感情を抱えている人物として描写されているのが印象的。二次創作においてはキャラの性格や特徴付けが一定方向に固まることが多いですが、本サークルさんの東方二次創作におけるキャラ付けはそうしたいわゆるお約束的なものから大きく逸脱しているのでギャップが大きい。
 そしてストーリーもかなりインパクトとショックの大きいものとなっています。白蓮が老いることを恐れて邪法に手を出したというのは公式設定ですが、本作では白蓮は過去に蓬莱人となった妹紅を救い、自らが不死となるためにその生き肝を食らったという凄惨な場面が描写されています。
 このサークルさんの作品の魅力は、こうした場面をただ単にショッキングなシーンというだけではなく、史実に絡めて描写していたり、本作で言えば後半部分の問答にしっかり繋げているという点だと思いますね。
 「てるもこの寺子屋学芸会」、表紙とタイトルからほのぼの系の作品かと思いきやさにあらず。古代日本を舞台とした学芸会の劇の内容、これはもう明らかに「火の鳥」をモチーフにしたものでしょう。そこに輝夜と妹紅が絡んでくるのはもはや必然と言っていいでしょう。
 それにしてもちょっと気になったのは輝夜の描写。本作では輝夜は普通の等身とギャグ漫画でよく見るようなジャージ姿の2等身で描写されてるんですよね。そういうものだと言ってしまえばそれまでなんですが、この描写もなんというか、輝夜の二面性、不安定性を表現しているような気がします。そもそも本サークルさんの作風自体にこうした多面性があるような気がする。
 そしてラストに出てきた霊夢のまとったオーラが明らかにカタギのそれではない。本サークルさんの描かれる東方二次創作において、いちばんお約束描写から離れてるのは霊夢かも知れません。
 
 今日はここまで。
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アーマードコア6がとても楽しい。

2024-01-25 23:22:31 | ゲームな話
 現在チャプター3まで進めていますが楽しいですねアーマードコア6。
 twitterとPS4の連携がなくなってしまったので機体のスクショを流す方法がめんどくさいので口頭でで説明しますが、現在の機体は中量2足のリニアライフル&ブレード、4連垂直ミサイル&10連ミサイル。
 中量級でもけっこう重いミサイルを乗せられるので火力は十分。手持ち火器はミッションに応じて持ち帰る感じでいろんなミッションに対応できてます。
 さて久しぶりのアマコアですが、かなりカンが取り戻せてきたというかシステムに慣れてきた感じです。今回は半分くらい格ゲーになってる手触りですね。
 対AC戦ではスタッガーゲージがたまるタイミングを上手く調整するのがキモですね。また、相手のスタッガーゲージをうまく維持するべくうまい具合に連続攻撃ができるように攻撃のタイミングを調整するのが難しい。
 本作は全体的に武装のリロード時間が長めに設定されているので、常に武器の状態を把握していないと絶好のチャンスに攻撃できないことがあるのがシビアで俺によし。
 思えばロボゲー自体もかなり久しぶりにやる気がするなあ。ボリュームもかなりあるようなのでじっくり楽しんでいきたいです。あとヘンな機体を作りたい。
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冬コミ戦利品レビュー・東方編その8

2024-01-24 23:16:51 | 同人誌感想
 寒い……ここにあと何年……とハマーン様と化してしまうほど寒い。
 
・天狗の貼紙(くろぬこ亭)
 童話のような話もあれば凄惨な絵草紙のような話もある作風の幅広さと精緻な筆致が魅力のサークルさん、今回は3点の作品を入手しました。本作はそのうちの1冊。
 人里に買い物をしに来た妖夢。そんな折、壁に貼られた不思議な貼紙を見つけます。その貼紙は天狗の文字で書かれた「天狗の貼紙」でした。妖夢はその貼紙を持ち帰るのですが……。
 本サークルさんの描かれる作品は、暖かみのある絵柄で権謀術数渦巻く幻想郷を描いているのに不思議な凄みを感じます。今回は表立った戦いはないし妖夢やうどんげはなにも知らずに日常を過ごしていますが、その裏では各勢力がにらみ合っているという構図に独特の緊張感を感じました。
 東方二次創作の楽しみのひとつが「サークルや作品それぞれに異なる幻想郷」なわけですが、本サークルさんの描かれる幻想郷は今まで見てきたどの幻想郷とも異なる独特の空気を感じて好きです。
 
 今日はここまで。
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冬コミ戦利品レビュー・東方編その7

2024-01-23 23:36:24 | 同人誌感想
 毎月20日過ぎた後から次の月までの体感速度は異常。ゴッドスピード。
 
・Bilateral(すずだんご)
 前回に引き続きサークル「すずだんご」さんの作品です。
 本作は全9曲のサウンドトラックが収録されたCD……なんですが、ただのアレンジサントラではありません。
 サントラという媒体では当然曲が主役ではあるものの、本作ではそれと同じくらい装丁が凝っています。文章で説明するのは難しいですが、ジャケットを開くと中心のスリットにCDが立つようになってるんですね。そして両側に輝夜と妹紅のイラスト、そして詩が配置されているというデザインになっています。そしてCDの盤面のデザインが月という……。このデザインが、ジャケットを単なるパッケージにとどまらず開いたときに一種のオブジェとなって目に飛び込んでくるんですね。
 また、収録されている全9曲のサウンドトラックも、個別のBGMというよりは一貫したストーリーのように構成されていると感じました。というか本作のサントラは実質的に永夜抄のストーリーをなぞったものになっている気がします。というか今気づいたんですが、本作のタイトルが「二国間の」「両側の」という意味を持っているということは、本作は逆順で再生することも想定に入れた構成になっているのでは。
 それでは曲ごとの感想を。
・Intro(原曲:蠢々秋月~Mooned insect~)
 タイトル通りの、これからのストーリーを予感させる一曲。永夜抄の曲が一貫して持っている「夜と月」のイメージを色濃く反映させている印象です。
・Sad Inside(原曲:永夜の報い~Imperishable~)
 2曲目にいきなり後半ステージである4面の曲を持ってくるのに意外性を感じました。タイトルとなっている「内に秘めた悲しみ」はどちらのものなのか。
・Hidden(原曲:夜雀の歌声~Night Bird~)
 2曲目に続き、3曲目も「隠されたもの」という表に出さないことを意味するタイトル。輝夜と妹紅、両者の秘めた感情が月に反射して映るようなイメージ。
・Transition Here(原曲:プレインエイジア)
 激しさを増す4曲目。タイトルは「ここに移行する」という意味。輝夜と妹紅の辿り着く場所とは。永夜抄特有の疾走感を感じる一曲。
・Illuminated Moon(原曲:竹取飛翔~Lunatic Princess~)
 永夜抄の顔とも言える輝夜のテーマ。美しいピアノアレンジの旋律の中に輝夜の秘めた怜悧な狂気を感じます。
・Divergence(原曲:月まで届け、不死の煙)
 妹紅のテーマである原曲をテクノアレンジした一曲。挿入された英語の音声は永夜抄後半面の宇宙のイメージ。
・Admire(原曲:狂気の瞳~Invisible Full Moon~)
 タイトルの意味は「憧れ」。月はしばしば手の届かない憧れの存在のメタファーとして使用されることを考えると……。
・Resoulution(原曲:エクステンドアッシュ~蓬莱人~)
 EXステージの道中曲。妹紅の秘めた燃えるような情念を感じる一曲です。どことなく「Illuminated Moon」と同じようなイメージを感じる。
・Beautiful Soul(原曲:少女綺想曲~Dream Battle)
 最後の曲が「Intro」に対する「Outro」ではない点、そしてラストに輝夜でも妹紅でもなく霊夢のテーマ曲を持ってくる点に作為的なものを感じる……。
 
 今日はここまで。
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冬コミ戦利品レビュー・東方編その6

2024-01-22 23:00:28 | 同人誌感想
 冬コミ戦利品レビューも残り8作品となりました。まあなんとか1月中に終わるかなあ終わるだろう。
 
・幻想郷に、〒(ポスト)ができました。 剣術を扱う程度の手紙編 剣術を扱う程度の手紙 死ねない程度の手紙 心が読める程度の手紙(すずだんご)
 毎回意外な媒体を利用して幻想と現実の世界を結んでくれる本サークルさんの作品、今回の媒体は「手紙」です。
 タイトルから分かる通り、本作は小説本に加え、それとは別に小説本に対応した封筒入りの手紙があるという形になっています。なお、「死ねない程度の手紙」と「心が読める程度の手紙」は小説本の方が残念ながら品切れだったので手紙のみ入手しました。
 このサークルさんが出しているさまざまな媒体を利用した二次創作作品には、しばしばその不可逆性をも作品の一要素として取り入れているであろうアイテムがあります。テレホンカードは使用回数と使用期限が定められており、ソノシートはほかの記録メディアに比べれば耐久性は圧倒的に低い。つまり、使用前の状態を保てないことが前提になっています。
 本作の手紙も同じく、封筒に入った状態になっています。そのため、読むためには封を切らなければならず、一度封を切れば二度と封を切る前の状態には戻せない。この不可逆性こそが、本サークルの作品における「幻想と現実の一時的な接触」を実現していると言えるでしょう。
 また、前述のテレホンカードやソノシートは現在使われていないオールドメディアですが、本作における手紙もまた同じく、現代においては一線を退いた、東方的に言うところのいわゆる「幻想入り」しかけている媒体です。そうした「幻想入り」した媒体でもって幻想と現実の世界をつなぐというのがまたいい。実際、「手紙の封を切る」なんていう作業をしたのはずいぶんと久しぶりでした。これらのアイテムを手にした者にそうした郷愁を呼び起こすこともまた、このサークルさんの発表しているオールドメディアを用いた作品の狙いなのではないでしょうか。
 小説の方は、幻想郷に出現した今はもうすっかり見なくなった円筒状の赤いポストを通じて、妖夢が自らの悩みをしたためた誰に宛てたわけでもない手紙を外の世界に向けて出すというもの。そしてこの小説と対になっている手紙が、まさに作中で妖夢が書いた手紙というわけです。非常にシンプルな方法で幻想と現実をつなぐこの手法よ。
 手紙の詳細な内容を個々で紹介するのはプライバシーに関わるので避けますが、その内容は自分の悩みを誰にともなく、そして外界の人間に対して語るその内容は読んでいて不思議な気持ちになりました。
 「人間は虚構を信じられる唯一の存在である」とは「グリッドマンユニバース」にて怪獣少女・アノシラスが語った言葉ですが、「死ねない程度の手紙」「心が読める程度の手紙」もともに、特定の誰かに宛てたわけではない、しかし「こちら」に向けて語っているその語り口に、「幻想郷」という虚構に不思議な現実感を覚えました。
 
 今日はここまで。
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