A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

大阪ステーションシティシネマ「ライド・オン」見てきました!

2024-06-10 23:51:30 | 映画感想
 先月から足の小指の骨折で整骨院に通っていましたが、本日ようやく診察終了となりました。しかし今度は昨日歯磨きしてたときに奥歯が欠けてしまったので歯医者通いになりそうです。とほほ。
 さて今日は心療内科と整骨院に行ってきたんですが、ちょうどその間の時間が空いていたので大阪ステーションシティシネマに突入。
 今日見てきたのはこれ!
 
 
 本作は、みんな大好きジャッキー・チェン50周年記念となる作品。
 わたくし人形使いも清く正しい昭和生まれなので、金曜ロードショーや日曜ロードショーでジャッキー映画が放送されると決まってテレビの前にいたものです。
 前回「帰ってきたあぶない刑事」を見に行ったときの予告でこの作品を知ってぜひ見に行かねばということで見てきました。
 ジャッキー演じる主人公・ルオは、かつてさまざまな映画に出演していたベテランスタントマン。しかし現在では妻を亡くし娘とは疎遠、さらにはよる年波にも勝てずに落ちぶれ、ひとりさびしく暮らしています。さらには唯一残された息子同然の愛馬・赤兎(チートゥ)も会社が倒産したことによる借金のカタに奪われてしまいそうに。そこでルオは法学部にいる娘のシャオバオとその恋人である新米弁護士ナイホァを頼ることにするのですが……。
 今回もまたいつも通り、本作に関する前情報は予告とポスター以外は一切カット。予告から受けた印象は、我々がよく知っているいつもどおりの笑いあり涙ありアクションありのジャッキー映画といった感じでした。
 そして実際、冒頭部分は今どき見ないようなストレートなジャッキー映画でしたが、話が進むに連れて本作の本質がだんだん分かってきました。
 結論から言うと本作はジャッキー・チェンの半自伝的作品。要所要所で挿入されるこれまでのジャッキーが演じてきた誰もが知る、そして危険なスタントシーンの映像は単なるファンサービスではなく、本作の主人公・ルオがもうほとんどジャッキー本人であることを示しています。
 特に中盤でシャオバオとふたりで眺めているのがジャッキーのスタントの中でも特に有名な「プロジェクトA」の時計台からの落下シーンや「ポリスストーリー/香港国際警察」の電飾を粉砕しながらのデパートのポール落下シーンだったりするわけで、本作は映画という枠組みを借りてジャッキーのこれまでの人生を振り返る作品となっています。
 そしてジャッキーが自分にごく近いベテランスタントマンであるルオを通して何をしようとしているかというと、それはポスターのキャッチコピーにもある通り「人生の集大成」なんですよね。
 ではそれはこれまでのジャッキーの輝かしい経歴かというとそれだけではない。ルオは命の危険を伴うスタントに入れ込むあまり妻と離婚、疎遠になっていたシャオバオと分かり合い一度は危険なスタントから身を引く約束をするものの、やはりスタントの仕事が舞い込めば飛び込んで行くのを抑えられない。本作ではルオを通してジャッキーのこのスタントという行為に対する苦悩がありありと想像できました。
 そしてこの「スタントという行為に対する苦悩」を端的に表しているのが愛馬・チートゥです。映画に限らず、創作作品におけるキャラクターには必ず何らかの役目がありますが、このチートゥの本作における役目はとりもなおさず「ジャッキー/ルオにとってのスタントという行為そのもの」だと言えるでしょう。
 かつてルオは生まれたばかりで足に障害を持っていたチートゥを引き取ります。それからチートゥは彼のパートナーとなってスタントにも参加するようになり、かけがえのないパートナーとなります。
 しかしチートゥは単にルオのパートナーというだけではありません。大切なパートナーであるという以上に、スタントを共にしてきたチートゥはルオのスタントマンとしての経歴そのもの。そして自身の行っているスタントという行為の危険性をルオ自身よりも切実に彼に感じさせる存在でもあります。本作におけるルオとチートゥの関係は、そのままジャッキーとスタントの関係と言っていいでしょう。
 自分一人ならまだしも、愛馬をこれ以上危険にさらすことはできない。一人娘のためにも危険な仕事をこれ以上続けていられない、でも自分にはスタントしかない。終盤でルオはそういった苦悩に回答を出せないまま、危険な乗馬ジャンプに挑みます。アクション映画には手に汗握る展開というものが書かせませんが、本作を見ていてもっとも手に汗握る展開だったのがここでした。正解のない問いを抱えたまま、すでに事態は走り出している。しかし、奇妙に引き伸ばされた時間の中でルオはなおも問い続け、迷い続けている。
 この迷いはルオ=ジャッキーがこのまま危険な生身でのスタントを続けるか、それともCGIに代表されるテクノロジーに頼った安全な撮影を行うのかという迷い以上に、今後これからの映画というジャンルにおけるスタントという行為の是非を問うたシーンだと思います。生身のスタントとCG、当然どちらかかが一方的に正解というわけではありません。生身のスタントでしか撮れない絵があることはジャッキー自身がこれまでの作品で自ら証明してきたことであり、同時にCGがあれば危険なスタントで重症を負い命の危険にさらされることなく映画を作れるということもまた幾度となくスタント中の事故に遭ってきたジャッキーが一番良く知っていることでしょう。
 そして来たるべき「その瞬間」に彼が出した答えとは――。
 本作は前述の通りジャッキーの半自伝的作品であるとともに、この「生身のスタントの是非」の答えを自分自身に問いかける作品だったと感じました。
 この生身のスタントについては、作中で幾度となく「跳ぶのは簡単、辞めるのは難しい」という言葉が挙げられています。「辞めるのが難しい」のにはさまざまな理由があることでしょう。スタントという行為の魅力はもちろんのこと、それ以外にできることが亡くなっていく、経済的な問題など。多分ですが、この「生身のスタント」に関しては多かれ少なかれ映画業界では問題になっていることなんじゃないでしょうか。この問題には、作品制作はもちろんのことスタッフを扱う企業としての倫理観や過酷な撮影に臨むスタッフの負担軽減と安全確保など、さまざまな要素が絡み合っているでしょう。むかーしむかしの小学校の頃に何も考えずに無邪気にはしゃいでいたあのアクションシーンの数々の裏には「今この現場で命を落とすかも知れないという危険性」や「いつ命を落とすとも知れないスタントマンを待っている家族の存在」があったのだと、本作を見て改めて痛感しました。
 無論、作品の舞台裏というのはそうそう表に見せるようなものではありません。しかし、インターネットやSNSの発展と普及によって昔と違って作品制作の向こう側を覆い隠すものがなくなりつつある昨今、他の誰でもなくジャッキー・チェンという人物が答えを出す。それが本作の最も大きな意義だったんじゃないでしょうか。
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