A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

TOHOシネマズ梅田「ボーはおそれている」見てきました……。

2024-02-16 23:07:53 | 映画感想
 人はイヤ~な気分になりたいがために映画を見ることがある。
 というわけで、今回見てきたのは配給A24、監督アリ・アスター、主演ホアキン・フェニックスという黒い三連星でどう考えてもイヤ~な気分になることがコーラを飲んだらゲップが出るくらい確定的に明らかなこの作品!
 
 
 キャッチフレーズの「ママ、きがへんになりそうです。」「母さん…ぼく、あたまが ヘンになっちゃったよぉ……」を思い出しました。里見の謎の。なんだよそのキャッチフレーズ……。
 あるいは「おか~さ~ん・・・おか・おか・おか~さ~ん・・・おか~さ~ん・・・おか・おか・おか~さ~ん おか~さ~ん・・・」を思い出しました。東方見文録の。
 そんでまあ感想なんですが全体的にオゲェェといった感じでしょうか……。いや、PG12とはいえ派手なグロはあんまりないんですよ。でも179分ずーーーーーーーーーーーっと不安で不穏な気分にさせられます。不安定になる! 不安定になる!
 主人公・ボーは常になにかに怯えている不安神経症みたいな症状を抱えた中年男。彼の周囲の環境は異常に治安が悪く、アパートには不穏な貼紙、通りには死体、全裸で踊り狂う若者、全身タトゥーの不審人物、騒音などといった不安を掻き立てる要素が常に存在しています。
 こう書くと、ボーはそういった環境のせいで不安神経症的な状態になっているように思えますが実は逆。我々観客がボーを通して見ているスクリーンの光景は常にボーの常態化した神経症的不安を通した主観を通して見た世界なんですね。そして我々観客は、突然の母親の死をきっかけに里帰りを決意したボーとともに、彼の人生の振り返りを追体験することになるわけです。
 通常、映画というものは「疑似体験を楽しむもの」です。スクリーンの中の登場人物やストーリーに感情移入して泣いて笑って感動して、という。しかし本作……というかアリ・アスター監督の作品は「疑似体験」じゃすまないんですよね……。
 本作は常に主人公であるボーからカメラが離れません。そのため、必然的に我々観客もまたボーとともに、彼の主観を通した彼の生きる世界を見せられることになります。この「ボーの主観を通して見た世界」を見ているうちに、スクリーンの外側で見ているはずの我々の中にある経験や記憶や感情と、ボーの経験や記憶や感情がいつしかだんだん絡み合っていくような感覚に陥りました。覚えがあるんですよボーの抱える不安や葛藤や憎しみや恐怖に。だからこそスクリーンの中のボーの主観を通して見た世界がリアリティを増していくんです。ある種の環境で育った人にとっては、ボーの境遇はとてもフィクション=他人事として距離をおいて感じられるものではないはず。なんというか、強制的に否応なく感情移入させられる感じ。
 アリ・アスター監督は、「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」で「家族という呪い」をテーマとして挙げてきました。そして本作もまた、「家族という呪い」、特に「母親・息子という関係性の呪い」にフォーカスした作品になっていると感じます。
 本作における「家族という呪い」を端的に表現すると「ママの異常な愛情」でしょうか。ボーの母親であるモナのボーに向ける感情は間違いなく愛情ではあると思うんですよ。しかしその愛情は異常そのもの。というか「母親の愛情」というものは本質的にこういうものなのか……。
 これはわたくし人形使いが男性であるから感じることだと思うんですが、「父親からの支配」と「母親からの支配」とでは、後者のほうが本質的に抗えないものだと感じるんですよ。この辺は見た人の性別によって大きく印象が変わると思うので女性の感想も見てみたい。
 男性から見て父親というのは言うまでもなく大きな存在ではありますが、同時に「いつか乗り越えるもの」でもあります。逆に言うと父親は、「いつか息子によって乗り越えられるもの」であり、その支配構造は永遠のものではありません。
 対して母親に対しては、肉体的な力では上回っていても「自分を生み出したもの」であるという点で本質的にその支配から脱することはできないと感じます。ともすれば、油断した瞬間に胎内に引き戻されてしまうという恐れ・畏れすら感じる。「グレートマザー」なんて言葉があるくらいなので、父親と違って「子供を宿すという異能」を持った存在である「母親」というのは、人より神とかそういった位階に近い存在なんじゃなかろうか。
 思うに、母親側の人格や家庭環境やらがどうあれ、真に母親の支配から抜け出せる息子っていないんじゃなかろうかと感じます。終盤にて、本作のボーの神経症的不安は母親であるモナの異常なまでに支配的な愛情が原因であることが明かされます。ボーはすでに成人して中年になっているというのに、母親からの精神的自立とかいう以前に、なんかもう「実はへその緒すら切れてないんじゃないか?」とすら感じます。ただ単に依存的とか不安定とかいう以前に、彼自身の思考や主張が全然表面に出てこないんですよ。まるで成人してなお母親の胞衣に包まれているように、ボー本人が出てこない。ボーは旅路でさまざまな人に出会いますが、彼を誘導しあるいは阻害するのは常に女性というのも象徴的。イニシアチブを掴んでいるのは常に女性。ボーの父親はすでに死んでいるので登場すらせず、交通事故にあったボーを拾った夫妻のうち夫であるロジャーは一見たくましい男性に見えますが、彼の男性性はいかにもとってつけたような虚飾的なものを感じました。天才外科医で金持ちで庭でバーベキューっていうのが、いかにも典型的で想像力貧困なな「エラい男性」って感じ。作品世界が全部ボーの主観を通したものであることを考えると、ロジャーの人物像は母親に支配され切ったボーがかろうじて想像し得る理想の男性像だったのかも。またこの夫婦にはふたりの子供がいるんですが、息子の方はすでに戦死しているのでやはり娘しか出てこないという。
 これはただ単に「男性キャラが出ない、弱い」というだけでなく、ボー自身そして彼の生きる世界そのものから男性性が取り除かれている=去勢されているということだと思います。
 では、その去勢された男性性はどうなったかというと天井裏ですよ。アリ・アスター監督作品にはいくつか共通して用いられるモチーフがあるんですが、「天井裏」は代表的なモチーフ。アリ・アスター監督作品において、天井裏は常に「秘密にしておきたいものの隠し場所」です。中盤あたりでお仕置きとして幼いボーが閉じ込められた天井裏を、終盤でボーは実際に訪れます。そこにあったのは子供服を着たまま老人となった自分、そして巨大な男根の姿をした怪物。これらはまさに幼少期にボーが母親によって去勢された「男性性」そのものでしょう。
 というかこの感想書いてて思ったんですが、ボーの出産時の記憶から始まって母の家にたどり着くこの物語って、実は壮大な胎内回帰のプロセスだったのでは? そして、胎内回帰のプロセス=ボーの人生ということは、ボーの人生はまるっきり母親に支配され切っているということなのでは……。
 前述したアリ・アスター監督作品では、主人公であるアニーもダニーも状況に抗し得ず、最終的にはどちらも自身を取り巻く異様な世界に恭順することになります。本作の主人公であるボーも、もう最初から負け戦というか戦にすらなってなかったんじゃないでしょうか。
 その状況が端的に、非常に残酷な形で現れるのがラスト。今までの人生でおそらくは初めてであろう母への抵抗を試み、母の家=子宮=牢獄を脱したボーは、小さなボートに乗って洞窟に向かいます。そこでボーを待っていたのは、巨大な裁判所のような場所。
 大勢の聴衆が集まったこの場所、言うまでもなく「社会」そのものですよね。そしてその「社会」も、もちろんボーの主観を通した、彼の生きる世界。
 そこでは大声を張り上げるアナウンサーは、隣りにいるモナを全面的に支持し、ボーの頭上のスクリーンに今までの彼の行いを映し出して激しく糾弾します。
 覚えがある人はいるんじゃないでしょうか。「母親というだけで全面的に味方してくれる社会」です。
 覚えがある人はいるんじゃないでしょうか。「育ててもらった恩だとかそういう言葉で子供から母親への不満や抵抗を封殺する世界」です。
 覚えがある人はいるんじゃないでしょうか。この世で唯一、「子殺し」という形の殺人が許される人間である母親の姿です。
 そも、映画というものには「現実に存在しないものを現実化する」という側面があると思ってるんですが、このシーン、まさにボーであるわたしたちが生きてきた世界そのものでした。どんな凄惨なグロ描写よりもおぞましく残酷なシーンでした。ここで集まっている聴衆の中にはちゃんと「弁護側」がいるのがまた残酷で皮肉が効いてておぞましいんだよな……。
 そしてラストのラスト、必死の弁明も虚しくボーの乗ったボートのエンジンが炎上。ボーは湖の底へ。スタッフロールが終わるまで、スクリーンには転覆したボートと静かに揺れる水面だけが映し出されている……。
 本作でもまた、主人公であるボーはなんの手助けもなく抵抗もできず、断末魔すら上げられず水底に消えていきました。しかし、今までのアリ・アスター監督作品がそうであったように、このラストもある側面では救いだったのかもしれません。ここでボーは、死刑判決を受けて殺されたとかいうわけではないんですよね。エンジンが発火した原因は不明ですが、これは誰の意志も介在しない純然たるアクシデントだったようにも思えます。であれば、ボーは最後の最期に自分の意志での抵抗は出来なかったものの、一瞬だけ母親の支配から逃れることができたんじゃないか……とでも思わないとボーがあまりにも可哀想なんだよな……。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疲れが取れません。 | トップ | ワクチン接種から1日経過。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画感想」カテゴリの最新記事