崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

匕首を刺す

2014年02月13日 06時35分01秒 | エッセイ
「最悪」と言われる日韓関係について考えてみたい。メディアと書店街などでは「嫌韓」という言葉が底流から上流へという感がしてしょうがない。最近まで日韓関係の最高潮、韓流ブームで本欄でも日韓親善協会とは仕事を終えたような文を書いた。しかし李、朴大統領によって最高から最悪へ変わってしまった。日韓関係が良い時は在日の多くが韓国によるアイデンティティを求めて本名宣言や韓国人としての発言が多かったが、今不安を感じている人が多い。友人の妻は先日日本に帰化、日本籍をとったと嬉しく言ってくれた。3世、4世の彼らはもう日本人だと主張する人が多くなった。それは自然ともいえるがこの時期に聞くと日韓関係と関連されやすい。ヘートスピーチで心痛んでいる人も少ない。
 先日韓国から来られた大学教員に韓国での悪化理由を聞くと一言で「安倍総理だ」と言われた。日本では「朴大統領だ」と対置している。つまり日韓関係を悪くしているのは政治家や指導者であるということである。それは外を意識して内部反省が足りないと言える。韓国では最近スポーツで匕首をさすという言葉を頻繁に使う。特に日本人が静かに穏やかな顔をして突然、刺すという文脈で使われた。語源は中国であるが最近はむしろ韓国が日本に匕首を刺す行為をすることが多い。たとえば慰安婦像、パリマン展など数えきれないほどである。和解と寛容のクリスチャンの国なってほしい。

「妬む」

2014年02月12日 04時51分10秒 | エッセイ
熊沢書店に立ち寄った。本屋の店頭に並べられいるものは研究書ではない。しかしそこは今の人々の関心を知るのによい。入口から中の方に進むと分野別に陳列されている。最新拙著『雀様が語る日本』も郷土出版コナーに読書台に立てられて展示されている。書店の配慮であろう(写真)。結構売れている。感謝である。この地域では多くの友人ファンがいる。しかし私を嫌う人もあろう。それを話題にしたらよく談話してくれる鵜沢氏が嫌われのではなく、「妬まれる」という正しい日本語を教えてくれた。彼によるとつまり、うらやましい存在である証であるという。そして私を「妬む」と想定される人の研究業績を検索してみて意外に研究業績の貧弱さに驚いた。妬むのではなく、やはり嫌われるという表現が正しのではないかと思ってみた。
 妬まれるほどの研究とは何だろう。傾向を知るために本屋全体の書棚を回ってみた。どの分野でも共通するものが「……史」という類である。それに視線が止まって、手にして開いてみるとインタネット上検索できる資料、あるいはネットで共有する資料で埋められたものが多い。問題はネットや資料収集をどのように理解し分析して結論に至ったのか、書いている者がきちんと考えたのか、疑問を持たざるを得ない。インタネットをこなせばほぼ無限な知識を持ち歩くことができる。去年韓国の中学生が人類史の講義のようなことをネットをもって説明してくれたことを思い出す。知識人と非知識人が区別付かない時代になっている。特に「……史」の類は資料整理の司書的、あるいはネット上の作業(査業)によるものが多い。
 しかしインタネット上の知識集めのようなことからはできない分野もある。そちらの書棚の前に立ち止まった。経験、体験、実験、文学作品などが展示されている。ネットによって集めたものとは異なる印象がある。昔、学者といえば主に文献資料を集めて整理して何々「史」「・・・の起源」と名付けたものが多い。今そのような作業収集は相当便利になっている。今の時代の学者であれば記録やネット上の情報収集は比較的に簡単にできる。問題はその資料をどう検証し、自分の思考で考えるか、オリジナルティを出すことでである。ネットの発達のために本が売れず、出版が難しいという。その分出版物の質が上がればよい。学者のレベルも高くなればよい。

包丁のスケート

2014年02月11日 06時23分15秒 | エッセイ

ソチ冬季五輪の映像を見ながら子供時代を懐かしく思っている。ソウルの北の農村は冬の間は貯水池は常に凍っていて、小学校4年生になってスケートがほしかった。しかし農村では手に入れることができなかった。それで下駄の下に古い包丁をつけて滑ることができた。ソウルに転学してからは学校の運動場に水をためて滑ることができた。ノルウェー製のスケートを肩にかけて歩く人がうらやましかった。教員になってからもたまにスケート楽しんだ。このような寒さと雪と氷の文化であることは今でも大きく変わっていない。今度のソチオリンピックを見ても寒い地域の国家が勢いが強い。
 韓国と日本は地理的な自然環境が似ており、競争が面白い。ただ映像では韓国選手があまり出ない。これから韓国でフィギュアスケートのキム・ヨナ(24)と真央のゲームが面白くなる。東亜日報は1月7日に「浅田真央、もはやキム・ヨナのライバルではない」「キム・ヨナのライバルになるには物足りない」と書いていた。どうであろうか。私は審査基準が分からない。ただ包丁のスケートで滑った記憶から難しい技術と美しさで観賞している。その私の眼には日韓をはるかに超えている。韓国の選手の映像を日本の映像でもみたい。

学縁は切れても「縁」はきれない

2014年02月10日 06時15分28秒 | エッセイ
 いま国際的に韓国人のロビー活動が時々話題になっている。私は日本に長く住んで日本人と社会生活をしてきたが一番いやなことは根回しである。根回しとロビーはどう違うのか。ネット上で検索すればすぐに分かるだろう。しかしその辞典的なことではなく経験から知っていることが大事である。私の経験による日本人の根回しは事案を先に意見調整をすることが多い。世界的に通用するロビーとは人間関係や社交を広げて意見調整が自然に(?)行われることである。もちろん日本人、韓国人を問わずそうではない人も多い。
 先日韓国の大学の運営に詳しい二人の方と日本との比較の話が面白かった。現在円安で考えて韓国の大学教員が給料や社会的地位がはるかに高い。社会的身分や地位が高いのは研究者というより教育者への社会的尊敬が基礎になっているからである。教育者とは何か、学生や生徒を愛すること、肯定的にみることである。日本の大学教員の多くは研究者を志向し、教育者としての意識が薄いと思う。私は日本での研究を目指してきて本当に多くの研究者と協力しながら楽しく生きてきた。しかし時々期待外れもある。年度末、学期末に多くの学生が社会に出る。社会に出て社会を変えて欲しいと願っている。学縁は切れても「縁」は切れない。

友人になることは簡単ではない

2014年02月09日 04時13分09秒 | エッセイ
数日前下関の有名高級レストランのオーナーの女性から電話があった。彼女の弟はアメリカ・カリフォルニアに在住している。彼女の弟から電話があって、自分の友人の韓国ソウル在住の姜氏夫妻が下関に行くからよろしくという電話であったと言う。またその話によれば姜氏の奥さんは私の教え子だという。それ以上詳しいことは知らないし、初対面の人だという。昨日朝早くソウルのその姜氏夫妻から出発するという電話があって約束の場所で数時間待っても連絡不能、レストランの女将とわが夫婦が約束の場所で会って連絡を待ち、駅で無事に会った時には昼食時間もはるかにすぎていた。ソウルで暴雪のために飛行機が1時間半遅れ、また新幹線も遅れたというのである。その事情は日本中が暴雪であったので了解した。逢ってみて人間関係のネットワークが徐々に明らかになった。
 レストランの女将の妹の夫は私の友人の映像作家の権藤博司氏。ソウルから来られた姜氏はアメリカ留学時代に女将の弟とは同期性であり、ルームメートだったという。姜氏は韓国に帰国して大学の副学長などの経歴者、その奥さんは韓国芸術総合学校の教授、3年前私の紹介で東亜大学の櫛田学長の指導下で博士号を取得した許氏である。アメリカ在住の女将の弟の下関の留守宅にソウルからの夫婦を案内した。元銀行長の邸宅であって、最近購入した伝統的な高級日本式のお宅である。その主人公不在の夕食会はそのレストランでフグ料理であった。櫛田学長も参加した宴席になった。私は酒を飲めず酒宴参加には不慣れ、姜氏の奥さんの疲れもあって、途中で引き揚げることになった。烈々執筆中の私は一日の時間を待ちくたびれて消耗してしまった。しかし考えてみると昨日の出会いは在日朝鮮人と韓国人の3重の友人関係をはじめ、姉妹関係、学縁関係が混合したもので、日本、韓国、アメリカを結ぶものであった。夕食宴会は深夜までも続いてもおかしくないが、諸事情が重なって早めに終わってしまったが複雑な縁は大事にしたと思っている
 友人になるということ、友人関係を保つと言うことは簡単ではない。先日東京から訪ねてきた私の知人と、留学生時代の彼女の「友」人が下関在住と知って連絡をしてあげた。お互いに約束をして会った。しかし、二人の女性はただ立ち話だけの数分で別れた。私は韓国の離散家族相逢の場面を想像したがあまりも簡単な出会い場面に失望した。私の昨日の行動はおおげさなものかもしれないが、友人になることは簡単ではないことを実行したのである。

慰安婦像再考

2014年02月08日 05時50分58秒 | エッセイ
韓国の慰安婦研究の朴裕河氏によればアメリカで「従軍慰安婦像」をめぐって在米日本人・韓国人の葛藤が起きているという。日本植民地時代には学校の校庭に二宮金次郎像を立てて、戦後真っ先に壊された。その代わりに李舜臣像や読書する少女像を立てたところが多い。また詩人像を立てたところも多い。慰安婦や売春婦の像が立てられたのは何のためであろうか。独立運動者扱いであろうか。女子学生に慰安婦(売春婦)から何を学べというのだろうか。
 李朝時代には戦争の犠牲になった女性の怨霊を恐れて慰めるために全国的に「烈女閣」が多く立てられたのは村山智順によって明らかになった。朝鮮戦争の時、わが村などでは米軍に性暴行された女性もいた。その人たちは一生不幸な人生であっても自ら人権や賠償を口に出さずにいた。戦争の犠牲になった女性、日本人や韓国人の女性も数万人はいるといわれている。性暴行されたのは一般の女性であった。混乱な時期に犠牲になった現象であり、人道的に賠償するなら性暴行された女性の方であろう。朝鮮戦争時、性暴行を逃れようとする時に売春婦である「カルボ」「洋公主(米軍相手売春婦)」と呼ばれている人が大勢いた。
 スターリンやフセイン、毛択東、金日成などの像が立てられて金氏を除いて破壊された。韓国では伝統的に石碑や閣を立てることはあっても像を立てる習慣はなかった。しかし今、村起こし運動の一環として銅像を立てるのが流行している。私は先日朴元大統領の銅像を見てきた。住民たちの民間によって募金献金で立てられたという。遠くから見えて来る朴正熙像は私のイメージとはとても掛け離れていた。私が思うに彼は小さい背丈の軍人であったが、銅像は長身の紳士であった。背が伸びたものか、変身したものか。英雄化の意図が濃厚なイメージであった。拙作なのか、イメージアップの意図が加えられたのか。慰安婦像もみてきた。これが正しい歴史認識であろうか。日本を恨む「平和像」なのか。いまなぜ慰安婦像を立てるのだろうか。

「現代のベートーベン」

2014年02月07日 05時29分39秒 | エッセイ
 「現代のベートーベン」といわれた佐村河内守氏の実際の作曲家は他の人であったというニュースを聞きながら変なことを考えた。こんなことがどうして起こったのか、またあってはならないことだが、日本人は音楽観賞力や読書力が本当にあるのだろうか。数年前イギリスに滞在中テレビをつけたら音楽のクイズ番組が進行中であった。視聴者がクラシックの演奏を指揮する音楽から間違えたところを見つけるものであった。私のクラシックの観賞力からはレベルが高すぎであった。ここで話題になっているゴーストライターが作曲した交響曲をきちんと観賞する能力があったのか質問したい。多くのファンとはただ「広島物語り」を賛美したのであろうか。「被爆地の広島」「聴力を失った人」「髪型がベートーベンに似ている」などの面白さで音楽を観賞したのではないか。それこそ偽りの態度である。名前や職位を見て作品を手にとって見ることはあっても「作品を作品」として読むなり聞くことが大事である。「嘘」と騒ぐ人の声を聞きながら彼ら自身の態度も気になる。音楽鑑賞にしても、人生の生きかたにしても偽りはないだろうか、世俗社会をどう見るべきであろうか、自分自身に自問する。
 マスメディアが嘘をつかないように倫理を強調するのを聞くと苦笑を禁じ得ない。ある受賞感想を丁寧に感謝する人にカメラを向けず、むしろ「生意気な発言」で有名になった人もいる。言論が時々言っている「第一人者」という人物が学会などでは実力が認められない人もおられる。「現代のベートーベン」に賞賛・賛美して失望する人々に聞きたい。本当に曲に魅了されたのか。自ら考えてほしい。ここでは嘘の話はさておき、日本人の芸術観賞力を問題にして考えている。一般的に文学作品が読まれ、評価されて作家が有名になるのが正道であり、そして名作が生まれるのである。ベストセラーが生まれ、ノーベル文学賞を受賞する人もいる。その賞さえ信じられない。世の中には珠玉のような文章を残しても評価されず眠っているものが多い。作品自体が読まれ、評価される社会になってほしい。私がアメリカで最初の研究会に参加して感じたのは無名の研究者の発言でも内容によって注目されることであった。治安が悪くてもアメリカが好きになったのはそれからである。日本は確かに先進国ではあるが、先進的な教養がある社会とは思えない。

私の教育改革

2014年02月06日 05時26分32秒 | エッセイ
一学期15回目の授業が休講なしで終えた。以前ハーバード大学をテーマにした映画「ペーパーチェース」と関連して本欄で触れたように私の教授法で講義が全部終わった。参考にしてもらえればうれしい。私の授業法について学生に聞いてみた。受講生は日本人2、韓国人2、中国人4の8人。前の時間に提出した感想文に教員として赤線やコメントをしたものを返す。この時出席がチェックできる。リマインドから授業が始まる。まず映像を見せ、短文(社説や私のエッセイなど)を読んで、それぞれ質問と感想を持ってフリートークによるディスカショーンが行われ、最後にその時間の授業で勉強になったことを書いて提出させるという流れである。
 これは私が長い間、授業法の改善に努力してきた一つの効果的なものである。もちろんもっと効果的な教授法もあるかもしれないが、これを参考にしてよりよい教授法を開発してほしい。学生の話と文章によると多くの教師たちは内容を一方的に語って退場するという。私の教授法について「他の授業と違って非常にコミュニケーションがよく行われる」「雰囲気がよい」「今まで勉強したことなかったことや知らなかったことをたくさん学んだ」「他の授業と違って意見交換ができてよかったが、私は人の前で話すのが難しかった」「私は日本人の視点からしか考えなかったが・・・」「小さいことも深く考えること」「国によって考え方が違うことを学んだ」などのコメントがあった。
 今教育の理念、教科課程など日本の教育改革の話が出ている。なにより重要なのは教員の授業改革がなされなくては成果を上げることができない。私の教授法の基本は戦後、韓国でアメリカの教育法を受け入れながら改革した時、教員資格をとった経験に基づくものであり、それに新しい潮流を勘案して自分で開発したものである。日本の授業改革の必要性を常に痛感している。

作家川島擁子Yoko Kawashima Watkinsが下関へ

2014年02月05日 05時26分19秒 | エッセイ
 『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』So Far from the Bamboo Grove 1986年(2013/7ハート出版)の著者の作家川島擁子氏Yoko Kawashima Watkinsが2月18日下関に来られることになった。すでに読んだ人も多いだろう。この本は去年7月発行以来アマゾンで売れ行きトップであって、動画などでも知って関心のある人は多いと思われる。川島氏は1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞し、中学校の教材として採択されたが、一方韓国系アメリカ人たちからバッシングを受けて韓国では悪名高い作家にもなっている。そんな話題の作品が日本語版で発行されている。私はまず植民地の研究という立場から注目している。引き揚げの文学としても関心があり、著者に会いに行き直接インタビューをしたり日本に招待したことがあった。今度は2度目の下関訪問である。私は日韓関係が最悪と言われている今だからこそ個人的にではなく小さくても集いで歓迎会を考えている。
ストーリーは大戦末期の小学生の擁子(11歳)は「ソ連軍がやってくる」と たたき起こされ、母と姉の好との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。引き揚げ者が味わった壮絶な体験が書かれた。日本人婦女子が朝鮮ソ連の不逞外人によって心身に多大な傷を負わされたという一部の内容がクローズアップされてバッシングされた。少女の視点から描きだしたものであって、別に嫌韓ではないのに過剰な反応ではないかという読後感が多い。その中で、韓国側が問題視するシーンは「私たちは京城をでなければいけない。朝鮮人の男たちが、日本の女性を藪の中へ引きずっていくのを見たし、若い女の人に乱暴しているのも見たわ」という部分である。また著者の兄が親切な朝鮮人に助けられたことに関しての記述があるように、著者は反朝鮮の立場ではなく、あくまでも中立的立場でこの本を書いているという指摘もある。この本は引き揚げの体験、文学作品、そして日韓関係の危険性の瀬戸際の状況によって広く読まれるようになった。下関の市民たちの意見を聞きたい。


シンポジウム「渋沢敬三の資料学」のお知らせ

2014年02月04日 05時27分34秒 | エッセイ
 神奈川大の佐野賢治先生から電話と国際シンポジウムのお知らせが届いた。国際常民文化研究機構の主催で開催する「渋沢敬三の資料学—日常史の構築—」のご案内である。2014年3月9日(日)神奈川大学横浜キャンパス16号館視聴覚ホールBで行う。神奈川大学に渋沢敬三が寄贈した資料が多く私も情報や資料などを利用してきたが直接訪問するのは初めてであり嬉しく思っている。基調講演をボン大学名誉教授ヨーゼフ・クライナー氏が行ってから民具・映像・音声など様々な史・資料をテーマを発表する。私は最後の総合討論に参加させていただくことになっている。ポイントは渋沢敬三の学問と"資料学"の可能性について、国際的に検証するということである。私は30年ほど前から渋沢クループの1936年調査の報告書と映像「多島海探訪記」を参考に現地調査をし、韓国語訳も出した(民俗苑)。おそらくそれがきっかけで参加させていただけることになったようである。多くの研究とシンポが行われていて全体の把握ができていないので全体討論には自信がない。しかし昨年末国立歴史民俗博物館で発表をし、終始参加させていただき勉強になったことも生かして発言したい。
 渋沢は研究対象として家門の話も面白い。佐野真一氏の『渋沢三代』は実に面白い。祖父が作り上げたものを父が亡くし、三代目の当本人が作り直す長い大河ドラマの話のようである。彼が1936年夏朝鮮半島の蔚山と多島海で撮った映像は当時プロパガンダ映画の時代に例外的に民俗学者の映像として貴重なものである。彼は人格者であり財力も見識もあり、行動力のある人であった。その人が歴史に残っているという教訓をいただく。このシンポジウムでは「ビジュアル資料と渋沢敬三—アチックフィルム・写真から展望—」が開催される。ぜひ ご参加を勧めます。


国際シンポジウムを下記のとおり開催いたします。

    第5回国際シンポジウム 「渋沢敬三の資料学—日常史の構築—」
    日時: 2014年3月9日(日) 10:00~17:20
    会場: 神奈川大学横浜キャンパス 16号館視聴覚ホールB
    主催: 国際常民文化研究機構・神奈川大学日本常民文化研究所

本シンポジウムは「渋沢敬三記念事業」の一環として開催するものです。
基調講演にボン大学名誉教授ヨーゼフ・クライナー氏を、またパネル報告には国内外より研究者をお招きし、諸民族の生活文化を捉える民具・映像・音声など様々な史・資料をテーマにご発表いただき、渋沢敬三の学問と"資料学"の可能性について、国際的有効性の検証を試みます。またこれに先駆け、本シンポジウムの一部を構成するものとして、本年2月22日(土)には、国際常民文化研究機構共同研究グループ成果発表会(公開)「ビジュアル資料と渋沢敬三—アチックフィルム・写真から展望—」が開催されます。

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

 ■ 事前申込み不要、参加無料 ■  

STAPに関する「韓国日報」の記事

2014年02月03日 05時56分53秒 | エッセイ
STAPのニュースを新聞で読むと研究成果と利用性が説明された後、おしゃれな若い女性、日本のプライドなど比較的に全体が分かる。しかしテレビの報道では「ペットの亀に…」と指輪の資料画面が繰り返す。テレビなどはニュースを伝える根本的な問題点があるのは言うまでもない。ネットの時代にニュースを主にネットで見る人が増えている。彼らはニュース源に迫り追跡しながらいろいろな批判などを検索して全体を構造的に把握することができる。つまりテレビから事実の新鮮さに衝動を受け、新聞ではある程度の内容を読み、ネット上では追求批評するような客観的な理解方法の特徴がある。
 間もなく、ソチから日本選手の成果が伝わってくるとおもうが、スポーツでは日本以外の国の情報が全く乏しい。研究においても同様な現象がある。STAPの成功的な研究成果が外国ではどう評価されているのかさほど詳しくない。ネットから「韓国日報」の反響を読んでみた。その記事は科学専門誌の要約のようなニュースになっている。この研究は神戶の研究チームがNature紙に投稿した。日本とアメリカでの研究史的背景から無名の若い女性学者が成功させた。つまり小保方晴子(30)さんの研究実験によって新しく細胞が作れるということに期待する。非常に冷静に書かれている。それに比して日本の新聞では「理系女」、おしゃれな日本人女性をアピールしてから内容へと読まれるように書かれている。韓国日報の書きかたがレポートの書き方としたら日本のものは読者に読まれるように意識した文である。日韓両国において相手国に関する報道は書き方や文化的な差はある。学者は国家の枠の中で育ち、研究を通してそれを超えていくために努力している。彼女の研究の成功を「日本人の成功」という枠中に閉じ込めず世界的な共有へと努力することを期待する。

公明党の「新春の集い」

2014年02月02日 06時14分27秒 | エッセイ
昨夜初めて政治集会に来賓として招待された。公明党の山口県議員の曽田ご夫妻のお招きで「新春の集い」に参加した。自民公明の両党の関係者300余名が集まったことろのD席であった。メインテーブルのAを中心にBDとCEになっていた。はじめに林芳正農林大臣が登壇して西高校や出席しているお母様の話など郷里で過ごされた話もあった。次に元下関市長の江島潔参議員の山口知事選の話、下関市長の日中・日韓との交流の話があった。その後に公明党本部から来られた斎藤鉄夫議員のスピーチ、自民党と公明党とは初志一貫、立党趣旨と党名が変わりがないこと、自公連立が上手くいっていることを説明した。乾杯の後に議員などの政治家たちはテーブルを回り挨拶をしていた。私も初対面の同席者たち、議員などのテーブルに回って挨拶をした(写真)。
 学者がなぜ招待されたかは分からないが、2006年公明党機関紙の『公明』に私が論説を寄稿したことがあるがそれが縁と言えるのかもしれない。昨夜登壇した政治家のスピーチは皆思った以上、上手い。一般の民衆とは異なって政治家は社交的であり、国際的であり、スピーチの話術を知っていると感じた。一般の日本人は昔からあまり変化がないが、政治家は西洋化・近代化されたようにも思えた。公明党といえば創価学会という宗教政党と思っていたのに宗教色は一切出ていない。宗教は個人の信仰であり、公明党は選挙の組織にすぎないのだろうか、政教分離を意識しているのであろうか。 

着色絵葉書

2014年02月01日 04時32分05秒 | エッセイ
先日本欄で着色写真を営業的にやられた曽根崎明子氏について紹介したが、ここでは画伯の堀研氏から送られてきたおそらく1000枚ほどの絵葉書について書こうとしている。あるコレクターから寄贈されたものを役立ててほしいと私に送ってくださったものである。主に山口、九州、北海道そして全国に至る広範囲の地域にわたる。主に大正時代のものが多い。昨日その中から山口のものを中心にスキャンしてコンピューターに取り込みはじめた。「絵葉書」は文字どおり絵を描いたはがきや写真に一部着色したもの(灰色の石階段、石仏などは除いて)、完全に着色したもの(一色、多色)が自然に分類される。着色絵葉書はカラー写真ではない。実物の色は分からない。しかし、美しい。着色写真は写真と美術が混合したものである。
 わが家から見下ろせる門司の神社の写真葉書、山口の女子高等学校、秋吉台、萩の松下村塾、湯田温泉などの写真葉書などを見ながら今どう変わったのか早速行ってみたい。絵葉書には各処の観光や見物を誘うために何々「八景」「百景」などと題されている。カメラが今日のように普及していなかった時代に観光などで現地での感動を記念する気持ちで買ってきた絵葉書には多くの人物も登場する。当時、女子高校生たちの運動会で走ったりして絵葉書に登場している多くの人は高齢者となり、あるいは亡くなられたことだろう。その背景になっていた山や自然、施設などは残っている。登場人物や主人公が去って背景になったものしか残っていない無常さを感ずる。秋吉台の鍾乳洞の横に立っていた人は今どこかに存命であろうか。