崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

友人になることは簡単ではない

2014年02月09日 04時13分09秒 | エッセイ
数日前下関の有名高級レストランのオーナーの女性から電話があった。彼女の弟はアメリカ・カリフォルニアに在住している。彼女の弟から電話があって、自分の友人の韓国ソウル在住の姜氏夫妻が下関に行くからよろしくという電話であったと言う。またその話によれば姜氏の奥さんは私の教え子だという。それ以上詳しいことは知らないし、初対面の人だという。昨日朝早くソウルのその姜氏夫妻から出発するという電話があって約束の場所で数時間待っても連絡不能、レストランの女将とわが夫婦が約束の場所で会って連絡を待ち、駅で無事に会った時には昼食時間もはるかにすぎていた。ソウルで暴雪のために飛行機が1時間半遅れ、また新幹線も遅れたというのである。その事情は日本中が暴雪であったので了解した。逢ってみて人間関係のネットワークが徐々に明らかになった。
 レストランの女将の妹の夫は私の友人の映像作家の権藤博司氏。ソウルから来られた姜氏はアメリカ留学時代に女将の弟とは同期性であり、ルームメートだったという。姜氏は韓国に帰国して大学の副学長などの経歴者、その奥さんは韓国芸術総合学校の教授、3年前私の紹介で東亜大学の櫛田学長の指導下で博士号を取得した許氏である。アメリカ在住の女将の弟の下関の留守宅にソウルからの夫婦を案内した。元銀行長の邸宅であって、最近購入した伝統的な高級日本式のお宅である。その主人公不在の夕食会はそのレストランでフグ料理であった。櫛田学長も参加した宴席になった。私は酒を飲めず酒宴参加には不慣れ、姜氏の奥さんの疲れもあって、途中で引き揚げることになった。烈々執筆中の私は一日の時間を待ちくたびれて消耗してしまった。しかし考えてみると昨日の出会いは在日朝鮮人と韓国人の3重の友人関係をはじめ、姉妹関係、学縁関係が混合したもので、日本、韓国、アメリカを結ぶものであった。夕食宴会は深夜までも続いてもおかしくないが、諸事情が重なって早めに終わってしまったが複雑な縁は大事にしたと思っている
 友人になるということ、友人関係を保つと言うことは簡単ではない。先日東京から訪ねてきた私の知人と、留学生時代の彼女の「友」人が下関在住と知って連絡をしてあげた。お互いに約束をして会った。しかし、二人の女性はただ立ち話だけの数分で別れた。私は韓国の離散家族相逢の場面を想像したがあまりも簡単な出会い場面に失望した。私の昨日の行動はおおげさなものかもしれないが、友人になることは簡単ではないことを実行したのである。

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