崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ここは沖縄石垣島

2014年02月21日 05時34分33秒 | エッセイ
ここは沖縄石垣島、昨日の朝、福岡空港から1時間40分、さらに那覇から1時間南へ日本の南境の尖閣に近いところまできた。本島より10度高い17度、気持良い南風にさらされた。東洋大学の植野弘子教授が代表とする科研の「帝国日本のモノと人の移動に関する文化人類学的研究」の共同調査のためにに来ている。早速「石垣島博物館」を観覧した。
 中部大学在職中、20年ほど前にここで研究会をしたことがあるのに、風景や博物館の中も全く記憶していない。私の記憶はどうなっているのだろう。朝鮮戦争などを鮮明に記憶しながら20余年前のことが記憶に残っておらず不思議である。印象的なものがなく、記憶されていないのか、脳が記憶を消したのか。
 陳列の結婚式、洗骨・葬式などを見ながら1974年沖縄宮古島の調査を思い出した。中国の儒教文化の影響が著しく、その点韓国と似ている。ここの女性たちは物を頭に載せて運ぶ。韓国のトウワリ(ドーナツ型)のようなものもあった。ここの民俗は古い絵葉書で見たので照らし合わせて考えた。
 大浜信泉記念館(教育研究所)で開かれた飯田泰彦氏の「八重山の社会と文化:井戸・泉をテーマに」の1時間半の講演会は、1970年代水道ができる前までの泉・井戸を中心として村、御嶽の組織の氏子と重なって共同生活が効果的に機能したというお話であった。沖縄の学者たちは伊波普猷氏以来古い民俗に関心が高く、久しぶりに良い民俗調査のお話を聞いた。しかし「帝国日本」との接点はどこにあるか戦争と沖縄について質問した。軍はまず井戸水を調査して水源をとるとか、毒を入れたなどの多様な話を誘った。
 サトウキビ畑とパイナップル畑のある道を車窓から眺めながら日本のプランテーション、戦前の政策を今日考えることを期待している。中華料理店での懇親会は楽しく、私の就寝時間が過ぎてしまった。キンヨナ、浅田真央が気になったが寝た。朝、起きてみたら韓国ではキンヨナの銀に不満の声があっても日本では浅田に関しては不満の声は出てないようである。