崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

チョコレートの苦みと甘さ

2014年02月18日 06時09分59秒 | エッセイ
 バレンタインの日にソウルから来られた人から「新年おめでとう」といわれた挨拶にどう返事すべきか一瞬戸惑った。バレンタインの日に日本人からチョコレート、韓国からは年賀状もいただいてうれしい。陰暦のカレンダーと西洋のカレンダーが混合しているのを実感している。バレンタインにはチョコレート、母の日にはカーネーションとイメージが密着している。
私がチョコレートとチューインガムの味を知ったのは朝鮮戦争期に、米軍からもらった時であった。チョコレートのように苦く甘い味の菓子は韓国には全くない西洋の味であった。ガム文化はロッテの力にもよるが、咬み風船のような遊び、道端やトイレを汚す悩みを持つまで韓国文化のように定着したが今は品のない文化とされているようである。私はチョコレートと聞くとベルギーを思い出す。チョコレートはベルギーの悪名高いアフリカの植民地であるコンゴが原産という長い歴史を持っている。西洋の大発見、探検、開発植民地の歴史の中には胡椒、砂糖、コーヒー、チョコレート、ゴムなど熱帯植物を求めたものが多かった。そして植民地を通して世界化が進んだ。悪名高い残酷な統治地、コンゴから生まれた世界的な名品を愛のバレンタインデーに食べるのは皮肉とも感じられる。チョコレートの苦みと甘さがそれを象徴的に思わせる。今日拙宅にアメリカから著名作家川島擁子氏夫妻が来られる。彼らも高齢に達している。これまでのお二人の歩のお話とともに一緒に味わうためにチョコレートも準備した。