崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

障害や被害を装っている人

2014年02月20日 04時34分14秒 | エッセイ
川嶋擁子氏は朝鮮半島から引き揚げの時の爆撃で右の聴力を失ったという。私は15年前から左がほぼ聞こえず、補聴器を使っても不便な状況である。彼女との対談のような懇談会に彼女とは聴力がある左右になった座席で好状況であった(写真、撮影は礒永氏)。しかし私と同じに左耳の聴力が悪い人とは互いに困る場合もある。私は一時的に両耳が全く聞こえなくなり、絶望したが右は回復して正常である。絶望、失望の時慰められたのは音楽の聖人ともいわれるベートーベンであった。
 聴力の調査は基本的に被験者の意思によるものである。客観的に診察するのは難しい。韓国では兵役を避けるために聴力が悪いと言うことで身体検査で不合格、兵役免除になった人がいた。しかしその審査は厳しかった。談話の現場においての反応を観察し、「火事だぁ」などの大声や音に対する反応をみて障害者となった人がいた。彼は寺の手伝いの仕事をすることになった。その時、庭の掃き掃除をしながらラジオの音楽に合わせて足でリズムをとっていたのを見た人の密告で捕まったという。佐村河内守氏(50)は聴力を失ったと装って「現代のベートーベン」として成功した(?)。しかし彼も「背後から声をかけられて返事をした後に慌てて手話通訳のほうに向いて」というなど装うには失点が多くあったという。
 福祉社会では障害者が優遇されるような施設やシステムがあり、障害を売り物とするような現象がないわけではない。障害や被害を装って手帳を求めた人はこの人の他にも数多くいると思う。加齢によって人は耳が遠くなり身体的にも弱くなっていく。障害は特権ではない。福祉などの施設は障害者や弱者への愛情によるものである。それが社会の美徳であることを忘れていけない。