独学で韓国語を勉強して弁論大会で優勝したことのある倉光誠氏から拙著『참새님의 학문과 인생(雀様の学問と人生)』について感想文をいただいた。彼は岡山大学を卒業して5年間基礎医学教室で細胞分裂の研究で博士号を取得した。その後小児学科で勉学し臨床医になり、開業し、現在青葉こどもクリニックの院長である。そして大学院後期課程に在籍、私が指導教授になっている。学部の学生と一緒に「日本宗教史」などの科目も受講している。感想文はその感想を含めて書いてあった。
「崔先生の学部講義を受けさせていただいて、大学院の指導に近いと思った。私には新鮮な驚きであった。1年たらずの間に私は随分と変化したと実感している。学生たちも目を開いて変わってほしいと思う。」
「崔先生の御指導の態度はもともと先生に備わっていたのか、そうでなく体験の積み重ねによる結果なのか、大変興味がある。“弟子にお詫び”でその答えを見たように思った。」
「崔先生の植民地研究開始の頃の様子が書かれている。この本の中で、最も感動的な個所である。ところで、秋葉隆氏の客観的な学問態度が、崔先生の客観的な植民地研究態度に影響を及ぼしたのか、崔先生が学問として植民地研究を始めようとした結果、自然に客観的な態度になったのか、どちらなのだろうか。ともあれ、崔先生の客観的態度がその後の植民地研究の発展につながっていった。学問の内容だけでなく、心が広く暖かい先生のお人柄が学問の発展に寄与した良い例を身近に見ることができることは幸せなことである。」
「“枯れススキ”(枯れる人生)、ここで崔先生がそのように考えられた時もあったのかと意外な気がした」
一つ再感想を述べると、客観的な態度は中学生時代の生物の時間の進化論からの影響、その後文化人類学を勉強するようになってから自然に‘非常に常識’として身につけたものであろうと思っている。
「崔先生の学部講義を受けさせていただいて、大学院の指導に近いと思った。私には新鮮な驚きであった。1年たらずの間に私は随分と変化したと実感している。学生たちも目を開いて変わってほしいと思う。」
「崔先生の御指導の態度はもともと先生に備わっていたのか、そうでなく体験の積み重ねによる結果なのか、大変興味がある。“弟子にお詫び”でその答えを見たように思った。」
「崔先生の植民地研究開始の頃の様子が書かれている。この本の中で、最も感動的な個所である。ところで、秋葉隆氏の客観的な学問態度が、崔先生の客観的な植民地研究態度に影響を及ぼしたのか、崔先生が学問として植民地研究を始めようとした結果、自然に客観的な態度になったのか、どちらなのだろうか。ともあれ、崔先生の客観的態度がその後の植民地研究の発展につながっていった。学問の内容だけでなく、心が広く暖かい先生のお人柄が学問の発展に寄与した良い例を身近に見ることができることは幸せなことである。」
「“枯れススキ”(枯れる人生)、ここで崔先生がそのように考えられた時もあったのかと意外な気がした」
一つ再感想を述べると、客観的な態度は中学生時代の生物の時間の進化論からの影響、その後文化人類学を勉強するようになってから自然に‘非常に常識’として身につけたものであろうと思っている。