崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国語の拙著に読後感

2012年01月16日 06時19分38秒 | エッセイ
 独学で韓国語を勉強して弁論大会で優勝したことのある倉光誠氏から拙著『참새님의 학문과 인생(雀様の学問と人生)』について感想文をいただいた。彼は岡山大学を卒業して5年間基礎医学教室で細胞分裂の研究で博士号を取得した。その後小児学科で勉学し臨床医になり、開業し、現在青葉こどもクリニックの院長である。そして大学院後期課程に在籍、私が指導教授になっている。学部の学生と一緒に「日本宗教史」などの科目も受講している。感想文はその感想を含めて書いてあった。

 「崔先生の学部講義を受けさせていただいて、大学院の指導に近いと思った。私には新鮮な驚きであった。1年たらずの間に私は随分と変化したと実感している。学生たちも目を開いて変わってほしいと思う。」
  
 「崔先生の御指導の態度はもともと先生に備わっていたのか、そうでなく体験の積み重ねによる結果なのか、大変興味がある。“弟子にお詫び”でその答えを見たように思った。」

 「崔先生の植民地研究開始の頃の様子が書かれている。この本の中で、最も感動的な個所である。ところで、秋葉隆氏の客観的な学問態度が、崔先生の客観的な植民地研究態度に影響を及ぼしたのか、崔先生が学問として植民地研究を始めようとした結果、自然に客観的な態度になったのか、どちらなのだろうか。ともあれ、崔先生の客観的態度がその後の植民地研究の発展につながっていった。学問の内容だけでなく、心が広く暖かい先生のお人柄が学問の発展に寄与した良い例を身近に見ることができることは幸せなことである。」

 「“枯れススキ”(枯れる人生)、ここで崔先生がそのように考えられた時もあったのかと意外な気がした」

 一つ再感想を述べると、客観的な態度は中学生時代の生物の時間の進化論からの影響、その後文化人類学を勉強するようになってから自然に‘非常に常識’として身につけたものであろうと思っている。

人間教育

2012年01月15日 06時54分55秒 | エッセイ
 教会の牧師が突然訪ねて来た。国際学会での発表原稿を書いている最中であったが、温かく迎えた。プライバシーを尊重する彼は信者たちや教会の動きに関してはほぼ話さなかった。ただ下関の人が保守的であるという話が主であった。おそらく伝道の難しさの指摘であろう。それに私も賛同した。福岡の人は「アジア向け」、山口の人は「東京向け」と対比して話題にした。
 私は牧師に向けて信仰の話を始めた。「聖書」は「書(本)」として読んだり分析したりするのはそれほど難しくないが、「聖書に生きる」ように「聖経」として読むのが難しいと語った。そして話を教育に移し、学生の生き方、思考の変化に注力していることを話した。学校は一種のミッションスクールのようなものであると。それは伝道が目的ではなく、信、望、愛の精神によって人間教育をする場であるからであると語った。

「見せかけ」

2012年01月14日 06時31分59秒 | エッセイ
韓国の大学から学生と教員の20人弱の研修団が訪ねてくることで心から歓迎している。中には私が知っている大学理事長、学長、病院長が含まれておられるので病院を案内したいと思って、以前訪ねたことがあったある病院に連絡したが、返事はよくなかった。1年前に連絡をしてくれないと困ると言うことだった。2人だけなら受け入れるとのことである。私はすぐ断り、大きい総合病院に決めた。
 私はお客様を家に迎えるのが好きである。それを知ったある人が「客を募集する」ようだと冗談を言った人もいる。私の両親や先生たちはいつも訪問客を歓迎した。急に人が訪ねてこられた場合、掃除や片づけをし、間に合わない時はそのまま迎えることもある。普段の生活を見せるのも悪くない。見せるために時間をかけて整理したり、飾ったりすることは、見せること自体が誠意であり、効果的であるということかもしれない。しかし「見せかけ(?)」とも思われる。
 私はいま過去を振り返ってみると「見せかけ」が足りなかった、それが大きい欠陥でもあったと反省する。

「映画の港街」

2012年01月13日 06時07分00秒 | エッセイ
 私は壇ノ浦のマンションに住みながら関門大橋を眺め、対岸の門司の夜景を楽しむ。私の長い放浪の終着地であると心から決めてこの街に住んで7年、下関を愛して生きる一人になった。多くの知人、友人ができた。この町を愛している。戦前まで大陸への玄関口として大陸とのつながりの関釜連絡船やフェリーが毎日往来して100年以上の歴史を持っている。
 美しいこの港街では数多くの映画が作られた。『獄に咲く花』の原作者である直木賞作家である古川薫氏、その映画の製作者である前田登氏、映画「チルソクの夏」監督の佐々部清氏、「ブルコギ」のグスーヨン氏、ゼロシーターの映画館(奥田英二)、文芸朗読の野村忠司氏、俳優の前田倫良氏、カメラマンの権藤博志氏、「関門映画祭」と「しものせき映画祭」の二つの映画祭、田中絹代記念館、映画センター(山本末男)、コーディネーターの河波茅子氏、照明、字幕、映画研究者の東義真氏と私も含めて関係者がたくさんいる。今は一つしかないが、以前は映画館が30近くあったという。東亜大学にはアニメーションや映像の専攻ができる学科もある。このように総網羅できるほど映画関係の人材が下関に揃っている。 
 下関は戦前盛んな港町であったが玄関口の役割が弱小化し、廃れている。多くの映画館が閉鎖され、一つの映画館さえ維持することが難しいと聞いて悲しくなった。それを自然現象のように見ている人が多い。都市の盛廃は自然なことではない。人々の意識によるものであろう。それを文化意識といえる。港町は景観だけが美しいのではない。それを愛する心、美しさを生きる市民も美しくならなければならない。下関の夜景を見ながらアルカポード空き地にオペラハウスでも建てたらと思ってみたりする。(長周新聞、2012.1.9)から

逃亡生活

2012年01月12日 05時54分23秒 | エッセイ

 オウム真理教元幹部の平田信氏(46)が17年間逃亡生活をして自首したことが話題になっている。また彼とずっと一緒にいた女性が現れ、劇的要素を増している。彼女は1980年代に看護師になり、オウム真理教教団の付属医院で修行、地下鉄サリン事件後、平田と逃亡生活を始めた。尊敬が愛情に変わっていった」内縁関係“夫婦生活”に変化が訪れた。東日本大震災の被災状況にショックを受けた平田が「出頭する」と言いだした。平田は転居の時以外、外に出なかったという。彼女は1人で出て行く彼を見送った。「偽名で生活してきた偽りの人生は終わりにします」と発表した。事件と犯人の容疑ということとは別にこの部分だけを聞くと愛情と信念などが非常に強い。私はオウム真理教には全く無知ではあるが、二人の言動からは信仰性の強い宗教心があろうと想像する。これから捜査が本格化するが、宗教や信仰に理解のある方が担当してほしい。
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高齢者の「心中」

2012年01月11日 05時55分53秒 | エッセイ
私が指導している博士論文「高齢者の自殺からみる死生観」で注目されるものがあった。88件の「心中」型の自殺である。私は昔日本の自殺の特徴として文学作家たちの自殺を分析したことがあり、その延長のように感じた。心中とは情事などロマン的に思われるかもしれないが、実は自殺と他殺の組み合わせの死に方である。切腹と介錯の組み合わせと同様な恐ろしい死に方とも言える。現在の高齢者の心中にはこのような日本的な死生観が見られるのである。この論文の完成を期待する。

成人とは

2012年01月10日 06時25分55秒 | エッセイ
 儒教文化の伝統を強く持っている韓国でも冠婚葬祭の始まりの「冠礼」は残っていない。ただ巫俗の儀礼の中に挿入儀礼として行われているものがある。藁で男性の性器を作って腰につけて演戯をして観客を笑わせる笑劇がある。しかし民俗や一般慣習としては結婚式が成人を意味する。私は日本民俗の中に成人式があるのを初めて知った時は異様な感がした。成人式の文化はアフリカなど広く存在しているが、世界的にはただ法律で20歳前後をもって成人と決めている。
 成人とは何か。古くは子供と成人とは区別があったが今はその区別があまりなくなった。子供の文化と大人の文化は異なっていたが、いま大人でも子供の文化を持っている人が多い。花火は代表的な子供の文化であったが、花火大会は全国的に行われる。子供と成人の区別が曖昧になったのを象徴するだろう。

お見舞いはプライバシーの侵害か

2012年01月09日 06時03分21秒 | エッセイ
 知人の奥さんの入院先の病院へお見舞いに行った。突然であったが、もちろん本人とご家族の了解を得てのことである。男性6人(一人は夫)、女性2人が患者さんを囲んで、牧師が早く癒されるように誠意を込めて祈った。本人は涙ぐんでおられた。勇気づけられたのだろうと感じた。以前私はとても親しくしていた方のお見舞いに行き、とても喜んでいただいていたが、ある人から個人のプライバシーがあるから、見舞いを遠慮するように言われたことがある。プライバシーってなんだろうか。社会生活にはいろいろ規制が多いことは知っているが、それらを超えた人間関係が萎縮するようではいけない。考えてみると結婚式、葬式も個人の性や死というプライバシーかもしれない。それを公にすることは尊敬と愛の行動に基づいているからである。今日は「成人の日」である。それも成長する、ある個人の生理現象かもしれない。プライバシー云々という前に共に生きるということを考えるべきだと思う。

香は計れない

2012年01月08日 05時55分17秒 | エッセイ
 新年早々幸福の木に白い花が満開して香りが室内を満たしている。十年以上部屋の日あたりの良い所に置いており、幹が虫に食われてほぼ古木化していたが毎年花を咲かせてくれる。寒い冬に南国の香りを放ってくれて感謝である。甘くてすごくいい香であるとしか表現できない。小さい花びらが咲いた後、しぼみながら終わっていくには2週間以上かかるので木の名前通りに「幸福の花」である。音楽は楽譜があり、残せるが、日々の生活の中で、自然の香は計ることも残すこともできない。日本語では匂いと香など、英語でも区別はあるがそれだけではこの幸福の木の香りは表現できない。幸福を計るものがないように、ただ幸福の木の香りを満喫するだけである。

新年も愛読を

2012年01月07日 06時05分37秒 | エッセイ
 
 韓国のある大学の総長室に電話をしたら私の近況を良く知っている。本欄を読んで韓国語に訳して転送する方がいることといわれた。またある出版社の社長は日本語が読めないので翻訳ソフトを使って読んでくれるという。嬉しい。新年も書き続けるので愛読を願っている。中国でも本欄が読めるように希望する。
 別に宣伝するつもりではなく、日記を書くのと並行して書き始めたが読者が増えて来たので続けることになった。新年からは日記を書くことは止めた。このブログが唯一の自己記録である。それは身辺の雑談のようでありながら皆が共有する感情であり、思考であるようなものにしたい。特に歳をとっていくにつれて微妙に変化して生きていくことに触れていきたい。しかしいつ操作ミスで無くすか心配である。(写真上2012,1,7,7時頃窓から;下は今朝の毎日新聞記事)


学長の新年挨拶

2012年01月06日 05時37分00秒 | エッセイ
 学長の恒例の新年のあいさつは期待以上のものであった。それは教育と研究に深く触れたので歓迎する。古い建物を活用・愛用すること、なにより学生に温かい対応、質高い授業への熱心さ、研究につながる授業などを呼び掛けた。非常勤と区別できないような専任教員の無関心な人々へ誠意を訴え、非難ばかりする否定的な人へ肯定的な協力を求める内容であった。私と全く同感であることを個人的に感想として述べ、先生方の反響を聞いた。受けが良かった。昼食会では温かいお茶で乾杯、新年の「温かさ」が象徴的に表れた。

勝ち負け

2012年01月05日 05時27分56秒 | エッセイ
アメリカの大統領選挙がアイオワ州共和党党員集会での候補者指名争いから始まった。私はアメリカの民主主義を羨ましくCNN中継から目を離せなかった。それは新年早々民主主義の模範を世界へ発信するものだからである。新年に指導者を代える国は多い。世論調査とは異なってサントラム氏がロムニー前マサチューセッツ州知事を数票差でリードして、開票99%で数時間かかり夕方のニュースで後者のロムニー氏が8票差で勝ったということがわかった。選挙はまだまだ長く続く。それは候補者たちにとってはもちろんであり、アメリカの国民の緊張であり、ゲームであろう。私は勝ち負けの瞬間瞬間候補者たち側の緊張感を共有した。人は常に勝ち負けの状態であるとも言える。それは辛いことでも嬉しいことでもある。パチンコを好む人が多いのはそんな楽しみがあるからであろう。

池上彰氏の大学講義と「ハーバード大学の勉強虫たち」

2012年01月04日 04時35分36秒 | エッセイ
 
 有名ジャーナリスト池上彰氏の信州大学での講義をテレビで視聴した。朝鮮戦争の講義はさすが分かりやすく説明してくれた。特に私がよく知っているところであるので実感がわいてきた。中国人民解放軍の「義勇軍」350万人の人海戦術で、国連軍は膠着状態になり休戦し、現在に至る過程がよく分かる。学生たちも居眠りせず私語も少ない。学生たちの質問時間はない。
 大学講義をテーマにした映画のThe Paper Chase (1973) - SON OF A BITCH KINGSFIELDを思い出す。韓国では「ハーバード大学の勉強虫たち」と訳され非常に人気のあるものとして一般化されている。ハーバード大学の講義を紹介している。この講義では学生が登場し、スタディグループによって調べて発表するのが主である。私はこの映画を参考にしており、学生たちに研究グループを作ることを勧めて来た。その一つが広島大学大学院の「アジア社会文化研究会」である。池上氏の注入式講義とは非常に対照的である。

御挨拶の心

2012年01月03日 05時51分08秒 | エッセイ
 新年早々には決まった言葉の挨拶が煩わしく、私は人に会うことを避ける傾向がある。職場では一斉に新年式が行われる。その後は省略するので便利である。私は挨拶は良いが決まり文句の礼儀だけの言葉を言うことには抵抗を感じて、あまりしたくない。会議などで決まり文句のような挨拶を控えている。韓国では尊敬する人やかなり目上の人には言葉での挨拶はせずただ心をこめて目礼をする。日本のような形式的な年賀状のやり取りは少ない。日本の習慣のような年賀状にはもちろん心がこもっている。文化によって表現の差がある。つまり単に形式的に見える礼儀は形式だけではない。むしろそこに心があるということである。

「福」とは

2012年01月02日 06時27分53秒 | エッセイ
 教会の説教で韓国語の福を聖書の内容と比喩して語られた。信者たちと「おめでとうございます」「セーヘーボクマニバドセヨ새해 복많이 받으세요」という新年のあいさつが日本語と韓国語が交叉した。英語ではハッピーhappyとか, happiness, god bless などの言葉が使われる。韓国では伝統的に五福があり、それを具体的にいろいろと言われていたが、もっとも一般的なのは寿、富、貴である。つまり長生き、財産、立身出世である。韓国だけではなく世界的に普遍的かもしれない。この幸福観は今でもそれほど変わっていない。福を昔と比較したら今私が食べているのは王族以上に贅沢かもしれない。昨年の暮と昨日好物のメロンをいただいた。この冬にそれを食べるのは贅沢中の贅沢であり、幸せの極まりである。幸せは昔と比較するものではなく、また他人と比較するものではない。神が祝福するgod blessに合う生活が本当の幸せであると悟る。福はチョウリ(写真,笊籬)で釣れるものではない。 

 *イエスは手をあげて彼らを祝福された。(ルカによる福音書24章50節)