崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

送別

2012年01月31日 06時49分59秒 | エッセイ
 下関韓国教育院長の徐聖淑氏の送別夕食会に参加した。我が夫婦と食事を共にするつもりであったが希望者が増えて9人にもなった(上後列の奥から二番目が徐氏)。これから歓送、歓迎の人事の季節を迎えると改めて感じた。離別はさびしい一方嬉しいことである。私自身も多く移動しながら生きて来たが、新しい未知のところへ夢を以て開拓者たちのような気分であった。ちょうど朝刊の「朝日新聞」に白井記者が私の人生をそのようにまとめてくれたのが話題になった(写真と記事は下)。http://mytown.asahi.com/yamaguchi/news.php?k_id=36000271201300001
 その送別会で私は「縁」を大事にすること、別れは「派遣」のように縁を切るのではないという言葉を送る言葉とした。彼女が赴任してここ下関で韓国料理ブームをひき起こした。私は彼女の手作りのジャジャンメンを4回もお替わりしたその印象が強い。



「朝日新聞」2012年01月30日ひと模様
国超える研究者育てたい/崔吉城さん
東亜大東アジア文化研究所長/崔吉城(チェキルソン)さん(71)=下関市
 昨年できた東亜大(下関市)の東アジア文化研究所の初代所長になった。「学問は一代ではダメ。続かないといけない。いろいろな研究者を育てていきたい」と目標を語る。 韓国の大学で教壇に立って日本について教えはじめるようになった1970年代後半、植民地研究を始めた。学生らには反日感情​が渦巻いていた。「学生は社会を反映する。なぜ反日になったのか。それは、植民地支配の歴史が影響していると思った。だから、客観的に植民地支配を研究しようとした」。調査団を立ち上げ、日本人が作った「村」がある韓国の巨文島や日本で聞き取りをしたほか、朝鮮総督府の900ページにも及ぶ資料2冊を韓国語に翻訳した。植民地支配の研究で見えてきたことがある。教育の重要性だ。「国家がどういう教育をしてきたかで、植民地支配への考え方が違​う」。だからこそ、自身の生徒にはいつもこう教えている。「国を超えて生きなさい」(白井伸洋)