崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

人間教育

2012年01月15日 06時54分55秒 | エッセイ
 教会の牧師が突然訪ねて来た。国際学会での発表原稿を書いている最中であったが、温かく迎えた。プライバシーを尊重する彼は信者たちや教会の動きに関してはほぼ話さなかった。ただ下関の人が保守的であるという話が主であった。おそらく伝道の難しさの指摘であろう。それに私も賛同した。福岡の人は「アジア向け」、山口の人は「東京向け」と対比して話題にした。
 私は牧師に向けて信仰の話を始めた。「聖書」は「書(本)」として読んだり分析したりするのはそれほど難しくないが、「聖書に生きる」ように「聖経」として読むのが難しいと語った。そして話を教育に移し、学生の生き方、思考の変化に注力していることを話した。学校は一種のミッションスクールのようなものであると。それは伝道が目的ではなく、信、望、愛の精神によって人間教育をする場であるからであると語った。