私は時々自分のワイシャツにアイロンをかけながら過去を思い出す。朝鮮戦争後私の転校にともない我が家は田舎からソウルに引越した。姉が現在ロッテホテルの向かい側の百貨店のコーナーでドライクリーニング屋をやった。私は学校帰りにアイロンがけを手伝った。母の仕事を手伝ったこともあって抵抗はなかった。ある日紳士服をアイロンで焦がしてしまったことがあった。賠償しなければならないことで大変なことを覚悟したが、姉が弟の中学生が手伝って失敗したと謝った。客は名門の中学校の名前を聞いて許してくれたという。その服を編み縫いして直したようであった。その編み縫い直しは時間がかかる細かい仕事であるが、一時私も習ったことがある。それを職にした女性はいまだに姉の一番の友人である。今私はその時覚えて、得意のアイロンをかけなければならない。
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大昔のことを思い出します。41年前に初めて本国を訪問した時のことです。釜山からソウルまで汽車に乗りました。大衆車両には馴染めなくて、今で言うグリーン車に乗りました。隣は中年の紳士です。日本語が堪能でした。あの時は、確か所要時間は5時間だったと思います。その間、その紳士が私の無知を嘲笑うことなく、日韓の歴史を詳しく教えてくれました。あの時の教えで、私は韓国人だと言うことを、しっかり認識できました。
そしてその紳士は、私にソウルのホテルを紹介してくれました。紳士の紹介が行き届いていたのでしょう。ホテルの人々が、私を特別、親切にしてくれました。
今日の先生の日記で、あの時の列車で学んだ5時間が蘇ります。あの時の方、ご生存なら90歳を超えているのでしょうね。