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1月26日(水)のつぶやき

01:20 from goo
Pascal 『Pensées』を読む(9) #goo_delfini2 http://bit.ly/fsHyoy
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一日一句(8)





白梅の莟や今朝の日の光










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1月25日(火)のつぶやき

06:03 from web
RT @sasakitoshinao: モスクワの国際空港で大惨事が。ネットは情報が早い。 /【速報】モスクワの空港で爆破テロ 『YouTube』に惨事の映像が公開される http://t.co/TYHACBi
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一日一句(7)





恐ろしき山も遠目は眠りをり










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Pascal 『Pensées』を読む(9)


■旧暦12月22日、火曜日、

(写真)Basel Bahnhof

午前中、仕事。午後から、「カンディンスキーと青騎士」展を観に行く。いつもそうなのだが、絵を観るのは一仕事で、非常に疲労する。3時間、じっくり観る。カンディンスキー(1866-1944)は、クレー(1879-1940)やバウハウスの関連で、よく知っているつもりだったが、ミュンヘンの既存画壇に対するアンチテーゼとして次々に設立する芸術家集団‐ファーランクス、ミュンヘン新芸術家協会(NKVM)、青騎士‐といった集団の中に置いて観てみると、改めて、いろいろ、見えてくるものがあった。この展覧会については、pattern poetryとの関連で、考えるところあったので、改めて、アップしたい。pattern poetryも、バウハウスとの関連が指摘されている。今日、一つだけ、指摘しておきたいのは、カンディンスキーの次の言葉である。「一つの言葉を繰り返していくと、しまいには、表面的な意味が消失して、言葉の純粋な響きだけが残るようになる」(カンディンスキー『抽象芸術論』)これは、同じ言葉を繰り返し用いることが多いpattern poetryを、視覚からだけではなく、響きの面から、考察するときに有効な考え方だと思えた。pattern poetryは視覚の詩とされ、朗読を拒絶する面があるが、「響き」は持っているとも言えるからである。

ぼくは、絵を観るときには、一人ではなく、たいてい、家人と行く。これには、わけがあって、同じ絵を違った資質の人間が、とくに、男とは歴史的な背景が異なる女性と観ることで、気がつかない面が見えてくることも多いのである。たとえば、カンディンスキーのパートナーだった、ガブリエーレ・ミュンター(1877-1962)というベルリン生まれの優れた女性画家がいるが、彼女の視点から、カンディンスキーを観てみるとどうなるか。歴史は、いつも、いろいろな意味で、強者のものである。美術史も、この例に漏れない。ビッグネームの影に隠れて、多くの優れた作品を残した画家たちが、とくに、女性画家が、埋もれているのではないだろうか。その意味では、この展覧会は、カンディンスキーだけではなく、「青騎士」の仲間たちも紹介しているので、なかなか、見応えがあった。カンディンスキーの盟友だったアレクセイ・ヤウレンスキー(1864-1941)は、一時期、カンディンスキーを完全にリードしていたし、15歳年下のフランツ・マルク(1880-1916)は、一次大戦で36歳で死ななければ、間違いなく大成していたろう。マルクは、方法的には、カンディンスキーの影響を受けながら、 純粋な命の表現を求めて、動物のみを描くという非常に面白い着眼点をしていた。この画家は、生きていれば、優れた社会批判、文明批判の画家になりえたと思う。



Deux infinis. Milieu.
Quand on lit trop vite ou trop doucement, on n'entend rien.


二つの無限。中間。
あまりに速く読みすぎても、遅く読みすぎても、なにも理解できない。


■理解には、適切なリズムがあるということだろうと思う。翻訳は、理解が前提になるので、構文の分析をしたり、用例を調べたり、参考文献にあたったり、ネイティブに聞いたり、ゆっくり時間をかけても、わからないときはわからないが、あるとき、ふいに、理解できるときがある。それは、ウォーキングから戻ったときや、風呂から出たときなど、別の行動を取った後が多い。そういうときは、例外なく、適切な読みのリズムができている。適切なリズムで読んだから理解できたというよりも、前準備あって、あるとき、適切なリズムという条件が整って理解できるのだろうと思う。翻訳の場合には、適切なリズムが整うにも、また、条件が必要なのである。ただ、これを日本語を含む「読み」一般に拡大してみると、前準備は、翻訳とは質的に異なる場合もあるが、同じことが言えるように思う。パスカルの、この断章のlire(読む)は、目読なのか、音読なのか、という面白い問題もある。「理解する」と訳した「entendre」は耳で聞いてわかるという意味である。つまり、われわれが、日常的にある文が「わかる」や「理解できる」という場合、それは、言語の文法に規定されるだけでなく、語られる速度にも規定されるということが言えるのではないだろうか。



Sound and Vision













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1月24日(月)のつぶやき

13:10 from web (Re: @TheMojaTimes
@TheMojaTimes Hi Oye. Over here in Japan, 1:00 pm now. those too many thoughts might make you write something like a short novel.
13:11 from web (Re: @sekihan
@sekihan そうですか、小生も「親鸞」愛読しています。面白いですね。
17:49 from web
RT @TheMojaTimes: Funny Thinkbox advert http://tinyurl.com/4zmyn57
22:25 from goo
L・Wノート:断片(Zettel)(5) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/31b18712ed2fbd44d9208e441b359d89
22:36 from Twitpic
@kanan_naoko

- これは面白いですね! 生姜ならまだわかりますが。
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一日一句(6)





大逆事件百周年

寒鴉かくも集ひて喪のごとし





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L・Wノート:断片(Zettel)(5)


■旧暦12月21日、月曜日、、大逆事件百周年

(写真)ワイン畑

坂の白梅が7分咲き。これが花開くと、春が来たという実感がわく。

今日は、やたらに忙しかった。皓星社のF巻さんから村松関連記事の掲載誌情報を送ってもらったので、近いうちに国会図書館まで調べに行く予定。国会図書館には、一時期よく調べもので通っていたが、最後に入ったのは、今から、20年前。なんと、そのとき、爆破予告の電話がかかり、全員退去させられたのである。嘘みたいだが、当時は、その手のいたずらが何回か連続してあったのである。眠いので、夕方、一時間じっくりウォーキング。このままいけば、ランに移行できる日も来るのではないか、と予感させるような快適なウォークであった。



植民地の問題とマイノリティの問題は、ただ、実証的に検討すればいい問題だとは思っていない。そもそも、実証主義は、資本による存在の物象化を正当化するイデオロギーだと、僕は考えている。もちろん、それも、使い方によっては、有効な武器になるとは思う。L/Wノートは、「時間・空間・イデオロギー・身体」といったテーマをめぐる、理論的な考察のためのノートの一つという位置づけでいる。こうした考察と植民地問題、マイノリティー問題がどうリンクするかは、まだ、よく見えないが、いずれ、根本的な形で交差してくるはずである。

55. Wie alles Metaphysische ist die Harmonie zwischen Gedanken und Wirklichkeit in der Grammatik der Sprache aufzufinden. Wittgenstein Werkausgabe Band 8 Zettel Suhrkamp Verlag 1984

あらゆる形而上学的なものにも言えることだが、思考と現実は、言語の文法の中で一致する。

■断片55のメモは、思考の現実化、現実の思考化は、その言語の文法に規定されるということだろうと思う。それはわかるが、ヴィトゲンシュタインを読むと、感じることの一つに、詩をどう考えていたのか、というのがある。文法的に誤っていると理解不能になるだけなのだろうか。詩的言語と思考の関係はどうなのだろうか。

たとえば、「神を微分せよ」という文はどうか。これは、詩として理解されるのだろうか。



Sound and Vision







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1月23日(日)のつぶやき

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一日一句(5)




深蒸しのほのかに甘き小春かな





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