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蕪村の俳句(24)

■旧暦9月21日、土曜日、、立冬

(写真)無題

朝早く起きてウェブチェック。あちこちで、同じような異常な事件が起きているので、どれがどれなのか、混乱してくる。背後には、深く広がりのある構造的な問題があるんじゃないか。たとえば、マルクスは、1844年段階で、こんなことを述べている。

…労働者がより多くの価値をつくりだせばだすほど、彼自身はそれだけ無価値で、つまらないものになり、その生産物が文明的になればなるほど、彼はますます野蛮になり、労働が強力になればなるほど、労働者は無力になり、労働が知的になればなるほど、労働者は知性を欠いたものになり、自然の奴隷になる。


(「疎外された労働」経済学哲学草稿 p.311 筑摩書房 マルクスコレクションⅠ 2005年)

今日は、急にラタトゥイユが食べたくなり、作ることに。夏野菜を使うのに、冬の今でも簡単に入手できるというのは。


落花生日向は土の匂ひして

落花生音高らかに食したる

落花生迷へる者のありどころ

ラタトゥイユ冬に採れたる夏野菜




目前をむかしに見する時雨哉
(明和五年)

■芭蕉忌を詠んだもの。目の前のしぐれから過去に時間が遡る時間の二重性に惹かれた。蕪村は、時間を二重に用いることが多く、視線は現在の中の過去に向かう。こういう作りはとても魅力を感じる。



Sound and Vision

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