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ゲド戦記

金曜日、。旧暦7月11日。

午前中、仕事に専念。午後、家族と待ち合わせて「ゲド戦記」を観る。前評判が悪かったので、あまり期待していなかったのだが、かなりよく出来ていると思う。絵が雑だとか、青空が薄っぺらいだとかという評価もあったが、ぼくの印象は、逆で、背景画を周到に用意している。クロード・ロランやブリューゲルの絵をモデルにしたらしい背景画は実に繊細でニュアンスに富んでいる。とくに空と雲の描写は音楽的で美しく、海に石段が消えていくところなど、見たこともないローマ帝国の都市は、こんな感じだったのではないかとさえ思った。また、アニメーションのダイナミズムは特筆していいと思う。スター・ウォーズの第1作で驚いたダイナミズムと同じ驚きをこの映画でも味わった。静と動が渾然となってアニメとしてはトップレベルの作品だと思う。

作中でテルーがアカペラで歌を歌いアレンが涙を流すシーンがあるのだが、これが非常に良かった。歌の力というものを一瞬感じることができた。吾郎監督の作詞、谷山浩子の作曲だが、詞も印象に残った。ただ、残念だったのは、歌うシーンの草のざわめきなどが、マンガチックな描写であったことだった。背景画が美しいだけに、もっと丁寧にリアルに描きこんで欲しかった。

物語は一見、勧善懲悪の枠組みになっているが、多様な解釈を許すもので、観終わって謎が残される。家族で観たので、後で、いろいろ話してみたのだが、3人が3人ともまったく違う解釈だった。影がキーワードになり、実際に、アレンの「影」も登場して、ユングの考え方が応用されているように感じるが、一方で、調和した世界とその調和の崩壊というモチーフがあり、これは、マルクスの疎外論の機制とも重なる。また、死による生の虚無感といったニヒリズムの問題が、アレンと魔女(男?)クモに共通の問題として提示され、2人はこの問題の解決のために永遠の生を求める。テルーは、アレンに、生命の連鎖に目を向けさせ、アレンは、死で一切が無に帰することを恐れているのではなく、人生を引き受けて生きることを恐れているのだと告げる。

ぼくの意見では、吾郎監督の処女作の方が「ハウル」より良かったし、メッセージも分かりやすかったように思う。「ゲド」と「ハウル」のメッセージには同質のものがあるという意見や「ゲド」には未来を担う子どもに向けたメッセージがなかったという意見も出た。ぼくは、大人にも未来はあると思うし、大人を救うことも大切な仕事だと思うのだが……。いずれにしても、吾郎監督には、今後も期待したいと思う。



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