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往還日誌(193)







■8月12日、月曜日、山の日の振り替え休日。炎暑。ただ、きのうよりも湿度は低い。

きのう、今日と、休みなので、普段よりも少し多く、心身調整の時間を取る。きのうは、歩く瞑想と座る瞑想を行い、きょうは、座る瞑想を朝晩行った。

今朝、スティックシナモンを買ってきて、鎌田實先生推奨のシナモン珈琲を淹れて飲む。かなり旨い。珈琲もシナモンも、ポリフェノールが多く含まれ、抗酸化作用と血管拡張作用があるという。

8日に日向灘で発生したマグニチュード7.1の地震で、気象庁は、巨大地震注意を発令。これも重要な警戒情報ではあるが、京都大防災研究所宮崎観測所の分析は、さらに具体的で、次の地震の場所と時間をほぼ特定している。

今回の震源北東側の領域では、プレート境界の割れが進んでいなかった可能性が高いという分析で、今回の震源から北東に数十キロ・メートル離れた領域で、M7級の地震が再び起こる可能性があるという。

過去の履歴は、ほぼ同じ領域では1996年19月と12月にM6.9とM6.7の地震が続き、この際は最初の地震の割れ残りが2か月後に破壊されて次の地震が起きていた。

きょうは終日仕事。

現代の知識社会学の第一線では、科学的知識について、「科学的知識の神話の解体は、科学コミュニティの外の社会的文脈での科学的知識の有用性と利用拡大に貢献する」という議論が行われている。

この観点は、科学主義という一種の宗教に陥っていないかどうかの、科学の自己反省としても重要ではないだろうか。

たとえば、科学主義を、現代の知識社会学はこう考えている。

「科学主義とは、単に科学的主張の認知的権威の境界が争われて、現在では科学的能力の境界内とは認められていない事柄にまで、それが拡大される場合を指すのではない。科学の知識の主張を生産・検証するための価値ある効率的な方法について、特定の概念を排他的に主張することを指す」。

これなどは、仮説と検証(実験・観察による)を繰り返して、普遍的な自然法則を樹立する自然科学の、ガリレオ・ニュートン以降の、確立された科学的方法論さえ、それを「排他的に主張」すれば、科学主義に陥る、という警鐘になっている。

科学的知識が現代おいて、重要なのは論を俟たない。しかし、それは、知識社会学的反省を伴わないと、科学主義と紙一重の危うい知識になるのではないか。

これは、地震の予測にも言えるだろう。




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