goo

芭蕉の俳句(108)

金曜日、。旧暦、7月18日。

朝まで、眠れず、11時に起きて、子どもに呆れられる。アーレントの『思索日記Ⅱ』を朝まで読んで、ああ、ぼくは労働に向いていない、そもそも仕事に向いていないのだな、などと勝手に腑に落ちて寝たところ、金がなくて、銀行強盗する夢を見た。マネーロンダリングをどうするか、考えているところで目が覚めた。笑えん夢やな。



路通が陸奥におもむくに

草枕まことの花見しても来よ   (茶の草子)

■楸邨曰く「路通への対詠であるから、路通の人柄を一応心におく必要がある。路通は乞食の境涯から芭蕉に拾われて、風雅の道に入るようになったが、性放恣、容易に真の風雅を体得できなかったもののようである・・・路通は蕉門俳人。斎部氏(忌部とも八十村とも)露通、呂通とも書く。漂白の僧として乞食生活をしていたが貞亨2年ごろ芭蕉に入門、『奥の細道』の旅で芭蕉を敦賀に迎え、以降数ヶ月その身辺にあって親炙していたものである。奇行多く驕慢心があり、次第に人々の非難を浴び、ついには芭蕉の勘気をも蒙った」

路通というのは、実に興味深い。こういう一種の奇人変人も蕉門に加えて、めんどうを見ていたのだから、芭蕉という人も幅広い。芭蕉データベースによると、路通は90歳まで生きたらしい。

この句、芭蕉の呆れている様子が伝わってきて面白い。「しても来よ」の「も」にそんな感じが窺われる。しかし、どこか憎めない人柄だったのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )