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芭蕉の俳句(105)

日曜日、晴れ。旧暦、7月13日。広島忌。

朝起きて、新聞を読んでいたら、トロツキー記事があった。学生時代によく耳にした、「トロツキスト」という言葉には、いわゆる世界同時革命論者という意味よりも、非現実的な過激派というマイナスのニュアンスと、レーニン=スターリンの社会主義の系譜とは異なる希望のポテンシャルという両義性があったように思う。この頃、ソ連っていったい何だったのか、とても気になる。そう言えば、「マル経」という学問がありましたね。今は、どうしているのだろう、マル経学者たち。



この頃、『ドイツ語語源小事典』(同学社 2001)を暇な時にパラパラ読んでいる。いくつか、面白い発見があった。ドイツ語で夏はSommer、冬はWinterだが、もともと、ゲルマン人には、四季はなく、夏冬2つの季節しか知らなかったという。ローマ人と接触して、四季を知り、春と秋の表現法を考案したらしい。春は「早い季節」を意味するFruehling(15世紀に秋に対応する言葉として作られた)、秋は「遅い季節」を意味するSpaetlingが考案されたらしい(ただ、ゲルマン人とローマ人の接触はこんなに遅いのか、ちょっと疑問が残る。ドイツ史に詳しくないので、見当はずれな疑問かもしれないが)

ゲルマン人が夏冬だけの認識で生活していたというのは面白い。種を春に蒔いて秋に収穫するという農耕が生活に浸透していなかったのだろうか。狩猟生活に近かったのだろうか。ローマでは、都市の背後に穀倉地帯を抱えていたので、春と秋は重要な季節だったはずである。



屏風には山をゑがいて冬籠り   (蕉翁全伝)

■後に芭蕉によって金屏の松の古さよ冬籠りに改案されるが、挨拶した主人の人柄が出ていて惹かれた。なんとも泰然として、しかも風雅な人柄が感じられる。また意匠が斬新で魅力を感じた。一方、楸邨も指摘しているが、「山をゑがいて」の部分は、まだ推敲の余地がありそうにも思える。

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