今週から長袖+半袖の重ね着を始めました。
例えばピンクの長袖Tシャツそのままだとかなりインパクトがありますが(それでもいいんだけど)、黒や白の半袖を上に着ることでちょっと控え目なイメージになります。
さて、火曜日は2限から6限まで通しの日です。今日も頑張りました!(笑
2限は「京都学基礎研究」。
先週のフィールドワークを踏まえて、花園と妙心寺の関係についての講義。
京都に住んでいながら寺社仏閣には疎い(あまり興味が無い)ので、一からの説明はすごく助かりました。
で、いよいよ研究テーマを設定して発表準備に取り掛からないといけないのですが…
学生証をシャッフルして発表の順番を決めたところ、木曜日の「京都学基礎講読」の発表と見事に日が近接してしまいました。
先に研究、その9日ほど後に講読が来ているので何とか大丈夫かな…とは思っているのですが、来月の前半はけっこう忙しくなりそうです。
しかしながら、その2つが終われば後は聞く側・質問する側に回れるので、楽と言えば楽なのかもしれません。
そうだ、誕生日はゆっくり過ごせる!
3限の次、4限は「生徒・進路指導の研究」。
今日は戦前の生徒指導について、その処分内容の記録を見ていました。
もちろん窃盗のような現在でもダメなことも項目としてあるのですが、「アイスクリームの件」や「艶書附文(えんしょつけぶみ、ラブレターのことです)」、「女学校の生徒と交友」など、ちょっと笑えてしまう内容もちらほら…。
あくまで学校は勉強をするところであり、下校時の買い食いや異性関係をも処分した当時の制度に戦前教育の厳しさが表れていると思いますが、
自分がもしこの時代に生まれていれば、異性・恋愛問題を連発して停学どころか退学になっていたのではと、少し怖くなりました。
5限が終わり、6限は「日本思想史」。
前回から少し時代が進み、松下村塾の尊皇攘夷思想についての内容でした。
先生の「この辺りは、もう皆さん知ってる人も多いと思いますが…」という前置きから始まったのですが、コレが目当てで受講したようなものです!(笑
教育的観点からの松下村塾ということで、吉田松陰がどのような思いで志士たちに教育をしていたか、資料を追いながらゆっくりと進んでいきました。
「実行に移す」ということが目的であったため、久坂玄瑞・井上馨らのイギリス公使館放火などの過激な運動にも繋がっていくわけですが、時間割やカリキュラム、身分の差に関わらず柔軟な教育体制であったことは現在でも十分に評価出来る点であると思います。
高杉晋作の奇兵隊の理念もここに端を発していたのかもしれませんね。
写真は阿波池田に到着するキハ32。
手前に新しいホームの設置工事が進んでいます。
例えばピンクの長袖Tシャツそのままだとかなりインパクトがありますが(それでもいいんだけど)、黒や白の半袖を上に着ることでちょっと控え目なイメージになります。
さて、火曜日は2限から6限まで通しの日です。今日も頑張りました!(笑
2限は「京都学基礎研究」。
先週のフィールドワークを踏まえて、花園と妙心寺の関係についての講義。
京都に住んでいながら寺社仏閣には疎い(あまり興味が無い)ので、一からの説明はすごく助かりました。
で、いよいよ研究テーマを設定して発表準備に取り掛からないといけないのですが…
学生証をシャッフルして発表の順番を決めたところ、木曜日の「京都学基礎講読」の発表と見事に日が近接してしまいました。
先に研究、その9日ほど後に講読が来ているので何とか大丈夫かな…とは思っているのですが、来月の前半はけっこう忙しくなりそうです。
しかしながら、その2つが終われば後は聞く側・質問する側に回れるので、楽と言えば楽なのかもしれません。
そうだ、誕生日はゆっくり過ごせる!
3限の次、4限は「生徒・進路指導の研究」。
今日は戦前の生徒指導について、その処分内容の記録を見ていました。
もちろん窃盗のような現在でもダメなことも項目としてあるのですが、「アイスクリームの件」や「艶書附文(えんしょつけぶみ、ラブレターのことです)」、「女学校の生徒と交友」など、ちょっと笑えてしまう内容もちらほら…。
あくまで学校は勉強をするところであり、下校時の買い食いや異性関係をも処分した当時の制度に戦前教育の厳しさが表れていると思いますが、
自分がもしこの時代に生まれていれば、異性・恋愛問題を連発して停学どころか退学になっていたのではと、少し怖くなりました。
5限が終わり、6限は「日本思想史」。
前回から少し時代が進み、松下村塾の尊皇攘夷思想についての内容でした。
先生の「この辺りは、もう皆さん知ってる人も多いと思いますが…」という前置きから始まったのですが、コレが目当てで受講したようなものです!(笑
教育的観点からの松下村塾ということで、吉田松陰がどのような思いで志士たちに教育をしていたか、資料を追いながらゆっくりと進んでいきました。
「実行に移す」ということが目的であったため、久坂玄瑞・井上馨らのイギリス公使館放火などの過激な運動にも繋がっていくわけですが、時間割やカリキュラム、身分の差に関わらず柔軟な教育体制であったことは現在でも十分に評価出来る点であると思います。
高杉晋作の奇兵隊の理念もここに端を発していたのかもしれませんね。
写真は阿波池田に到着するキハ32。
手前に新しいホームの設置工事が進んでいます。